第34話 現場監督、証拠で語る
辺境伯の執務室は、砦の城代の部屋とは違い、質素だった。
継ぎの当たった袖を隠しもしないレオンが、セラの持参した帳面と誠の木片を交互に見比べている。窓の外では、朝から降り始めた粉雪が、乾いた音もなく積もり始めていた。暖炉の火は控えめで、指先の冷たさが抜けきらない。この部屋の質素さが、誠には妙に落ち着いた。
「三年、か」
レオンの声は低かった。いつもの気さくさは鳴りを潜め、目つきだけが商人のように鋭く光っている。
「これだけの証拠が揃っているのに、城代を呼び出して詰問するだけじゃ足りない。あの手の男は、密室ならいくらでも言い訳を用意してくる」
「では、どうなさいますか」
誠が問うと、レオンは口の端を上げた。
「監督殿の得意分野だろう。誰の目にも見える形で、決着をつけてもらいたい」
誠は一瞬、前世の記憶が過ぎった。密室の会議で揉み消された安全報告。責任の所在があやふやなまま、現場だけが泥をかぶった日々。もう二度と、そうはさせない。
「衆人環視の場で、資材の強度試験をやりましょう」
セラが小さく息を呑む。
「城代様を、公の場に引っ張り出すということですか」
「呼び出すんじゃない。招くんです。『正式な点検の立会いを』と、丁重に。断る理由を与えなければ、向こうから逃げ場を選べなくなる」
誠の口元に、静かな確信が浮かんだ。
「証拠の写しは私が改めて整理します」
セラが帳面を胸に抱え直した。その声には、もう震えはなかった。
「監督殿」
レオンが、少し声を落として続けた。
「言っておくが、城代は貴族位を持つ者だ。証拠が揃っていても、公にすれば波風は立つ。私の立場も、無傷では済まないかもしれない」
「それでも、やりますか」
誠が問うと、レオンは肩をすくめた。
「貧乏辺境伯の意地でね。金がない分、筋だけは通したい。父の代からずっと、中央には頭を下げっぱなしだったんだ。せめてこの領地の中でくらい、正しいことを正しいと言えなくてどうする」
その言葉には、まだ誠の知らない何かが滲んでいる気がしたが、深く問うことはしなかった。
砦の前庭に、試験の場が組まれたのは三日後だった。
冬の日差しは弱く、息を吐くたびに白く固まって視界を横切る。地面はすっかり凍りつき、踏むたびに霜柱が乾いた音を立てて崩れた。誠は前夜のうちに、崩落現場や倉庫から回収した粗悪資材のサンプルを選び抜き、バルドと共に試験台を組み上げていた。
「本当にこれで割れるんだろうな」
バルドが太い指で角材を叩く。
「割れる。乾燥が甘くて繊維が詰まってない材だ。荷重をかければ、健全な材の半分も持たない」
「城代の奴、来るのか」
「来る。『点検に城代様の立会いをいただきたい』と、レオン様から直々に文を出してもらった。断れる立場じゃない」
村人、街道工事の職人、冒険者たち。噂を聞きつけた者たちが、朝から前庭に集まり始めていた。誠は試験台の配置を決める段になって、あえて城代の視線から死角にならない場所を選んだ。逃げ場のない位置――衆人環視の意味を、置き方一つから作り込む。ガルフが太い腕で人垣を整理し、テオが試験台の周りに縄を張っている。
「監督、これ持ってきた」
テオが誠に差し出したのは、以前村道に使った目印の杭だった。
「境界、はっきりさせといた方がいいと思って」
その一言に、かつて反発ばかりしていた若者の面影はもうなかった。誠が視線を巡らせると、遠巻きに様子をうかがうミラの姿もあった。目が合うと、彼女は小さく頷いてみせた。
城代オルソンが姿を見せたのは、日が中天にかかる頃だった。指輪をはめた手を懐に入れ、周囲の人集りに眉をひそめる。
「これは、一体何の集まりかね」
「砦の資材点検です。ご足労いただき感謝いたします」
誠は敬語を崩さず、しかし目は逸らさなかった。
「点検? わざわざこんな大勢の前でやることかね」
「公正を期すためです。誰の目にも、結果が明らかになるように」
オルソンの顔に、初めて微かな翳りが差した。それでも、まだどこか余裕を捨てきれない足取りで、用意された席に着く。
試験台には、砦に支給された資材と同じ供給元から出た木材のサンプルが据えられていた。バルドが重りを吊るした縄を手にする。前庭を埋めた人々の視線が、一斉に試験台へ集まった。
誰かが咳払いをする音さえ、やけに大きく響いた。オルソンだけが、椅子の上でわずかに身じろぎしている。誠はその落ち着かなさを見逃さなかった。
「始めます」
誠の声が、静まり返った前庭に響いた。
重りが、ゆっくりと落とされる。
一瞬の静寂。誰も、息をする音さえ立てなかった。
乾いた音を立てて、木材が真っ二つに折れた。
どよめきが波のように広がる。誠は続けて、街道の正規資材から取った同種の木材にも同じ試験を行った。こちらはひびすら入らない。二つの結果が並んで晒され、違いは誰の目にも明らかだった。
「見ての通りです。砦に支給された資材は、正規の強度基準を満たしていません」
「そ、そんなはずは……検収は問題ないと報告を受けている」
オルソンの声が上ずった。
「検収記録そのものが、改ざんされていた可能性があります」
セラが一歩前に出て、帳面を掲げた。
「これは、この三年間の搬入記録です。同一の供給元から、記録上の搬入量と実際の使用量に、毎回二割前後の差異があります。峠道の補修にも、同じ供給元の記録が確認されています」
「知らん、私は知らんぞ、そんな細かい帳面のことなど」
「城代として、点検記録の確認を怠っていたのであれば、それもまた職務の懈怠です」
セラの声は淡々としていたが、そこには初めて聞く強さがあった。オルソンは言葉を探すように口を開閉させたが、何も出てこなかった。
「城代殿」
レオンが、群衆の前に進み出た。
「弁明の機会は、正式な場で改めて設ける。だが、この場で明らかになったことは、もう誰の目にも隠しようがない」
群衆の中から、バルドの太い声が上がった。
「命を預かる砦の資材だぞ。そいつをケチって私腹を肥やしてたってことか」
「ふざけんな!」
テオが叫び、ガルフも無言のまま拳を握りしめている。かつて妻を悪路で失ったガルフの目には、静かだが深い怒りが宿っていた。オルソンは、詰め寄る視線の圧に、指輪をはめた手で顔を覆った。
「城代オルソン」
レオンの声が、前庭全体に届くよう張られた。
「この場をもって、貴殿を職務から一時的に外す。詳細な処分は追って正式に沙汰する。証拠と記録は、辺境伯家が責任を持って保全する」
群衆から、押し殺したような安堵の声が漏れた。誰かが小さく拍手をし、それが波のように広がっていく。ミラが遠くから、誠に向かって小さく頷いた。
その日の夕方、誠は静まり返った前庭で、割れた木材の断面を【大地審眼】で診た。
黄色い光が、断面の奥まで滲んでいる。
これで、砦の危険は取り除かれる――そう思う一方で、誠の胸には小さな棘が残っていた。壊れた資材を見せて終わりではない。壊れかけていた命を、何年も見過ごしてきた事実そのものは、これからも消えない。前世で見てきた、責任者が変わっても現場の危うさだけは残り続けた光景と、どこか重なった。
「監督」
セラが隣に立つ。日が傾き、彼女の影が長く伸びていた。
「終わった、と言っていいんでしょうか」
「城代の処分はまだこれからだ。正式な沙汰が下るまで、油断はできない」
「はい……ですが」
セラは一度言葉を切り、それから続けた。
「今日、あなたが証拠を突きつけてくれなければ、私はきっと、この帳面をただ整理し続けるだけだったと思います」
「セラさんが気づかなければ、そもそも証拠には辿り着いてない」
セラは小さく笑った。誠が初めて見る、飾らない笑い方だった。
「お互い様、ということにしておきましょう」
誠はそれ以上聞かなかった。今は、それでいいと思った。
冬の風が、前庭に散らばった木片を静かに転がしていく。
本当の決着は、まだ先にある。
次回の更新は、8月11日 21:10を予定しています。
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