第33話 現場監督、数年の影を暴く
倉庫の中は、木材と埃の匂いがこもっていた。
窓から差し込む夕方前の光が斜めに差し込み、積み上げられた帳面の山を照らしている。冷え込んだ外気が扉の隙間から忍び込み、指先がじんわりと冷たくなる。もう何日も、朝の霜が溶けきらない日が続いていた。誠が資材の検収に顔を出すと、セラが古い搬入記録を前に、指先で数字をなぞっていた。
「監督」
顔を上げたセラの声に、いつもの平坦さとは違う硬さがあった。
「少し、見ていただきたいものが」
誠は帳面を覗き込む。搬入量の欄と、実際に使われた資材の消費記録が並んでいた。
「この月、搬入は十割あるのに、使用実績は八割程度しか記録がありません。差分の説明がどこにもない」
「二割、消えてるってことか」
「はい。誤差にしては大きすぎます」
セラの指先が、帳面の端で止まる。誠はその手が、わずかに震えているのに気づいた。数字の異常より、その意味に気づいてしまったことへの動揺だ。
「峠道で拾ったやつ、まだ持ってたな」
誠は懐から布に包んだ木片を取り出す。以前、崩落現場の古い補修材から回収したものだった。ずっと引っかかりを覚えながら、決め手がないまま持ち歩いていた。
「これと、砦に納品された資材、比べさせてくれ」
セラが倉庫の奥から、支給された木材の端材を運んでくる。誠は両方を並べ、【大地審眼】を起動した。
視界に色が浮かぶ。木片も端材も、同じ黄色みを帯びていた。繊維の詰まり方、乾燥の甘さ、切り口に残る節の位置――どれも似すぎている。
――同じ木から取ったとは言わない。だが、同じ山、同じ扱いをされた木だ。上等な材に紛れさせて出す業者のやり口も、質感の癖までは隠せない。
「セラさん、この供給元の記録、もっと古いものは残ってないか」
「……確認します」
セラは棚の奥から埃をかぶった帳面を何冊も引っ張り出し、卓に並べていく。ページをめくる音だけが、しばらく倉庫に響いた。
その間に、誠は検収に来ていたバルドを呼び止めた。木片を見せ、意見を求める。
バルドは木片を手に取り、指の腹で切り口を撫でた。
「……こいつは乾かし方が甘い。急いで出荷した材だ。上物に混ぜりゃ、素人目にはわからねえだろうな」
「バルドの目でも、同じ供給元だと思うか」
「思う。俺が長年見てきた中でも、こういう手口をやる業者は限られてる」
職人の勘と、誠の【大地審眼】が示す色。二つが同じ方向を指していた。バルドは険しい顔のまま、木片を誠に返す。
「監督、これは根が深いぞ」
「ああ」
バルドは検収作業に戻っていったが、去り際に一度だけ倉庫を振り返った。誠はその視線に、単なる仕事仲間以上の危機感を感じ取った。
「監督」
セラの声が、かすかに震えていた。
「三年前の、峠道の補修記録にも、同じ供給元の名前があります」
誠は帳面を覗き込む。日付は確かに三年前だった。その下にも、二年前、去年と、同じ名前が繰り返し現れている。
「今回だけじゃない……ずっとか」
「はい。数年にわたって、同じところから資材が入っています。しかも、記録上の量と実際の使用量が、毎回どこかで食い違っている」
セラの手が、帳面を持ったまま止まった。
「私は、これまで何度もこの帳面を扱ってきました。数字を合わせることが仕事だと思っていました。でも――」
言葉が、そこで途切れた。
「数字の裏で、何年も、こんなことが続いていたなんて」
誠は、セラの横顔を見た。いつもの静けさが、今は違う色をしている。怒りとも、後悔とも取れる、複雑な陰りだった。
「セラさんのせいじゃない」
「わかっています。ですが」
セラは帳面を胸に抱くように持ち直した。
「もっと早く、気づけたはずでした。何年も、この帳面は私の手を通っていたんです」
「気づかなかったのは、隠されてたからだ。隠す側の手口が上手かった。それだけだ」
誠は、峠道で拾った木片をもう一度見た。
――上等な材に紛れさせて出す。数字も、少しずつしかずらさない。一気にやれば目立つが、少しずつなら誰も気づかない。工期短縮の誘惑と同じだ。急がば回れを、誰かがずっと利用してきた。
「現場も同じだ。事故は起きてから気づくものじゃない。起きる前に、誰かが違和感に気づいて、声を上げられるかどうかだ。セラさんは今、それをやった」
セラはしばらく黙っていた。それから、小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
初めて聞く声の色だった。いつもの淡々とした調子の底に、微かな熱が滲んでいる。誠はその変化に、静けさの奥を少しだけ覗けたような気がした。
「これで、証拠は揃ったな」
「はい。搬入記録と、現物の質、両方が同じ供給元を示しています」
「あとは、これをどう使うかだ」
セラの表情が、また引き締まった。
「城代様に知られれば、記録を握りつぶされます。今回の件だけでなく、これまでの分も」
「証拠は写しを取って、辺境伯様に直接届ける必要があるな」
「はい。ただ――」
セラは帳面を強く抱え直した。
「城代様は、砦の管理を任されている立場です。証拠を出すタイミングを間違えれば、私たちの方が動きを封じられかねません」
倉庫の窓の外で、日はすでに落ちかけていた。冷えた空気が、木材の匂いに混じって鼻を刺す。
誠は、卓に並んだ帳面と木片を見つめた。
数年にわたる歪みが、ようやく形を持って見え始めている。ガルフの村の道も、この砦も、根っこは同じかもしれない――安全であるべきものが、金のために後回しにされてきた。その根の深さを思うと、誠の腹の底が静かに冷えた。
だが、それを暴く前に、まずこちらの手の内を悟られないようにしなければならない。
「静かに、動くしかないな」
誠の呟きに、セラが小さく頷いた。
「写しは私が。監督は、これ以上ここに長居しない方がいいかもしれません」
倉庫の外で、誰かの足音が近づいてくる。
誠とセラは、反射的に帳面を隠すように身を寄せた。
次回の更新は、8月10日 21:10を予定しています。
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