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第61話 現場監督、紙が形になるのを見る

朝、現場に人が集まり始めていた。


まだ日が低く、石畳に長い影が伸びている。土埃と朝露の匂いが混じる中、職人たちが道具を担いで次々と集まってくる。バルドの工房の職人たち、下請けの面々、それぞれが手に紙を持っている。誠が渡した基準書と仕様書だ。何度も目を通したのか、端が擦れて柔らかくなっているものもあった。


誠は前世の朝礼を思い出していた。ヘルメットを並べ、今日の作業手順を読み上げる。あの頃と何一つ変わらない緊張感が、この異世界の現場にもあった。ただ、あの頃の誠は指示される側で、今は指示する側に立っている。


「監督、揃いましたよ」


バルドが声をかけてきた。峠道の頃から比べると、その声には遠慮のなさが増している。誠は集まった顔ぶれを見渡した。峠道編から一緒にやってきた顔もあれば、今回初めて組む職人もいる。人数は峠道の現場より一回り小さいが、密集した町場だけに、動く範囲は限られていた。


道の両脇には、朝の支度を始めた住民たちの姿もあった。誰もが遠巻きにこちらを見ている。工事が始まることは、既にセラを通じて知らされているはずだが、その目にはまだ不安の色が残っていた。


「監督、こちらの準備はよろしいですか」


セラが書類の束を抱えて現れた。


「町への周知は済んだか」


「主要な通りには貼り出しを。個別に説明が必要な家には、昨日のうちに回っています。今日から音や振動が出ることも伝えてあります」


「助かる」


「あとは、監督の仕事です」


セラはそう言うと、少し離れた場所に控えた。


「今日から、逆打ちの一本目を組む」


誠はそう言うと、地面に広げた図面を指差した。


図面は、あの日ヴィムの店で基準を突き返した後、何度も書き直したものだ。頭の中の段取りを紙に落とし、それを実際に人に説明する。これも発注者になってから初めて経験する種類の仕事だった。


「普通の掘削とは順番が逆だ。まず地上から支えを打ち込んで、それから中を掘り下げる」


職人の一人が首を傾げた。


「支えを先に、ってのはどういう理屈です? 掘る前に何を支えるんです」


「掘った後の穴を支えるんじゃない。掘る前に、地面の中にあらかじめ支えを作っておく。そうすれば、掘り進めても周りの土や建物の基礎が緩まない」


「順番を逆にするだけで、そんなに違うもんですか」


「違う。普通のやり方は、穴を空けてから慌てて支える。だから一瞬でも無防備な時間ができる。今回は、その無防備な時間そのものを作らない」


誠は図面の上に指を這わせながら続けた。


「密集した町場じゃ、その一瞬の隙が命取りになる。だから今回は、順番を丸ごと変える」


年配の職人が腕を組んだまま口を開いた。


「順番を変えるだけで、材料も手間も余計にかかるんじゃないですかね」


「かかる。だが崩れてから直す手間と、住民の信用を失う損失を考えれば、安いもんだ」


年配の職人はしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。


「本当にそんなことができるんですかね」


別の職人が半信半疑の声を上げた。バルドがそれに答えた。


「俺も最初は疑った。だが誠の見立てと、この基準書の中身を見りゃ、筋は通ってる」


誠は仕様書のページをめくった。


「不安なのは分かる。だから今日は、まず一本だけ試す。上手くいけば、同じやり方を広げていく」


職人たちは顔を見合わせたが、反対する声は上がらなかった。誠はミラに目を向けた。


「ミラ、頼む」


「うん」


ミラが前に進み出た。周囲の職人たちの視線が、一斉に彼女に集まる。ミラは軽く深呼吸すると、地面に両手をつけ、目を閉じた。


一瞬の静寂の後、地面がわずかに震えた。


土が持ち上がるのではなく、内側から押し固められていくような、独特の動きだった。円形に区切られた範囲の土が、少しずつ密度を増していく。表面には何の変化もないのに、その下で確かに何かが起きている気配が伝わってくる。誠は【大地審眼】でその様子を追った。


土の色が、乱れのない均一な青緑に変わっていく。深さ一メートル、二メートルと、色の変化が下へ下へと沈んでいくのが見える。誠はこれまで何度もミラの魔法を見てきたが、これほど広い範囲を、これほど均一に締め固める様子を見るのは初めてだった。


「……こりゃ」


バルドが小さく声を漏らした。職人の一人が身を乗り出し、地面に手を当てた。


「締まってる。しかも一箇所も偏りがねえ」


「俺も触ってみていいですか」


別の職人がしゃがみ込み、地面を拳で軽く叩いた。硬い音が返ってくる。


「石畳より硬いんじゃねえか、これ」


普通の突き固め作業なら、力の入り方にむらが出る。人力で叩けば叩くほど、外側は締まっても中心が甘くなることが多い。だがミラの魔法は、地面の内部から均等に圧力をかけているようだった。


誠は驚きを隠せなかった。想定していたよりも、締固めの精度が高い。これなら支保の効きも計算通り以上に見込める。図面上で見積もっていた安全率に、さらに余裕が生まれる。


「ミラ、今の感覚を覚えておけ。次からも同じ強さでいい」


「うん、分かった」


ミラは額の汗を拭いながら、少し得意げに笑った。周りの職人たちから、思わずといった様子で拍手が起こった。ミラは照れくさそうに肩をすくめたが、その表情には確かな手応えが浮かんでいた。


続けて、地上から柱状の支保材が打ち込まれていく。バルドの工房で組み上げた木組みの支柱が、クレーンのような滑車仕掛けで吊り上げられ、締め固められた地盤に沿って、まっすぐに、狂いなく下りていく。


職人たちの手が息を合わせて滑車の綱を引く。一寸刻みで下りていく支柱を、別の職人が水準器で確かめながら合図を出す。


「もう少し右」


「そこで止め」


短いやり取りが続く中、誠は【大地審眼】でその一本を確認した。継ぎ目に赤も黄色も出ていない。計算通りの位置に、計算通りの強度で収まっている。土との密着も、ミラが締め固めた分だけしっかりしていた。


「入った」


職人の声に、周囲から小さな歓声が上がった。誠は支保の頭に手を当てた。硬く、揺るがない感触が返ってくる。指先から伝わる感触だけで、地中深くまでこの一本がしっかりと根を張っていることが分かった。


紙の上でしかなかったものが、今、目の前に立っている。


バルドが誠の肩を叩いた。


「一本目、上出来だ」


「まだ一本だ。これを、あと何十本と続ける」


「分かってる。だが、これで職人連中の顔つきも変わる」


誠は周りを見た。半信半疑だった職人たちの表情が、確かに変わっていた。誰も、口には出さないが、目の色が違う。さっきまで腕を組んで様子を窺っていた者が、今は自分から支柱に近づき、その硬さを確かめている。


「監督」


さきほど疑問を口にした職人が、誠のもとに歩み寄ってきた。


「正直、半信半疑でした。異世界の工法とか言われても、俺らにはピンとこなかった」


「今もピンときてないんじゃないか」


「いや」


職人は支柱を見上げた。


「理屈は分からんでも、これが立ってるのは分かります。次からは、俺も本気でやります」


誠はその言葉に、小さくうなずいた。仕様書の数字だけでは伝わらなかったものが、目の前の一本によって、初めて職人たちの中に根を張ったようだった。


誠は空を見上げた。まだ日は高い。今日一日で、あと数本は組める。


「よし、次を打つぞ」


誠がそう言うと、職人たちが手際よく動き出した。仕様書通りの手順で、次の支保の準備が始まる。滑車の綱が運ばれ、ミラが次の位置に移動し、再び地面に手を当てる。


誠はその様子を見ながら、小さく息を吐いた。


一本目は、ただの一本ではなかった。ここから先、何十本と続く支保の、最初の一本であり、職人たちの疑いを手応えに変えた一本でもあった。


だが同時に、ここからが本番だという緊張が、静かに胸の奥に灯っていた。密集した町の地下には、まだ診きれていない綻びが眠っているかもしれない。仕様書通りに事が運ぶ保証は、どこにもない。


誠は袖をまくり直し、次の現場へと足を向けた。


道の脇に立っていた住民の一人と、ふと目が合った。老齢の女が、支柱の立った場所をじっと見つめている。誠は小さく頭を下げた。女は戸惑ったように会釈を返すと、静かに家の中へ戻っていった。


まだ不安は消えていない。だが、疑いだけの目ではなくなっていた。誠はその変化を確かに感じ取りながら、次の一本に向かって歩き出した。

次回の更新は、9月15日 21:10を予定しています。


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