第62話 現場監督、対話する
支保の三本目まで、順調に組み上がっていた。
本数を重ねていくことで、職人たちの動きにはもう迷いがなかった。滑車を引く手や水準器を覗く目、締固めを終えたミラが次の位置へ移る流れ。誠の頭の中にあった段取りが、そのまま現場の呼吸になっていた。二本目、三本目と、支保が地面に根を張っていくたび、現場全体に落ち着いた手応えが広がっていく。
「このまま行けそうだな」
バルドがそう呟いたとき、誠は四本目の位置に【大地審眼】を向けた。
視界の色が、いつもと違った。黄色でも赤でもない。薄く滲むような、これまで見たことのない色の乱れが、地中で不規則に揺れている。誠は一瞬、判断に迷った。
「……これは、なんだ」
誠は屈み込み、範囲を広げて確認した。乱れは一本の建物の基礎から始まり、隣の建物との間に細く伸びている。これまで診てきたどの弱点とも違う、初めて見るパターンだった。
「監督、どうした」
バルドが近づいてきた。誠は色の広がりを指でなぞった。
「四本目の位置、想定と違う反応が出てる。今までの赤や黄色とは違う種類だ」
「そりゃ、まずいのか」
「分からん。だから一旦作業を止めよう」
誠はその場で作業を止めさせた。
*
原因を探るのに、それほど時間はかからなかった。
誠は隣接する建物の基礎を丁寧に調べ、バルドは建物の建て増しの跡を指摘した。
「ここ、後から増築してるな。基礎の継ぎ目がずれてる」
「元の基礎と、増築分の基礎で、地盤にかかる重さのバランスが違う。それが今回の掘削で崩れかけてる」
誠は前世の知識を頭の中で組み立て直した。地下水位の変化も一因かもしれないが、それだけでは説明がつかない乱れ方だった。増築時の施工の甘さと、逆打ちによる周辺地盤の締固めが、想定外の形で干渉している。
「増築部分の基礎、施工した時期はいつ頃か分かるか」
「さあな。少なくとも十年やそこらは経ってるだろう」
「十年か。その間に、増築分だけがゆっくり沈んでいったんだろう。普段は分からない程度でも、逆打ちの締固めで周りの地盤が動いたことで、その差が表に出てきた」
バルドは腕を組みながら頷いた。
「なら、増築部分だけ手当てすりゃいいのか」
「いや、両方だ。元の基礎と増築部分、両方の高さを揃える形で支える必要がある」
誠は地面にしゃがみ込み、指で簡単な断面図を描いた。
「片方だけ補強すると、今度はそっちが硬くなりすぎて、境目に新しい歪みが出る。両方を同時に、同じだけ固めるのが筋だ」
「境目の歪みってのは、どのくらい深刻なんだ」
「今はまだ小さい。だが放っておけば、増築部分と元の建物の間に亀裂が入る。ゆっくりとだが、確実に進む種類のやつだ」
バルドは誠の描いた図を覗き込み、しばらく黙っていたが、やがて大きく頷いた。
「分かった。お前の見立てに従おう」
「補強を追加する。この区画だけ、支保の間隔を詰めて、増築部分の基礎にも別途、締固めを入れる」
「支保の間隔、どのくらい詰める」
「今の半分だ。その分、材料も倍かかる」
「材料はなんとかする。それより、工期はどれだけ延びる」
「この区画だけで、三日はみておいてくれ」
「分かった。すぐ材料の手配に入る」
「ミラ、この区画だけ締固めをもう一段丁寧にやってくれ。他より慎重にでいい」
「うん」
指示はすぐに現場に伝わった。だが、これで終わりではなかった。補強のためには、この区画で作業日数が延び、周辺の建物にも一時的に振動や騒音が及ぶ。誠はセラと共に、周辺の住民のもとへ向かった。
*
最初に訪ねたのは、一人暮らしの老女の家だった。木戸を開けたその顔には、隠しようのない警戒の色が浮かんでいた。
「工事の予定が延びる、と聞きましたが」
老女は玄関先で、警戒するように腕を組んだ。
「補強のためです。この家の基礎そのものを、今よりずっと丈夫にします」
「今さら弄ってもらわなくても、ここは何十年もこのままだったんですよ」
「何十年も保ってきたからこそ、大事にしたいんです。今のままだと、あと数年でどこかに歪みが出るかもしれません。それを防ぐための補強です」
「あと数年って、あんた……」
老女は言葉を切り、疑わしそうに誠を見た。
「本当に、悪くなってるんですか。見た目じゃ何も変わってないように見えるけど」
「見た目には出ません。だから今のうちに手を打つ必要があるんです。基礎の内側、目に見えないところが弱ってます」
「あんたには、それが見えるとでも?」
「見えます。俺の目には」
誠は迷いなく答えた。老女はしばらく黙っていたが、誠の言葉の端に何かを感じ取ったのか、腕を組んでいた手を下ろした。
「……この家、私が嫁いできた時からあるんです」
「だからこそ、壊さずに直します」
「本当に、壊さずに」
「壊しません。今の形のまま、中を強くするだけです」
老女は小さくうなずいた。それでも、まだ完全に納得したわけではなさそうな、複雑な表情のままだった。誠はそれ以上、言葉を重ねなかった。時間をかけて分かってもらうしかない類の不安もある。
*
次に向かったのは、小さな子供のいる若い夫婦の家だった。玄関先で幼い子供が母親の足にしがみつき、こちらをじっと見ていた。
「工事の音、うちの子が怖がってて」
母親が心配そうに言った。子供は母親の陰から、誠の作業着や道具をちらちらと窺っている。
「大きな音や振動が出る日は、事前にお知らせします。それと」
誠が言い終える前に、セラが一歩前に出た。
「作業時間を朝の早い時間帯に限定します。それと、家の前の道は一時的に迂回路を設けますので、登下校にも支障は出ません」
「迂回路、ですか」
父親が眉を寄せた。
「隣の通りを使う形になります。案内板も設置しますので、迷うことはないかと」
「それと、うちは朝が早いんです。作業の音が響き始める時間はどのくらいで」
「日の出から一刻ほど後を予定しています。それより早い時間帯の作業は避けます」
父親が安堵したように肩の力を抜いた。
「それなら助かります」
母親も少し表情を緩め、しゃがみ込んで子供に何か囁いた。子供は誠の方をまだ警戒気味に見ていたが、母親の言葉に頷くと、家の中へと駆けていった。
誠はセラの手際に、内心で舌を巻いた。技術の話より先に、生活の話に答えが出ている。
*
最後は、祖父母から孫まで三世代が同居する家だった。玄関先に一家が揃って出てきた様子から、既に噂が回っていたらしいことが窺えた。
「儂は正直、よう分からん」
祖父が渋い顔で言った。皺の刻まれた顔には、長年生きてきた者特有の頑固さが滲んでいた。誠は【大地審眼】の図を簡単な絵にして見せた。
「ここが弱くなっていて、こうやって支えを足します。工事が終われば、今よりずっと安心して住めます」
「絵で見せてもらっても、儂にはようわからん。だが……お前さんの言うことを、この町の連中は信用しとるようだな」
「ふむ……まあ、家が保つならそれでいい」
祖父はそう言うと、それ以上は追及しなかった。
一方、働き盛りの息子は別の心配をしていた。
「工房の営業に響かないか、そこが心配で。うちは客商売でしてね、埃っぽかったり音がうるさかったりすると、客足に響く」
「作業は建物の外側で完結します。営業時間中の立ち入りはありません。埃が出る作業は、店を閉めている早朝に済ませます」
「それなら、まあ」
息子は腕を組んだまま、それでも幾分か安心したような顔を見せた。
小さな孫娘だけは、心配より興味が勝っているようだった。誠の腰の道具袋を興味深そうに覗き込んでいる。
「土の中、見えるの? すごい」
「見える。今度、見せてやろうか」
「見たい!」
孫娘が飛び跳ねるように喜ぶと、祖父母も息子夫婦も、思わずといった様子で顔をほころばせた。張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。
祖父が孫娘の頭を撫でながら、誠に小さく頭を下げた。
「まあ……よろしく頼むわ」
「はい。ご迷惑は最小限にします」
三軒を回り終えた頃には、日が傾いていた。誠は一息ついた。
技術の判断は、頭の中で答えが出せる。基礎の弱点を見つけ、原因を突き止め、補強の方法を決める。そこまでは、誠が最も得意とする領域だった。だが人の不安に向き合うことは、答えを出すだけでは終わらない。老女には時間をかけて分かってもらうしかなく、若い夫婦には具体的な生活の段取りで応え、三世代の家族には一人ひとり違う言葉を選ぶ必要があった。同じ工事の説明でも、相手によって届き方がまるで違う。
「疲れたか」
セラが尋ねた。
「いや。ただ、こっちの方が、掘削より神経を使うと分かった」
セラは小さく笑った。
「発注者の仕事は、地面の下だけじゃありませんから」
「地面の下の方が、まだ楽だ。色さえ見えれば、答えは一つに決まる。だが人の気持ちは、そうはいかない」
「それでも、今日の三軒は、悪くない反応でしたよ」
「そうか?」
「はい。少なくとも、誰も工事そのものには反対しませんでした」
誠は空を見上げた。明日からは補強工事が始まる。工期は延びるが、それでいい。
「よし、明日からまた頼む」
誠はそう言うと、資材置き場へと足を向けた。
次回の更新は、9月16日 21:10を予定しています。
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