第4話 現場監督、村の諦めを知る
ダンとともに誠が村に着く頃には、夕闇が村を覆い始めていた。
橙色に沈む空の下、ダンの荷車に続いて歩く誠の鼻に、薪を焚く匂いが届く。木造の家々は、どれも屋根の一部が継ぎ接ぎだらけだった。新しい藁と古い藁が斑に混じり、応急処置を重ねてきた年月がそのまま形になっている。
空気は急速に冷え始め、どこかで牛か山羊が低く鳴いた。子供の笑い声と、鍋を叩く音が入り混じって聞こえてくる。日が落ちるにつれ、吐く息がうっすらと白くなり始めた。
道行く村人たちの視線が、誠に集まった。作業着姿のよそ者を、遠巻きに、値踏みするように見る目だった。
「村長、ちょっと聞いてくれ! こいつが荷車を助けてくれてよ!」
ダンが声を張り上げると、広場の奥、焚き火のそばに座っていた白髪の老人がゆっくりと立ち上がった。日に焼けた顔に刻まれた皺が深い。杖代わりなのか、節くれだった鍬を片手に携えている。
「見ない顔だな」
低く、値踏みするような声だった。
「轟誠と申します。道に迷っていたところをダンさんに助けていただきまして」
「ふん」
村長――ドルガは、誠の頭から爪先までを一瞥した。ヘルメット、安全ベスト、泥だらけの靴。どれも見たことのない造りだったはずだが、ドルガの表情は変わらなかった。よそ者を警戒しているというより、この村では何を見ても驚かなくなった、そんな乾いた目だった。
「どこの誰だろうと知ったこっちゃない。飯は食わせられん。」
「村長、こいつは荷車を助けて――」
「わかっとる。だから今夜だけは泊めてやる」
にべもない言葉だったが、ダンはそれで十分だというように頷いた。誠も頭を下げるに留めた。歓迎されているわけではない。それでも、拒まれなかっただけましだった。
――甘えを許さない代わりに、貸しは貸しとして返す。そういう筋の通し方をする男だ。誠はそう見立てた。現場にも、こういう頑固な職長は何人もいた。扱い方は分かっているつもりだった。
案内された家の前で、湯気の立つ鍋の匂いが誠を出迎えた。
焚き火にかけられた大鍋から、根菜と干し肉の匂いが立ち上っている。粗末な木の椀を手渡してきたのは、疲れた面差しに柔らかさを残す若い女だった。
「ハンナと申します。今日はこれくらいしかご用意できなくて……ごめんなさいね」
椀の中身は、色の薄いスープに、不揃いに切られた根菜と、筋の多い干し肉が沈んでいた。誠は一口すすった。
塩気は薄いが、根菜の甘みが染み出している。噛むと干し肉が繊維状にほどけ、じんわりと出汁が広がった。空腹だったこともあり、体の芯まで染み渡るような温かさだった。湯気が顔にかかり、指先の冷えがゆっくりとほどけていく。冷えた体に、椀の熱がじんわりと伝わってくるのが分かった。
「美味いです」
「そう……?」
ハンナは少し驚いた顔をして、それから頬を緩めた。
「お世辞でも、嬉しいわ。うちの村じゃ、大したものは作れないから」
「お世辞じゃないです」
「そう言っていただけると、救われます。……でも、こんな村なんです。道は毎年ぬかるみますし、橋がなければ冬も越せなくて。文句を言っても仕方ないからって、みんな諦めてしまっていて」
ハンナの声には、恨みも悲壮さもなかった。ただ、当たり前のこととして受け入れている諦観だけがあった。そう言った直後、視線がふっと焚き火の向こうへ逸れる。誠の知らない何かを見ているような、一瞬の遠い目だった。誠はそれ以上踏み込まなかった。
誠は椀の中身を見つめながら、それ以上何も言えなかった。
食事を終えた誠は、少し村を歩いた。
夜の帳が完全に降り、家々の窓から漏れる灯りだけが、道をぼんやりと照らしていた。誠は歩きながら、無意識に【大地審眼】を働かせていた。
井戸の石組みは、継ぎ目のあたりが黄色く滲んでいる。家々の土台も同様だった。青く健全なものはほとんどなく、黄色と、時折混じる橙色ばかりだ。応急処置の上に応急処置を重ねた村。神殿で視た崩れかけの柱と、同じ色をしていた。
(この村、あとどれだけ保つんだろうな)
色は見えても、それは分からない。ガイエラの言葉通りだった。だが色の分布だけで、この村が長く手を入れられていないことは十分に読み取れた。
井戸端に人だかりができている。誠はなんとなくそちらへ足を向けた。
そこには痩せた少女が一人、井戸の脇にしゃがみ込んでいた。土色がかった赤毛を無造作に括り、服は土で汚れている。手をかざした地面が、じわりと盛り上がっていく。土を操作する魔法だ。だが盛り上がった土は歪で、すぐに端から崩れていった。
「またそれかよ」
村の若い男が鼻で笑った。
「土いじりなんかいくらやったって、何も変わりゃしねえよ」
別の声が続く。笑い声がいくつか重なった。少女――ミラは、崩れた土をじっと見つめたまま、何も言い返さなかった。誰とも目を合わせず、ただ、慣れた表情だった。傷ついているというより、とうにその感情を通り過ぎてしまったような顔だった。
誠はその横顔をしばらく見ていた。
村人たちが散っていっても、ミラは井戸端に残り、また地面に手をかざしていた。何度も、何度も。誰にも期待されていないことを、それでも繰り返していた。
教わる場所も、認めてくれる相手もないまま、それでも手を止めない。誠は前世で見てきた、誰にも見られない場所で腕を磨く若手の姿と、その背中を重ねた。あの粘り強さは、腐らせるにはもったいない。ふとそんな考えが頭をよぎった。
だが誠は声をかけずに、その場を離れた。
誠にあてがわれた納屋の隅、藁の上に横になった。
天井の隙間から夜風が入り込み、遠くで虫の声がする。いろいろあって疲れているはずだが、眠気は来なかった。
昼間視た道の色を思い出す。赤く滲んだ轍。ピノの足首。ハンナの優しくも諦めきった声。ミラの、崩れた土を見つめる横顔。井戸も、家々も、黄色と橙色ばかりだった村の色。
段取り一つ、手順一つで変わるものが、ここでは何一つ手をつけられないまま放置されている。
前世でも、こういう現場を何度も見てきた。手が足りない。金が足りない。だから仕方ない、で済まされていく現場を。
だが、済ませていいわけがなかった。誰にも頼まれていない。それでも、見てしまった以上は見なかったことにできない。それが誠という男の性分だった。損な性分だと、自分でも分かっている。だが今さら変えられるものでもなかった。
誠は暗闇の中で目を開けたまま、夜明けを待った。
まだ日も昇らぬうちに、誠は鍬を手に取っていた。
次回の更新は、7月15日 17:10を予定しています。
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