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第29話 現場監督、次の現場を確認する

街道の完成から数日、誠は初めて砦へ向かっていた。


隣を歩くバルドが、遠くに見える石造りの影を見上げる。


「建物は、土とはまた勝手が違うぞ。石の組み方、崩れ方、全部が別物だ」


「分かってる。だから連れてきた」


「珍しいこともあるもんだ。監督が俺を頼るとはな」


バルドが軽口を叩く。誠はそれに小さく笑い返した。土木一筋でやってきた自分にとって、石造建築の劣化を見極める目は、まだ十分に備わっていない。餅は餅屋だ。


木々の間を抜ける風が、耳を切るように冷たい。冬はもう、村にいた頃よりも深く、ここまで追いかけてきていた。吐く息はすぐに白く固まり、道端の水たまりは分厚い氷に覆われている。


砦が見えてきた。


古びた石壁が、丘の上にそびえている。近づくにつれ、その老朽ぶりが露わになっていった。表面のあちこちに亀裂が走り、崩れた石材が放置されたままになっている箇所も少なくない。壁を這う蔦が、まるで傷口を覆い隠すように伸びていた。旗竿の旗も、色褪せて端がほつれている。


誠は【大地審眼】を起動した。


視界に広がった砦の輪郭は、赤と黄色だらけだった。防壁の基部、櫓を支える柱、門の蝶番周り。健全と呼べる青は、数えるほどしかない。


「……ひどいな、これは」


隣でバルドが低く唸った。


「石積みの目地が、あちこち痩せてる。雨水が入り込んで、内側から崩れてきてる証拠だ。土木の水抜きの理屈と、根っこは同じだが……こっちは崩れたら人が下敷きになる」


「土は緩んでも埋まるだけだが、石は落ちてくるからな」


「その通りだ。優先順位の付け方が違ってくる」


バルドは壁に近づき、目地の隙間に指を差し込んだ。指先まですっぽりと入ってしまうほどの深さだった。


「ここまで痩せてると、次の大雨でどこか一箇所は落ちるぞ。それも、崩れる前兆もなしにいきなりだ」


「土のように、色で危険が分かればいいんだがな」


誠が呟くと、バルドは苦笑した。


「石の劣化は、長年見てきた者の勘に頼るしかない。監督のその目は、正直、羨ましいよ」


そう言いながらも、バルドは次々と壁の別の箇所を叩いて回った。乾いた音と鈍い音、その違いだけで劣化の度合いを聞き分けているようだった。


「櫓の土台も、危ういな。この角度で傾いてるのは、下の基礎が沈んでる証拠だ」


「地盤か。それなら俺の領分だ」


誠は櫓の周りにしゃがみ込み、地面に手をついた。土の締まり方、水の抜け具合。橋や道で培った感覚が、ここでも生きる。


誠は視線を巡らせながら、頭の中で診断の順序を組み替えていた。地盤や排水の理屈は同じでも、荷重のかかり方も、崩壊の仕方も、道や橋とは別物だ。土木の物差しをそのまま当てはめるわけにはいかない。まず崩れやすい箇所を洗い出し、その中でも人が常に出入りする動線上のものから手をつける。優先順位の組み方から、道路とは組み立て直す必要があった。


門をくぐり、砦の内側を歩いて回る。兵舎らしき建物の屋根は所々朽ち、櫓へ続く階段は踏み板が抜け落ちている場所もあった。詰めている兵士の数は、砦の広さに対してあまりに少なく見えた。


「兵の数も、足りてないみたいだな」


「砦そのものが縮小運用されてるんだろう。金のかかる話だ」


バルドの言葉に、誠は無言で頷いた。


「これだけ荒れてるのに、なぜ今になって急いで直すという話になったんだろうな」


誠が疑問を口にすると、バルドも同じように首をひねった。


「放っておいても崩れるだけの砦に、辺境伯様がわざわざ金を出す理由か……妙といえば妙だな」


「金がないと自分で言ってた男が、こんな古い砦に急いで手を回す。何かあると見た方がいい」


「勘繰りすぎじゃないのか」


「段取りってのは、疑うところから始まる」


そこへ、砦の門から一人の兵士が歩み寄ってきた。革鎧に、使い込まれた槍を携えている。


「見学の技師殿ですか。お話はセラ殿から聞いております」


「一つ訊きたいんだが、なぜこの砦を、急いで直す必要があるんだ」


誠が率直に尋ねると、兵士は表情を曇らせた。周囲を一度見回してから、声を落として続ける。


「……ドラーグの動きが、きな臭いのです」


「ドラーグ公国?」


「ここ最近、国境近くで斥候らしき足跡が何度も見つかっています。検問所の緊張も、去年とは比べ物になりません。この砦が崩れたままでは、いざという時に守り切れない」


兵士の声には、隠しきれない緊張があった。これまで商人の世間話や噂話でしか触れてこなかった国境情勢が、初めて具体的な輪郭を持って誠の前に現れていた。


「足跡というと、どの辺りで」


「北の峠を越えた先です。うちの巡回が三日前に見つけました。人数までは分かりませんが、一人や二人の規模ではなさそうだと」


バルドが眉をひそめた。


「物騒な話だな」


「以前にも、こういうことはあったのか」


誠が尋ねると、兵士は僅かに視線を落とした。


「数年に一度、こうした緊張が高まる時期があります。今回はそれにしては、少々長引いている気がしますが……私のような下っ端には、詳しいことは分かりません」


「戦になるのか」


「分かりません。ですが、備えないという選択肢はありません」


兵士はそれだけ言うと、一礼して持ち場に戻っていった。


誠は改めて、赤く光る砦の輪郭を見上げた。


夕暮れの薄闇の中、砦の輪郭がひときわ不穏に浮かび上がって見えた。冷えた風が、旗竿の色褪せた旗を小さく揺らしている。


道や橋とは違う理由で、この仕事には時間の猶予がない。


それに、支給された資材の質。誠の中で、まだ言葉にならない疑念が、少しずつ形を持ち始めていた。


急ぐ理由。質の落ちた資材。遅れた搬入。ばらばらに見える点が、一本の線で繋がりかけている気配があった。

次回の更新は、8月 6日 21:10を予定しています。


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