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第67話 現場監督、地面の下を支え切る

仕上げの配管が最後の一本、蓋掛けの下に収まった。


誠は【大地審眼】を町の地下全域に向けた。密集した路地の下、大通りの下、あの老女の家の下——見渡す限り、青一色だった。黄色も赤も、もうどこにもない。数か月前、この町に来た時に視た、薄く広がった綻びは、跡形もなく消えていた。


「これで、全部か」


隣に立ったバルドが、感慨深げに呟いた。太い腕を組み、完成した仕上げ蓋の列を眺めている。


「ああ。あとは、正式な検収を待つだけだ」


誠は空を見上げた。工事が始まった頃はまだ肌寒かった空気が、今はすっかり夏の色に変わっていた。


*


翌日、レオンの使いで来たセラの立ち会いのもと、正式な検収が行われた。レオン本人は執務が立て込んでいるとのことで顔を出せなかったが、「誠の仕事に間違いはない、形式さえ整えばそれでいい」という言伝が添えられていた。誠はその言葉に、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。


「まずは、当初の仕様書との照合から」


セラが手にしていたのは、あの日誠が初めて作成した基準書だった。表紙には手書きの修正跡がいくつも残っている。羊皮紙の端は、何度も広げられ、丸められてきたせいで擦り切れかけていた。


「配管の勾配、指定通り」


「支保の間隔、変更後の基準に合致」


「補強区画の追加分も、然るべき手続きを経て反映されています」


一項目ずつ、セラが淡々と読み上げていく。誠はその隣で、一つ一つに頷いた。書き上げた時は不安だらけだった仕様書が、今、現実の工事と寸分違わず重なっている。


「地下貯水設備の容量も、要望の一・二倍を確保。渇水期の備えとしても、十分な数字です」


セラは次の頁をめくった。


「資材の品質記録も確認済みです」


「ヴィム殿からの納品、基準を下回るものは一件もありませんでした」


「あれは、あいつがちゃんと選んでくれたからだ」


「下請けの出来形報告も、全て基準内」


セラは書類の束を丁寧に揃えた。


「工期については、当初予定より三日の延長がありましたが、承認された延長分の範囲内で完了しています。……以上、全項目、仕様書通りの完成と認めます」


セラが検収書に印を押した。誠はその印影を、しばらく黙って見つめていた。発注者として初めて仕様書を書き上げたあの日、頭を悩ませながら書いた紙切れ一枚が、こうして一つの町を支える骨組みになった。図面の上の文字が、地面の下の現実になるまでの距離を、誠は改めて噛みしめた。


「発注者として、最初から最後まで、責任を持ち切りましたね」


セラの一言に、誠は小さく息を吐いた。


「途中、何度も足元を掬われそうになった」


「それでも、投げ出しませんでした」


その一言は、事務的な検収の言葉というより、もっと個人的な労いに聞こえた。誠は素直に頭を下げた。


「助かった。書類の面は、お前がいなければ回らなかった」


セラは一瞬、目を伏せた。それから、いつもの淡々とした口調に戻って言った。


「私は、私の仕事をしただけです」


*


夕方、現場跡地には簡単な祝いの席が用意されていた。


バルドが樽から酒を注ぎ、下請け職人たちが乾杯の声を上げる。左官職人が、祭りの土台と工事の両方を無事終えた顛末を、誰かれ構わず語って聞かせていた。年嵩の石積み職人も、珍しく杯を重ねながら上機嫌に笑っている。


「監督」


ヴィムが恰幅の良い体を揺らしながら近づいてきた。


「良い資材を選んでくれる発注者は、商人にとってもありがたいもんですよ。またぜひ、うちの品を」


「次も、頼む」


誠が笑うと、ヴィムも満足げに笑い返した。


「それにしても」


ヴィムは声を落とした。


「値切られる側から値を決める側になったと申し上げましたが、あれから見ていて、監督さんは決める側になっても、無理な値切りは一つもなさらなかった。そういう発注者は、案外少ないもんですよ」


誠はその言葉に、少しだけ照れくさくなった。


路地の住民たちも数人、遠巻きに祝いの様子を眺めに来ていた。あの洗濯物の女が、子供の手を引いて会釈をしていく。子供は誠の顔を見つけると、大きく手を振ってきた。老女の姿は見えなかったが、代わりに鉢植えの花が一輪、誰かの手で祝いの席に届けられていた。添えられた紙切れには、拙い字で「ありがとう」とだけ書かれていた。誠はそれをしばらく手のひらの上で見つめてから、大切に懐にしまった。


ミラは職人たちの輪の中心で、峠道と今回、二つの現場での心象づけの話をせがまれ、照れながらも得意げに語っていた。誠はその様子を、少し離れた場所から眺めていた。数か月前、村の変わり者と見下されていた娘が、今はこうして、大の男たちに囲まれて胸を張っている。その光景だけで、この工事をやり遂げた甲斐があったと思えた。


*


祝いが一段落した頃、誠は一人、完成した通りを見下ろしていた。セラが隣に来て、静かに口を開いた。


「発注者として、一つの仕事をやり遂げましたね」


「まだ、慣れたとは言えないがな」


「慣れる必要はありません。慣れてしまえば、今日みたいに一つ一つ確かめる丁寧さを、失うかもしれませんから」


誠はその言葉を、しばらく胸の中で転がした。技術も、実務も、まだまだ学ぶことばかりだった。だが今日という日が、確かに一区切りだということは分かった。


「セラも、大変だっただろう。書類の面倒事を、全部一人で背負ってた」


「私は、私のやり方で現場を支えていただけです」セラは通りに視線を戻した。「監督殿が地面の下を支えたように」


その言葉には、これまでにない柔らかさがあった。誠は何も言わず、しばらくその横顔を見ていた。


そこへ、供を連れたデニスが現れた。


「見事な仕上がりですね、現場監督殿」


デニスの声には、これまでのような含みが薄かった。むしろ、素直な賛辞に近かった。


「わざわざのお越し、恐れ入ります」誠は淡々と応じた。


「一つだけ、お伝えしておきます」


デニスは微笑んだまま続けた。


「この町の成功、王都にも届いているようです。……近く、伯爵家の方から、正式な使者が立つことになるでしょう」


「使者、というと」


「私ではなく、もっと格上の者が、ということです」


デニスはそれだけ言い残すと、一礼して去っていった。柔らかい物腰は変わらないまま、その言葉には、これまでとは違う重みがあった。


「……格上の使者、か」


誠が呟くと、セラの表情が引き締まった。


「デニス一人の探りとは、違う段階に入ったということです」


セラは去っていくデニスの背を見送りながら続けた。


「あの者一人なら、実務で退けられます。ですが、格上となれば、実務だけでは済まないかもしれません」


「厄介事の匂いがするな」


「厄介事、というより」


「この工事の成功そのものが、誰かにとっては都合の悪い証明になった、ということだと思います。監督が、平民でもよそ者でも、これだけの仕事ができると証明してしまった」


誠は言葉を返せなかった。良い仕事をすればするほど、それを面白く思わない者が現れる——ガイエラが夢枕でかつて口にした言葉が、不意に脳裏をよぎった。


夕日が完成した町並みを照らし、地下深くに眠る青い骨組みを、静かに祝福していた。


だが地上では、まだ見ぬ相手が、次の一手を静かに整え始めていた。

次回の更新は、9月21日 21:10を予定しています。


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