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第64話 現場監督、渡した先を見る

数日が経ち、現場の顔つきが変わっていた。


地上を覆っていた木組みの支保は、もう見慣れた光景になっている。組み上がったばかりの頃は真新しい木肌が目についたが、今は土埃と朝露で色が馴染み、初めからそこにあったかのように現場に溶け込んでいた。


誠は【大地審眼】を掘削面に向けた。青一色。だが色の下に広がる質感が、これまでとは違っていた。


浅く均された表土の掘り下げではない。上から支えられながら、下へ下へと段を刻んでいく——これまで紙の上の図面と、職人たちの手の中にしかなかったものが、ようやく地面の下に、立体として姿を見せ始めている。


朝一番の空気はまだ冷たく、掘削で舞う土埃が朝日に透けて見えた。作業の音も、以前より落ち着いていた。段取りが定まった現場の音、というものがある。無駄のない、迷いのない音だ。


「一段目、抜けたぞ」


バルドの声が現場に響いた。


*


一段目の掘り下げは、思ったより静かに進んだ。上部の支保がしっかりと荷重を受け止めている証拠だった。誠は縄張りの端に立ち、水糸と下げ振りで出来形を確認する。


「深さ、指定通りだ」


「石工の方は問題ねえ。次、支保を追加するぞ」


バルドの号令で、二段目に向けた支保材が運び込まれる。数日前に工期のことで声を荒げていた左官職人が、今日は迷いのない動きで材料を運んでいた。年嵩の石積み職人も、掛け持ちの都合をつけた上で戻ってきている。


「監督さんよ」


作業の合間、左官職人が声をかけてきた。


「あの調整案、うまく回ってるぞ。祭りの方も間に合いそうだ」


「それは良かった」


「まあ、次からはもうちっと早く言ってくれや」


軽口混じりの一言に、誠は苦笑した。数日前の張り詰めた空気は、もうそこにはなかった。


支保材の据え付けが始まる。木材の継ぎ目を金具で締める音、掛け声、材木同士がぶつかる乾いた響き。誠は一本一本の支保が垂直に立っているかを、下げ振りの糸の揺れで確かめて回った。わずかでも傾けば、上からの荷重が偏り、後々のひび割れにつながる。


「監督、こっちの柱、ちょっと傾いてねえか」


若い職人が声をかけてきた。誠は【大地審眼】で支保の根元を確認する。色にはまだ異常は出ていないが、目視でもわずかな傾きが分かった。


「気づいたのは正解だ。今のうちに直そう」


職人が頷き、すぐに手直しに入る。以前なら誠が指摘するまで気づかなかったかもしれない。数日の現場で、見る目が育っている。


支保が組み上がると、いよいよ二段目の掘り下げが始まった。一段目より深く、支保の間隔もより密になる。誠は水準器を当て、支保の傾きを確認した。わずかなずれもない。土を運び出す作業員たちの列が、狭くなった空間で無駄なく動いていた。


「紙の上の理屈が、目の前で立体になっていく」


誠は小さく呟いた。前世でも、図面通りに構造物が組み上がっていく瞬間には何度も立ち会ってきた。だがここまで、一つ一つの判断が自分の手から職人たちの手へ渡り、それがまた別の職人の手へと渡っていく過程を、これほど生々しく見たことはなかった。


「監督、次の区画、そろそろ」


ミラの声がした。誠は頷き、二段目の奥、支保と支保の間に生まれた狭い空間へと視線を移した。


*


その空間は、これまでとは勝手が違った。


支保材が交差する隙間、大人一人がかろうじて入れるほどの狭さ。地上の広い区画で組んだ土魔法とは違い、この密度で入り組んだ場所に、途切れのない支持力を通さなければならない。誠は【大地審眼】でその周囲を確認した。支保の根元、木材と木材が交わる継ぎ目のあたりに、まだ発光するほどではないが、うっすらとした黄色の兆しがあった。荷重が集中しやすい弱点だった。


「……狭い」


ミラが呟いた。声に、いつもの余裕がなかった。


「峠道の、あの一番奥の区画より?」


「あそこは狭かったけど、まっすぐだった。ここは、曲がってる」


支保の角度が一定でないため、心象づけの層も直線では通せない。木材の継ぎ目一つ一つに合わせて、曲がりながら、しかし途切れずに這わせる必要がある。誠には計算式は分かっても、それを実際に紡ぐ手段はなかった。ここから先は、完全にミラの領分だった。


「大丈夫か」


「……やる」


短い返事だった。誠は一歩下がり、見守る側に回った。周りの職人たちも、いつしか手を止めていた。誰かがごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。


ミラは膝をつき、狭い隙間に手を差し入れた。目を閉じ、呼吸が浅くなる。額に汗が浮かぶ。地上の広い区画で組んだ心象とは違う——曲がりくねった隙間の形に合わせて、薄く、しかし途切れない層を、一寸刻みで這わせていく。


一段。誠には見えないが、ミラの表情の変化で分かる。眉間にわずかな皺が寄り、唇が引き結ばれた。


二段目。汗が顎を伝った。誠は思わず駆け寄りそうになったが、余計な声をかければ集中を乱すと分かっていた。拳を握り、待つことに徹した。


三段目。ミラの指先がわずかに震えた。木材の継ぎ目、あの黄色の兆しがあった場所に差しかかったのだと、誠には見当がついた。一番荷重が集中する、一番失敗が許されない箇所だ。


「……もう少し」


誰に言うでもない呟き。周りの職人たちも、いつの間にか手を止めて見入っていた。バルドでさえ、腕を組んだまま微動だにしない。


四段目に差しかかったところで、ミラの息が一瞬止まった。誠の心臓も跳ねた。だがすぐに、詰めていた息を静かに吐き出す音が聞こえ、ミラの肩の力がわずかに抜けた。


長い沈黙のあと、ミラがゆっくりと目を開けた。


「……終わった」


その一言に、誠は【大地審眼】を隙間へ向けた。


青。狭く曲がりくねった隙間の隅々まで、途切れることのない均一な青が通っている。峠道で見た地盤の締固めとは違う、もっと繊細な——編み込むような密度だった。あの黄色の兆しがあった継ぎ目のあたりも、今は他のどこよりも濃い青に変わっていた。弱点だった場所が、むしろ一番強い場所に生まれ変わっていた。


「バルド、見てくれ」


バルドが覗き込み、支保の根元を拳で叩いた。硬い音が返る。


「……こいつは」


「これを、あの隙間でやったのか」


「峠道より、狭かった」


「けど、あそこで何度もやったから……どうすればいいか、分かった」


わっと歓声が上がった。左官職人が拳を突き上げ、年嵩の石積み職人まで珍しく声を張り上げている。誠の班とバルドの手勢の区別なく、狭い現場に喜びの声が満ちた。


「大したもんだ、嬢ちゃん」


「峠の奴らに聞かせてやりてえな、この腕前」


ミラは照れくさそうに、それでいてどこか誇らしげに、乱れた前髪を掻き上げた。まだ肩で息をしていたが、その顔には確かな満足があった。


*


夕刻、片づけが一段落した頃、誠は一人、二段目の掘削面を見下ろしていた。


地下に組み上がった支保と、その隙間を埋める見えない密度の層。まだ全体の半分にも満たないが、これまで誰も見たことのない「町を支える骨組み」が、初めて目に見える形になった瞬間だった。


前世の現場を思い出す。何十枚もの図面と、何十人もの職人の手を経て、コンクリートの躯体が少しずつ立ち上がっていく——あの高揚感と、今、目の前にあるものは、根本のところで同じだった。型枠が外され、初めて構造物の輪郭が姿を現す瞬間。何度見ても、あの一瞬だけは慣れることがなかった。今日、狭い隙間の奥でミラが見せたものも、きっと同じ種類の一瞬だったのだろう。


違うのは、渡し方だった。


数日前まで、誠は自分の判断を一方的に下ろすだけだった。だが今日の一段目、二段目の掘削は違った。バルドが職人の割り振りを組み、誠がそれを受けて工程を調整し、左官職人が自分の都合を先に伝えてきた。若い職人が支保の傾きに自分で気づき、声を上げた。判断が、一方通行ではなく行き来していた。


誠は、自分がこの数日で何を渡し、何を受け取ったかを一つ一つ数えてみた。掘削の順序はバルドに渡した。支保の材料選定はヴィムとの取引に渡した。心象づけの判断は最初からミラの領分だった。そして今日、傾いた支保に気づいたのは若い職人自身だった。誠が全部を見なくても、現場は自分で気づき、動くようになっている。


一人で決めて一人で渡す段取りから、渡した相手がまた次の判断をする段取りへ。バルドに言われた一言が、思っていたより深いところで現場を変えていた。


「監督、渡し方を教わったの、効いてる?」


いつの間にか隣に来ていたミラが、からかうように言った。まだ髪に土埃がついたままだった。


「……ああ。効いてるみたいだ」


誠は素直に頷いた。地面の下の骨組みだけでなく、現場を回す人と人との骨組みも、少しずつ組み上がってきている。そんな気がした。


*


そこへ、セラが書類を片手にやってきた。夕日の中、影が長く伸びていた。


「進捗、聞いています。想定より早いペースだと」


「ああ。二段目まで進んだ。ミラが、これまでで一番難しい場所を通した」


「拝見しました、遠目にですが」


「あの喚声、通りまで聞こえていましたよ」


「このままいけば」


「完成は、思ったより早まりそうですね」


誠は頷いた。悪くない話だった。だがセラの表情には、素直に喜んでいるだけではない何かがあった。


「どうした」


「……いえ」


「早すぎるのも、考えものかもしれません」


「何が言いたい」


「工事が早く進むほど、目立ちます。良くも、悪くも」


セラは工程表を軽く指で叩いた。


「レオン様のもとには、良い評判ばかりが届くわけではありません」


セラはそれ以上、多くを語らなかった。ただ、書類を誠に渡す手が、いつもよりわずかに硬かった。


夕日が、掘り下げられたばかりの地下構造に、長い影を落としていた。


骨組みは、着実に組み上がっている。


だが、その速さを、誰が、どんな目で見ているのか——誠にはまだ、分からなかった。

次回の更新は、9月18日 21:10を予定しています。


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