第60話 現場監督、笑顔の裏を見る
工事の段取りが固まりかけた朝、誠はレオンの執務室に呼ばれた。
「明日、ヴァレンス伯爵家から視察が来る」
「ヴァレンス伯爵家?」
「うちの隣の領地を治めてる家だ。歴史だけならうちより古い。表向きは友好の視察だが……」
レオンは言葉を濁し、軽く肩をすくめた。
「あそこは中央の貴族連中とも繋がりが深い。田舎の辺境伯家がどんな仕事をしてるか、様子を見に来るってところだろう」
「探りを入れに来る、ってことか」
「そこまでは言わんが、油断はするな」
「まあ、体裁だけの話だ。粗相のないようにな」
誠は前世の記憶をふと思い出した。現場を知らない上の人間が視察に来るとき、大抵は仕事の中身より見た目を気にする。今回もそういう類のものだろうと、誠は軽く受け止めた。
「分かった。現場は見せて構わないんだな」
「構わん。むしろ見せてやれ。お前の仕事ぶりを見りゃ、下手な文句もつけられんだろう」
レオンはそう言ったが、その口調にはどこか、完全には安心しきれない響きが混じっていた。
*
翌日、現場に一台の馬車が停まった。
降りてきたのは、細身の男だった。仕立てのいい上着に、皺一つない襟。歩き方に無駄がなく、まるで舞台の上を歩くようだった。整えられた髪、磨き上げられた靴。現場の泥や埃とは無縁の身なりが、かえって浮いて見えた。男は現場を見渡すと、口元に笑みを浮かべた。その笑みは、目までは届いていなかった。
「これはこれは。噂の現場ですね」
デニスは足元の土や資材の山を一瞥すると、わずかに眉をひそめた。だがそれもすぐに消え、また笑顔に戻った。
「デニスと申します。ヴァレンス伯爵家より、視察に参りました」
誠は軽く頭を下げた。
「誠です。この工事の監督をしています」
「ええ、存じております」
デニスの視線が、誠の全身をゆっくりと辿った。値踏みするような、値段を確かめるような目だった。
「失礼ながら、資格をお持ちで?」
「一級の施工管理技士……というのが、俺の世界での呼び名です。この世界に来てからは、実績で示すしかありませんが」
「なるほど、実績で」
デニスは笑みを崩さないまま、手元の帳面に何かを記した。
「では実績を伺いましょう。街道、峠道、いくつか噂は聞いております。ですが今回は下水と貯水、しかも密集した町場だとか」
「そうです」
「街道と町場では、勝手が違うのでは? 山を崩すのと、人の暮らす場所を掘るのとでは」
「違います。だからこそ、事前の調査に時間をかけました」
「調査、ですか。それは書面に?」
「あります。ご覧になりますか」
デニスは軽く手を振った。
「いえ、結構です。信じましょう」
「前例は?」
誠は一瞬、言葉を選んだ。
「この世界には、ありません。ですが、俺の元いた世界では、似た状況で使われていた工法です」
「異世界の工法、ですか」
デニスの声に、わずかな棘が混じった。
「試したこともない方法を、この町でお試しになる、と」
「試すのではなく、確実に成立する見込みがあるからやります」
「その見込みは、どなたが保証を?」
「俺です」
誠は淡々と答えた。デニスの笑みは崩れなかったが、目の奥にわずかな苛立ちが見えた気がした。だがそれもすぐに消え、また元の慇懃な表情に戻った。
誠は前世で似たような質問を浴びせられた経験を思い出していた。技術の中身ではなく、責任の所在ばかりを気にする相手。現場で汗をかいたことのない人間ほど、そういう質問を好む。
「ご自分で、ですか。心強いことです」
デニスは帳面のページをめくりながら、続けた。
「ですが仮に、その工法とやらが途中で通用しないと分かった場合、責任の所在はどちらに?」
「俺です。仕様も基準も、俺が定めたものですから」
「ずいぶんと重い荷を、お一人で背負われる」
「重くはありません。当然のことです」
デニスはわずかに眉を上げた。予想していた答えと違ったのか、一瞬だけ間が空いた。
「なるほど。頼もしい」
デニスはそう言うと、帳面を閉じた。誠はその態度に、レオンや職人たちとは違う種類の手強さを感じた。怒鳴られるわけでも、疑われて詰め寄られるわけでもない。ただ、笑顔の下で何かを測られ続けている感覚だった。
*
視察はそのまま、事務仕事の確認に移った。
セラが発注書や許認可の書類を持ってくると、デニスはそれを一枚ずつ丁寧に検めた。
「……この押印の位置ですが、通常はもう少し右側では?」
「地方によって差はありますが、この様式は辺境伯家の登記書式に準じています。中央の書式とは異なりますが、正式な手続きに則ったものです」
セラは表情を変えずに答えた。
「ほう。よくご存知だ」
「業務ですので」
デニスは次のページをめくった。
「こちらの資材調達の記載、単価の根拠は?」
「発注者である誠殿の基準書に基づいています。基準は現場の判断で決定されており、私はその手続きを整えているだけです」
「基準書、ですか。拝見しても?」
セラは誠に目配せしてから、基準書の写しをデニスに差し出した。デニスはそれをぱらぱらとめくり、興味なさそうに眺めた。
「数字ばかりで、素人には分かりませんね」
「専門の職人には分かる形になっています。実務のための書類ですので」
「なるほど。……ときに、こちらの署名欄ですが、辺境伯様の裁可印がありませんね」
「今回の発注分は、レオン様より誠殿に一任されています。裁可印は権限委譲の際、別途取り交わし済みです」
「その取り交わしの書類は?」
「こちらに」
セラは淀みなく別の書類を差し出した。デニスはそれをしばらく眺め、小さく息を吐いた。
「……よく整理されている」
「平民が仕様を決める工事、というのも、なかなか珍しい形ですね」
セラの表情がわずかに硬くなった。だがすぐに、いつもの平静な声で返した。
平民から成り上がったセラにとって、この手の一言は初めてではないはずだった。それでも声を揺らさずに応じる姿に、誠は静かな敬意を覚えた。
「珍しいかどうかは存じませんが、書類上の手続きに不備はありません」
デニスは書類を返しながら、微笑んだ。
「いえ、失礼。感心しているのですよ。これほど整った書類を、こんな短い期間で」
その言葉には、褒め言葉のはずなのに、どこか冷ややかな響きがあった。
誠は横で聞きながら、二人の違いをはっきりと感じ取った。セラは問われるたびに、実務の中身で応じる。デニスは問うたびに、体裁や出自の話に戻ろうとする。実務で敵わないと分かっていても、それを認めない。
叩き上げの強さと、血筋にあぐらをかいた者の脆さが、そこに並んで立っていた。
*
視察の一行が去り際、デニスは馬車に乗る前に振り返った。
「良い視察でした。町のためにもなる工事なのでしょう」
デニスは誠とセラを交互に見た。
「ただ――平民が仕様を決め、平民あがりの女官が書類を整える。ヴァレンス伯爵家では、あまり見ない光景でしてね」
「珍しい光景の方が、良い仕事をすることもあります」
誠がそう返すと、デニスは一瞬だけ表情を止めた。
「……そうですね。楽しみにしております」
デニスはそう言い残すと、笑みを浮かべたまま馬車に乗り込んだ。馬車が遠ざかっていくのを、誠は黙って見送った。
「……感じの悪い人でしたね」
ミラが小声で呟いた。
「デニスとかいう人、監督のこと、ずっと値踏みしてるみたいだった」
「まあ、そういう仕事なんだろう」
セラは何も言わず、書類を胸に抱え直した。誠はその横顔を見た。
「気にするな。書類に不備はなかったんだろう」
「はい。ですが」
セラは小さく息を吐いた。
「ああいう方は、実務では負けても、別のところで勝とうとします」
誠はその言葉に、前世で似たような相手と対峙した記憶を重ねた。現場の実力では敵わないと分かっていても、肩書きや立場を盾に難癖をつけてくる相手は、どの世界にもいるらしい。
セラは書類を抱え直しながら、小さく付け加えた。
「私は慣れています。監督は、あまり気にされませんように」
「気にしてない。ただ、ああいう相手が今後も来るなら、もっと隙のない仕事をするだけだ」
誠はそう言うと、現場の方に目を向けた。地下に埋まる下水と貯水の仕組みが、少しずつ形になろうとしている。
「今日の分の仕事に戻るぞ」
誠はそう言うと、資材置き場に向かって歩き出した。
次回の更新は、9月14日 21:10を予定しています。
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