第30話 現場監督、城代と対面する
砦の視察を終えたところで、セラが追いついてきた。冷え込んだ空気の中、頬を上気させながら足早に近づいてくる。
「お待たせしました。城代への取り次ぎが済みました」
「随分早かったな」
「辺境伯様のご依頼と伝えれば、無下にはできませんから」
セラはそう言いながらも、どこか硬い表情をしていた。
「機嫌でも悪いのか」
「城代とは、あまり相性がよくないもので」
セラはそれ以上詳しくは語らなかった。三人は連れ立って、砦の奥にある執務棟へ向かった。石畳の廊下は薄暗く、すれ違う兵士の数もまばらだった。
外壁の傷みとは裏腹に、城代の執務室に足を踏み入れた瞬間、誠は違和感を覚えた。
分厚い絨毯、磨き上げられた調度品、壁には値の張りそうな織物まで飾られている。暖炉には惜しみなく薪がくべられ、部屋の空気は外の冷え込みが嘘のように暖かい。崩れかけた防壁を見た直後だけに、その落差が異様に映った。
隣を歩くバルドが、小さく鼻を鳴らした。同じものを感じ取っているようだった。
「これはこれは、噂の技師殿ですかな」
机の向こうから立ち上がったのは、恰幅のいい中年の男だった。指には幾つも指輪がはまり、光を受けて鈍く輝いている。
「城代のオルソンです。此度は、辺境伯様のご依頼で砦の様子を見に来られたとか」
「街道の補修を請け負っている、轟誠です」
「ほう、街道の。ご苦労なことです」
オルソンの視線が、誠の作業着から足元まで、値踏みするように往復した。それからバルドとセラにも同じような一瞥を寄越し、興味を失ったように机に戻る。誠のことも、道具として値踏みしているような目だった。
「まあ、おかけください。茶でも」
オルソンは自ら椅子を勧めたが、その仕草にはどこか演技じみたものがあった。もてなしというより、体裁を整えるための所作に見えた。卓上に置かれた茶器は、この鄙びた砦には不釣り合いなほど上等な品だった。
「結構な茶器ですね」
誠が何気なく口にすると、オルソンの目元がわずかに緩んだ。
「分かりますか。都から取り寄せた品でしてな。こういう場所だからこそ、こうしたものが心の慰めになる」
その一言に、砦の外壁の傷みが重なって見えた。慰めに使われる金と、崩れたままの防壁。天秤にかけられているものの正体が、少しずつ見えてくる気がした。
「率直に伺いたい。砦の老朽化について、どのような対応をされてきたのでしょうか」
誠が切り出すと、オルソンは書類の束を軽く叩いた。
「予算は、毎年適正に執行しております。修繕も定期的に。ご覧の通り、砦は問題なく機能しております」
「防壁の目地は、あちこち痩せています。櫓の基礎も傾いている箇所がありました」
「経年劣化は、いかなる建物にも避けられません。深刻視するほどのものではないかと」
バルドが横から口を挟んだ。
「経年劣化にしちゃあ、進み方が早すぎる。あれは維持がされてない証拠だ」
「職人の勘というのは、時に大袈裟になりがちですな」
オルソンは笑みを崩さないまま、軽くいなした。取り合う気配はなかった。
「では、直近の修繕記録を見せていただけますか」
誠が求めると、オルソンの笑みがわずかに硬くなった。
「記録は、追って用意させましょう。何分、細々とした書類が多いもので」
「今すぐには」
「今日のところは、視察のご報告だけで十分でしょう。細部は追って、ということで」
オルソンは茶器に手を伸ばし、話を打ち切るような仕草を見せた。会話の流れが、するりと変わった。まるで、これ以上踏み込ませないための壁を作られたようだった。
「予算の内訳だけでも、大まかにお聞かせ願えますか」
セラが横から静かに切り込んだ。事務的な、それでいて逃げ場を塞ぐような問い方だった。
「セラ殿にそこまでご心配いただく必要はありませんよ。これは、こちらの管轄の話ですから」
オルソンの声に、わずかに刺のようなものが混じった。セラは表情を変えなかったが、その一瞬の間合いに、誠は小さな違和感を覚えた。
誠はその態度に、既視感を覚えていた。
前世で嫌というほど見てきた顔だ。都合の悪い数字を出させず、書類の言葉だけで押し通そうとする。目を合わせる時と逸らす時の間合いにも、覚えのある癖があった。
火村工事部長も、同じような顔で「間に合わせろ、方法は聞かない」と言っていた。現場を歩かず、数字と体裁だけで物事を判断する人間の顔だ。
——この男も、同じ穴の狢だ。
セラが帳面に何かを書き留めながら、表情を変えずにオルソンを見ていた。彼女もまた、何かを感じ取っているようだった。
執務室を辞したあと、誠たちは無言のまま砦を後にした。
日はすでに傾き、石畳の廊下に長い影を落としていた。誰も、すぐには口を開かなかった。
砦の門を抜け、冷たい外気に触れたところで、バルドがようやく口を開いた。
「予算は適正、か」
バルドが吐き捨てるように呟いた。
「言葉だけなら、いくらでも取り繕える」
「セラ、さっきの態度はどう見た」
誠が尋ねると、セラは帳面を閉じながら答えた。
「予算に関する質問だけ、明らかに反応が違いました。それ以外は……型通りの受け答えでしたが」
「調べる価値はありそうだな」
「ええ。搬入記録の照合、進めておきます」
誠の脳裏には、まだ形にならない疑念が、少しずつ輪郭を持ち始めていた。
次回の更新は、8月 7日 21:10を予定しています。
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