第49話 現場監督、古い岩と向き合う
谷向こうの集落は、思っていたより静かだった。
いや、静かというより、規則正しかった。金属を打つ甲高い音が一定の間隔で響き、その合間に石を運ぶ足音が挟まる。無駄口はほとんど聞こえない。空気には細かい粉塵が漂い、吸うたびに喉の奥がざらついた。岩を割った時特有の、乾いた石の匂いが濃い。
天幕と粗末な小屋が並んでいるだけの集落だった。流れの技術者集団らしく、腰を据えた造りの家は一つもない。道具は種類ごとに木箱へ整然と収められ、荷車には既に縄がかけられている。仕事が終われば畳んで、また別の山へ移る。そういう暮らし方が、風景そのものから伝わってきた。
集落の入り口に立つと、あちこちから視線が飛んできた。歓迎とは程遠い、値踏みするような目つきだった。手を止めて誠たちを見る者、見て見ぬふりで作業を続ける者。近くにいた若い男が舌打ち混じりに視線を逸らす。反応は割れていたが、どちらの目にも共通して「よそ者」という色が滲んでいた。
「監督……なーんか、居心地悪い」
ミラが誠の後ろに半歩下がった。声が小さい。
「俺たちはよそ者だからな。無理もない」
「私、こういう空気、知ってる。……村で、土魔法を気味悪がられてた時の目と、似てる」
誠は足を止めず、だがミラの言葉を聞き逃さなかった。よそ者を値踏みする目と、異質なものを遠巻きにする目は、確かに根っこが似ている。
「向こうにも、向こうの事情があるんだろう。今はまだ、な」
案内も出迎えもないまま、二人は集落の奥へ進んだ。作業場の一角、岩を削る音が特に大きい場所に、ひときわがっしりとした体躯の男が立っていた。
背丈は誠の肩にも届かないほど低い。だが横幅と厚みはガルフに匹敵する。長い髭は帯できっちりと束ねられ、襟元にしまい込まれている。肌にも服にも岩塵がこびりつき、洗っても落ちないのだと一目でわかった。歳の見当がまるでつかない。
「ホルバ、だな」
誠が声をかけると、男は手を止めもせず、鑿を岩に当てたまま横目でこちらを見た。
「用は」
短い一言だけだった。
「峠の隧道工事を頼みたい。エーレン峠だ」
「ああ、あそこか」
「請けてくれるか」
「断る」
取りつく島もなかった。ホルバは再び岩に視線を戻し、鑿を打ち始める。
「理由は?」
「理由なんぞいるのか?断るのに」
「ある方が、次の手を考えやすい」
ホルバの手が一瞬止まった。だがすぐにまた動き出す。
「山を舐めるやつは願い下げだ。金の匂いだけで来るやつも、な」
「舐めちゃいない。今日はまだ、頼みに来ただけだ」
「頼み方も知らんやつが多い」
言葉は素っ気ないが、突き放すというより、諦めが染みついたような響きだった。バルドの頑固さとは違う。バルドは向かってくる岩そのものだったが、ホルバの態度は、削られ続けてなお動かない、古い岩のようだった。
「じゃあ、試すか」
ホルバが手を止め、初めてこちらへ向き直った。
「あの峠のどこまで見た」
「崩落の中心と、ふもと側、尾根に近い側。数か所を診た」
「診て終わりか?」
「浮石の区画と、水が染み出してる筋、風化の進んだ層。三種類が混ざってる。ふもと寄りの一角だけ、厚みが安定してた」
ホルバの目つきがわずかに変わった。値踏みの色は消えないが、その奥に別の何かが混じり始めていた。
「怪我人が出たらどうする」
唐突な問いだった。だが誠は迷わなかった。
「無理に進めさせないさ。危ないと判断したら、その場で工程を止める。負傷者を出してまで進める現場て、まともな仕事なんてできない」
ホルバの手が、鑿の柄をわずかに握り直した。先ほどよりも長い間があった。
「……綺麗事だ」
「綺麗事で終わらせないために、記録と工程表を作るんだ」
「診ただけで掘れると思うな。掘った先に何があるかは、掘るまで誰にもわからん」
「わかってる。だから、途中で判断を変えられる工程を組みたい」
「途中で判断を変える工程、だと」
「毎日の進み具合を記録して、次の日の計画に反映する。予定通りいかない場所が出たら、その場で判断して図面を引き直す。誰か一人の勘や経験だけに頼らない仕組みだ」
矢継ぎ早の問いに、誠は言葉を選ばず答えた。技術の話なら、迷う理由がない。
ホルバの手が、完全に止まった。
「……記録、か」
「――素人にしちゃ、見えてるな」
ホルバが初めてまともに誠を見た。値踏みする目つきの奥で、何かが小さく揺れた。
「本業だ、前の世界じゃ」
その一言に、値踏みとは違う重さが乗っている気がした。誠は続けようとしたが、ホルバはすぐに視線を逸らし、鑿を握り直した。
「悪くない話だ、とは思う」
「請けてくれるのか」
「いや」
「――」
「気に入らねえ仕事は請けねえ。それがうちのやり方だ」
ホルバは鑿を置き、初めて誠と正面から向き合った。
「金なら他でも稼げる。だが、途中で放り出すような現場に付き合う気はねえ」
「放り出す気はない。最後までやる」
「口ではみんなそう言う」
「言うだけの相手なら、俺もここまで来ない」
誠は間を置かず言葉を返した。
「橋も、堤防も、投げ出したことは一度もない。峠も同じだ」
ホルバはしばらく誠の顔を見据えていた。試すような、値踏みするような、それでいてどこか懐かしむような目だった。
沈黙が落ちた。集落の作業音だけが響く。誠はそれ以上言葉を重ねず、ただホルバの目を見返した。
やがてホルバが、深く息を吐いた。
「……工程とやらを、一度だけ見せてみろ。話はそれからだ」
完全な承諾ではない。だが扉は開いた。
「気に入らなきゃ、いつでも降りる。それでいいならな」
「それで構わない」
「後悔しても知らんぞ」
ホルバはそれだけ言うと、また鑿を手に取った。話はもう終わりだという態度だった。
集落を出て、山道を戻る間、ミラがずっと誠の顔を窺っていた。
「監督、なんか変じゃなかった? 『記録』って言った時、あの人、明らかに止まったよね」
「ああ。あれは、ただ渋ってる態度とは違った」
誠の脳裏に、あの一瞬の沈黙が焼き付いていた。値踏みでも警戒でもない、もっと深いところにある何か。
「気難しいだけの頭領、って感じじゃなかったな」
「うん。……なんか、すごく、疲れてる人の目だった」
ミラの一言が、誠の中で妙にしっくりきた。頑固さの裏に、諦めに似た何かが沈んでいる。バルドとは違う種類の重さだった。
振り返ると、集落はもう作業音しか聞こえなかった。誰も見送りには出てこない。それが逆に、ホルバの言葉に嘘がないことを物語っている気がした。
一度だけ見せろ、と言われた工程表は、これから作らなければならない。相手は岩と、そして何かを抱えた頭領だ。どちらも生半可な段取りでは通用しないだろう。
――何を、抱えてるんだ、あの男は。
次回の更新は、9月1日 21:10を予定しています。
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