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第59話 現場監督、仕様を決める側になる

朝一番、誠はレオンの執務室に呼ばれた。


「昨日の話を正式に決めた」


レオンは羊皮紙を一枚、机の上に滑らせた。


「今回の下水道と貯水の工事、お前を発注者として扱う。下請けの手配も、資材の基準も、お前が決めろ」


誠はその紙を手に取った。簡素な文字で、権限の委譲が記されている。


「今までとは違うぞ」


「分かってる」


「雇われ技師なら、俺が最終判断をして、お前はその通りに動けばよかった。だが発注者ってのは、判断そのものがお前の仕事になる」


誠は紙を見つめたまま、しばらく黙った。


前世でも、現場監督と発注者では見える景色が違った。現場監督は目の前の段取りを考えればいい。だが発注者は、その先の全部に責任を持つ。予算も、工期も、下請けの選定も、資材の善し悪しも。誰かに指示されるのではなく、指示を出す側になる。


「まぁ、不安になることはないさ」


「というと?」


「セラに書式周りを手伝わせる。契約書、発注書、その辺りは彼女が慣れてる」


「なるほど、それは助かる」


「ただ、中身は全てお前が決めろ」


レオンはそう言うと、軽く肩を叩いた。


  *


その日の午後、誠は借りた一室の机に向かっていた。


紙とペンを前に、手が止まっていた。


逆打ちの発想は頭の中にある。支えを先に組み、そこから掘り下げる。だがそれを「誰が読んでも同じように作れる」形にしようとすると、途端に難しくなった。


前世なら、標準仕様書があった。会社が用意した書式に、数字を当てはめればよかった。柱の間隔、支保の強度、掘削の深さごとの許容値。誰が書いても同じ答えに辿り着く仕組みが、最初から用意されていた。


ここには、それがない。


「監督、何やってんの?」


ミラが机を覗き込んだ。


「仕様書、って言えば分かるか」


「分かんない」


「工事の計画を、紙に書き出す作業だ。俺がいなくても、この紙を読んだ職人が同じものを作れるようにする」


ミラは首を傾げた。


「監督がいなくても、いいの?」


「俺は一人しかいない。だが工事は、あちこちで同時に動くこともある。掘る班、支えを組む班、資材を運ぶ班。全部の場所に俺が張り付いてるわけにはいかない」


「じゃあ、この紙が監督の代わりになるの?」


「そうだ。俺の目で見て、俺の頭で判断したことを、誰でも同じように再現できる形にする」


誠はペンを紙に置いた。


「大地審眼で赤が出た基礎、あれをどう扱うか。俺の頭の中じゃ『危ないから支える』で済む。だが紙に書くなら、どこまでの赤が危険で、どういう支えを組めば安全なのか、数字と手順で示さなきゃならん」


「難しそう」


「あぁ、難しい」


誠は自分の【大地審眼】で見てきた色を思い出しながら、一つずつ言葉にしていった。黄色の段階では監視のみ、赤の段階では即座に支保を組む。支保の間隔、使う材の太さ。バルドから聞いた石積みの限界も、数字に落とし込む。


「これじゃ足りない」


誠は一度書いた行を何度も消しては書き直した。頭の中では当たり前に分かっていることが、いざ言葉にすると抜け落ちる。「支えを先に組む」だけでは、どの順番で、どこから手をつけるのかが誰にも伝わらない。誠は一つ一つの動作を、朝礼で説明するときよりも細かく分解していった。


書き終える頃には、日が傾いていた。


誠は紙を見下ろした。書かれているのは、ただの手順書だ。だがこれを使えば、誠がいない現場でも、同じ判断ができる。


同時に、誠の胸に別の感覚が生まれていた。


この紙の通りに、他人が動くことになる。もし数字を間違えれば、その責任は誠一人にのしかかる。


「……こりゃ、思ったより重い仕事だな」


誠は小さく呟き、紙を丁寧に折りたたんだ。


  *


翌日、誠はヴィムの店を訪ねた。今日は買い付けではなく、注文のためだった。


「監督、また何か入用かい」


「今回は少し勝手が違うんだ」


誠は懐から、書き上げたばかりの紙を取り出した。


「石材と木材、それぞれこの基準を満たすものを揃えてほしい」


ヴィムは紙を受け取り、目を通した。太さ、密度、乾燥の度合いまで数字で指定されている。


「……こりゃまた、細かいな」


「密集した町の地下を掘る。支えの材が甘けりゃ、上の家ごと持っていかれる」


ヴィムは口笛を吹くように息を吐いた。


「分かった。揃えてみよう」


  *


数日後、ヴィムが運んできた資材の一部を、誠は【大地審眼】で確認した。木材の一部に、黄色がかった反応があった。


「ヴィム、これじゃあ基準を満たせてないぞ」


「そんな馬鹿な。どれも上物だぞ、これは」


「見た目は上物でも、繊維の詰まり方が甘い。基準書の三番、含水率の項目を見てくれ」


ヴィムは基準書を取り出し、指でなぞった。


「……確かに、際どいところだな」


「上物かどうかじゃない。俺が出した基準を満たすかどうかだ」


ヴィムは一瞬、むっとした顔をしたが、誠の視線を受けて口をつぐんだ。


「……分かった。別の物を用意するから待っててくれ」


「頼む」


そういって、ヴィムが店の奥に消えていった。


1時間ほど経ったころ、ヴィムが戻ってきた。新しい資材の用意ができたそうだ。


「よくこんな短時間で新しいのを用意できたな」


「上質過ぎて埃を被ってた資材を思い出してな」


ヴィムは資材を荷車に積み直しながら、ふと笑った。


「しかし、監督もいつの間にか、向こう側の人間になったもんだな」


「向こう側?」


「値切られる側から、値を決める側だ」


誠は少し考えて、苦笑した。


「柄じゃないと思ってるよ」


「柄かどうかなんてどうでもいい。基準さえはっきりしてりゃ、こっちも仕事はしやすい」


ヴィムはそう言うと、新しい資材の手配に取り掛かった。


同じ基準書は、バルドの工房にも渡された。バルドは基準書に目を通すと、太い指で気になる箇所を叩いた。


「この支保の間隔、俺たちの組み方だと少し詰めた方がいい」


「経験則か」


「経験則だ。だが理屈は合ってるはずだ」


誠はその場で数字を調整した。基準は誠一人が決めるものではなく、現場の声を吸い上げて固めていくものだと、改めて実感した。


下請けの職人たちには、朝礼で基準書の要点をかいつまんで説明した。数字の羅列に戸惑う顔もあったが、「なぜこの数字なのか」を一つずつ説くと、次第に頷きが増えていった。


誠一人の頭にあった段取りが、少しずつ、複数の手に渡っていく。


  *


夕方、誠は空になった資材置き場に立っていた。仕様書は書けた。基準も示した。だが、これで終わりではない。これからは、その基準を誰かが破ったとき、止めるのも誠の仕事になる。


「監督」


セラが書類を抱えて歩いてきた。


「発注の手続き、こちらで進めておきました。あとは現場の判断次第です」


「ああ」


「……何か、顔つきが変わりましたね」


誠は自分の頬に触れた。


「そうか?」


「以前は、言われたことをどう捌くか、という顔をしていました。でも今は」


セラは少し言葉を選ぶように、間を置いた。


「自分で決めたことに、自分で責任を持つ顔です」


誠は苦笑した。


「重い顔してるってことか」


「悪い意味ではありません」


セラは少し目を伏せた。


「私も、書類の仕事を始めた頃は同じでした。誰かの決めたことを、間違いなく形にするだけの仕事だと思っていました。……でも、続けるうちに分かったんです。書類の一枚一枚にも、責任は宿るんだと」


「お前も、向こう側の人間ってことか」


「そうかもしれません」


セラは小さく笑った。誠は資材置き場を見渡した。ここに積まれる石も木も、これから誠の基準で選ばれ、誠の仕様書に従って組まれていく。


これまでとは違う重さが、誠の肩にのしかかっていた。


だが同時に、それは前世では一度も持てなかった種類の重さでもあった。


「……さて」


誠は空を見上げた。夕焼けが、密集した屋根の連なりを赤く染めていた。


「次は、実際に組んでみるとするか」

次回の更新は、9月13日 21:10を予定しています。


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