第9話 現場監督、道に殺された過去と向き合う
乾いた土埃が、昼の日差しの中で舞っていた。鍬の音、荷車の軋み、若者たちの掛け声。作業が最も乗ってくる時間帯だった。日差しは強く、汗が背中を伝う季節。側溝はすでに村の三分の一まで伸び、乾いた土の匂いが誠の鼻に馴染み始めている。朝礼を始めてから五日目、誰もが自分の役割を自然にこなすようになっていた。
誠は道具を配りながら、何気なく運搬班の方に目をやった。
土埃の舞う中、村で一番体格がよく、力もあるガルフが土砂の入った籠を担ぎ、黙々と運んでいる。他の若者たちが休憩を挟む間も、その足は止まらなかった。村の戸口をくぐる時に頭を下げるほどの大男で、黒々とした髭が表情を隠している。左腕には、古い傷痕が一筋走っていた。誠はこれまで、彼が自分から言葉を発するのをほとんど聞いたことがなかった。無口だが仕事は誰よりも早い、というだけの認識だった。
視線を向けた瞬間、誠の【大地審眼】が反応した。
ガルフの体全体が、赤く滲んで見えた。昨日の橙色から、明らかに悪化している。
(まずい)
前世でも、無理を重ねて倒れる作業員を何人も見てきた。本人は大丈夫だと言い張り、周りも遠慮して止められず、結局現場で倒れる。
倒れてからでは遅い。そうなる前に止めるのが、監督の仕事だった。誠は道具を置き、ガルフのもとへ駆け寄った。
「ガルフさん、休んでください」
「……大丈夫だ。まだやれる」
ガルフは足を止めずに答えた。声には力があったが、目の下には深い隈が刻まれ、足取りにわずかな乱れがあった。
「大丈夫には見えません。今すぐ休んでください」
「うるさい、俺の体だ。どうするかは俺が決める」
ガルフは籠を担ぎ直し、歩き出そうとした。誠はその肩を掴んだ。
「働き手を潰す現場に、未来はありません」
その一言に、ガルフの足が止まった。
「この村で一番体格のいいあなたが倒れたら、今日の作業どころか、これから先の工事全部が止まります。無理をする人間一人のために、村全部が損をする。それでもいいんですか」
「……村のことなんぞ、知ったことか」
ガルフは低く呟いたが、その声には力がなかった。誠はその弱さを、聞き逃さなかった。
ガルフは何も言わなかった。ただ、肩に担いだ籠の重みに、じっと耐えているようだった。
周りで作業していた村人たちも、いつの間にか手を止め、二人のやり取りを見守っていた。誰も口を挟まず、ただ息を詰めている。少し離れた場所で、テオとミラも作業の手を止めて、こちらを見つめていた。テオが土砂の籠を一つ、黙って運搬班の列に足して補った。誰に言われるでもなく、抜けた穴を自分から埋めていた。数日前まで文句ばかり言っていた男が、今は誰よりも早く動いていた。
「……なんで、そこまで急ぐんですか」
誠の問いに、ガルフはしばらく黙っていた。やがて、籠を地面に降ろし、掠れた声で口を開いた。
「三年前のことだ。この村の道で、荷車が崩れた」
誠は黙って続きを待った。
「女房が乗ってた。荷物を町まで届ける用事で。俺が一緒に行けりゃよかったんだが、畑仕事があっていけなかった。……そしてその日、村へ向かう途中で道の端が崩れて、荷車ごと谷に落ちた」
ガルフの声は淡々としていたが、握りしめた拳が震えていた。
「知らせを聞いて駆けつけた時、道の端はまだ崩れたままだった。何日も前から、そこが緩んでるのは村の誰もが知ってた。だが誰も、直そうとはしなかった」
「助けようとした時にはもう、遅かった。道さえ、まともだったら」
誠は、何も言えなかった。
不意に、初めてこの村に降り立った日の記憶が蘇る。ぬかるんだ轍、崩れた足首、泣いていたピノの姿。あの時、自分は確かにこう思った。この道は、人を殺す道だ、と。
あの直感は、ただの言葉ではなかった。ガルフの目の前で、それはすでに一度、現実になっていた。誠が見てきた「応急処置だらけの世界」は、誰かにとって、取り返しのつかない喪失そのものだった。診断だけでは、誰も救えない。それを実感したのは、これが初めてだった。
脳裏に、あの日の記憶がよぎる。崩れる法面、伸ばした手、間に合った悠真の姿。もし、あと少し遅れていたら。もし、自分が間に合わなかったら。
ガルフの言葉は、誠自身の記憶と、重なって響いた。
「だから俺は、この道を直す。誰にも、俺と同じ思いをさせねえために」
「その気持ちは、分かります」
誠は静かに言った。
「でも、あなたが倒れたら、その願いごと終わります。道は一人で直すものじゃない。あなたが休んでも、村が回るように俺が段取りを組みます。だから、今日は休んでください」
「……お前に、何が分かる」
ガルフの声が、初めて揺れた。誠はその目をまっすぐに見返した。
「分かりません。あなたが背負ってきたものの重さは、俺には測れない。それでも、あなたが今日ここで倒れたら、その重さごと消えてなくなる。それだけは分かります」
ガルフは長い沈黙の後、深く息を吐いた。
「……わかった」
その一言だけを残し、ガルフはその場に座り込んだ。張り詰めていた何かが、少しだけ緩んだ様子だった。太い肩が、初めて力を失ったように下がっていた。
誰かが黙って水の入った椀をガルフの手元に差し出した。ハンナだった。何も言わず、ただ小さく頷いて、その場をそっと離れていく。ミラはその光景を、少し離れた場所で唇を結んだまま見つめていた。
一部始終を、少し離れた場所からドルガが見ていた。
誠がガルフを座らせ、他の作業員に指示を振り直す様子を、杖に手をかけたまま、ずっと見つめていた。
作業が再び動き出した後、ドルガは誠のもとへゆっくりと歩いてきた。
「村長」
「……ガルフの女房のことは、村の皆が知っとる。だが、誰も止められんかった。あいつがどれだけ無理をしても、誰も」
ドルガの声は、いつもの頑固さが薄れていた。
「わしも、その一人だ。あいつが体を壊すまで働くのを、何度も見てきた。だが、女房を失った男に、それ以上何を言えばいいか分からんかった。だから、好きにさせた」
「それがわしらにできる唯一のことだと思っていた」
杖を握るドルガの手に、力がこもっていた。長年の後悔を、今初めて口にしたような声だった。
「わしらは、なんとなく分かっていながら、見過ごしてきた。お前さんが来るまで、誰一人、あいつを止める勇気がなかった」
ドルガはそこで一度言葉を切り、遠くの畑に目をやった。
「この村は、ずっとそうやって、諦めることで済ませてきた。道が壊れても、人が倒れても、仕方ないの一言で」
「お前さんは、あいつを止めた」
誠が答えようとした、その時だった。
ドルガが、杖を地面に置いた。
そして、深く頭を下げた。
「村長――」
誠は慌てて声をかけたが、ドルガは頭を上げなかった。皺深い首筋が、日に焼けた土色のまま、じっと動かない。
村長が、誠に向かって頭を下げていた。
次回の更新は、7月17日 21:10を予定しています。
【お願い】
もし面白かったら、下のブックマーク(★)や評価で応援いただけると非常に励みになります!
(ブックマークは下の「ブックマークに追加」ボタンからお願いします)
【本作品のAI利用について】
本作品は「小説家になろう」の規定に基づき、生成AIを執筆・構成の補助として使用しております。
※本作品は「カクヨム」様にも掲載しております。




