第48話 現場監督、選ばれる側に回る
エーレン峠は、遠目に見た時よりずっと荒々しかった。
切り立った岩肌が幾重にも重なり、崩れた斜面からは乾いた土埃が絶えず舞っている。近づくほどに空気が変わった。日向の熱気に、岩の奥からにじみ出る冷たく湿った匂いが混じる。踏みしめる地面もざらついた砂利交じりで、いつもの土や粘土とは重さが違う。
道の端には、朽ちかけた荷車の残骸が転がっていた。何年前のものかもわからない。轍の跡は途中で途切れ、崩落に呑まれたまま放置されている。
道中ですれ違ったのは、猟師らしき男が一人だけだった。隊商どころか、旅人の姿すらほとんどない。噂に聞いた「命懸けの峠」という言葉の重みを、誠は肌で実感していた。
「監督、なんか……嫌な感じ」
ミラが足元の小石を蹴りながら呟いた。
「嫌な感じ、で終わらせるな。何が引っかかている?」
「土と違って、どこに力がかかってるのか、私にはさっぱり見えない。畑とか堤とか、地面のことならだいぶわかるようになったのに」
いつもなら地面を一目見れば含水比や締まり具合が肌でわかる。だが目の前の岩壁は、彼女にとって初めて「読めない相手」だった。
誠は崩落跡の中心に立ち、【大地審眼】を発動させた。
視界に広がったのは、これまでとは種類の違う色の氾濫だった。斜面のあちこちに赤信号が点在し、堤防や道の比ではない数だ。
「これは……」
思わず声が漏れた。誠は一つ一つ、色の違いを見比べていく。崩れた斜面の一部に、今にも落ちてきそうな赤い輪郭が浮かぶ。少し離れた岩の割れ目からは、じわりと滲むような赤が続いている。さらに斜め上、風化の進んだ層は、黄色がまだらに広がっていた。
「三つ、種類が違う」
誠はミラを手招きした。
「これはただ緩んでるだけの浮石。落ちる前提で見ておけって印だ。あっちは水が染み出してる筋 ―― 岩の内側に水の通り道ができてる証拠だ。時間をかけて中から崩す」
「じゃあ、ここは?」
「風化だな。長年、雨と乾燥を繰り返して岩そのものが弱くなってる。すぐには落ちないが、掘れば掘るほど正体を現す」
「土魔法で盛った堤より、ずっと嫌な感じがする理由、わかった気がする」
ミラが自分の腕をさすった。
「土は、私が形を作れる。でもあれは、もう形が決まってて、悪い方に崩れるのを待ってるだけ」
「その感覚を覚えておけ。今度の相手はそれだ」
誠は縄を取り出し、赤信号の出た区画に沿って杭を打っていく。ミラも見よう見まねで手伝った。危険箇所に人を近づけないための、最低限の安全管理だ。地味な作業だが、これがなければ調査そのものが命懸けになる。
杭を打つ最中、ミラが浮石の真下に近づきかけた。
「そこから動くな」
誠の声が飛ぶのとほぼ同時、ミラは足を止めた。頭上の岩が小さく震え、砂粒がぱらぱらと落ちる。すぐに収まったが、ミラは息を呑んだまま動けずにいた。
「……今の、もしかして危なかった?」
「あぁ、危なかった。だから縄の内側には入るなと言ったんだ」
淡々とした声に、ミラは何度もうなずいた。土仕事なら勘で立ち回れる彼女が、初めて「勘の利かない現場」の怖さを肌で知った瞬間だった。
危険箇所を一通り縄で囲ったあと、誠は峠道に沿って場所を変えながら【大地審眼】をかけ直した。崩落の中心地だけでなく、峠のふもと側と、尾根に近い側と、離れた数か所を歩いて回る。
「監督、さっきから何を探してるの」
「山を貫くにしても、どこから掘り始めるかで話が変わる。入り口に向いた場所と、向かない場所がある」
「違いなんてあるの? どこも岩だらけじゃない」
「表面の岩が薄くて、中まで脆い場所は避けたい。逆に、ある程度の厚みで安定した岩盤が続いてる場所なら、掘った後も崩れにくい」
誠はふもと寄りの一角で足を止めた。そこだけ【大地審眼】の反応が薄く沈んだ青に近い。
「ここは悪くなさそうだ」
「候補って感じ?」
「あくまで候補だ。決めるのは俺じゃない」
言いながら、誠の頭の中では既に大まかな距離の見当がつき始めていた。反対側の斜面まで、目測でどれほどの長さになるか。峠を大きく迂回する今の道より、はるかに短い距離で北へ抜けられる。
「バルド、こっち見てくれ」
離れた場所で岩肌を叩いていた村の職人ギルドを束ねる親方のバルドが、渋い顔で歩いてきた。あちこちの露頭を順番に叩き、耳を澄ませ、爪で引っ掻いては粉の落ち方を確かめていく。
「わかってる。ここの岩、あちこち脆すぎるんだ」
「橋の石材には使えるか」
「使える場所と使えねえ場所がある。それくらいは俺の目でわかる。石工の目じゃ、質の善し悪しはわかるし、橋の橋脚に使うか使わねえかも判断できる。だがな……」
バルドは珍しく歯切れが悪かった。腕を組み、崩落跡から目を逸らす。
「坑を掘って、山の中に道を通す、なんて話になると、俺の領分じゃねえ」
「領分外か」
「認めるのは癪だがな。うちは石を切り出す側だ。山の腹に潜り込んで、崩れねえように支えながら掘り進む――あれは、また別の腕だ。俺が半端に手を出して人を死なせるくらいなら、最初から知らねえと言った方がマシだ」
誠は驚かなかった。橋も砦も、バルドの経験がそのまま通用してきた。だが今度ばかりは、相手が違いすぎる。バルドがここまではっきり弱音を吐くのを、誠は初めて見た気がした。
「じゃあ、誰に頼む」
「……いる、事情通なら知ってる連中が」
バルドは腕を組み、しばらく渋い顔で黙り込んだ。誠が急かさずに待っていると、ようやく口を開いた。
「坑道専門の一団だ。変わり者揃いでな。人里離れたところを渡り歩いて、鉱山だの坑道だのを請け負ってる。腕は本物だって話は聞くが……こっちとはあまり付き合いがねえ」
「気難しいのか」
「知らねえよ、会ったこともねえんだから」
バルドは苦い顔で吐き捨てた。
「ただ、噂じゃ、金だけじゃ簡単に頷かねえらしい。仕事を選ぶ連中だとよ。一癖も二癖もある一団らしいぞ」
「仕事を選ぶ、ね」
「気に入らねえ仕事は、いくら積まれても断るって話だ。……まあ、俺が言えた義理じゃねえがな」
バルドがばつが悪そうに鼻を鳴らした。誠はその一言に、かすかな親近感を覚えた。
「その一団、どこに行けば会える」
「山向こうの谷に、仮住まいの集落があるらしい。噂で聞いた話じゃ、な」
「噂頼りか」
「悪いか。俺だって行ったことねえんだよ」
バルドはむっとした顔で言い返してから、少し声を落とした。
「……本当に頼む気か。噂じゃ、頭領は輪をかけて頑固らしいぞ」
「他に当てがあるならそうする。ないなら、行くしかないだろう」
「まあ、な」
バルドが短く息を吐いた。
誠も崩落跡へ視線を戻した。赤く光る岩肌が、まだそこかしこに残っている。この規模の相手を任せられるなら、多少の気難しさなど贅沢な悩みだ。
だが「一癖も二癖もある」という言葉が、妙に耳に残った。
これまで会ってきた相手は、頑固でも道理を通せば動いた。ドルガもバルドも、オルソンのような相手でさえ、突き詰めれば理屈と実績で押し切れた。
金でも理屈でもなく仕事を選ぶ、という一団は初めてだ。
説得材料は、これから自分たちで作るしかない。
――さて、どんな連中なんだか。
次回の更新は、8月31日 21:10を予定しています。
【お願い】
もし面白かったら、下のブックマーク(★)や評価で応援いただけると非常に励みになります!
(ブックマークは下の「ブックマークに追加」ボタンからお願いします)
【本作品のAI利用について】
本作品は「小説家になろう」の規定に基づき、生成AIを執筆・構成の補助として使用しております。
※本作品は「カクヨム」様にも掲載しております。




