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第2話 現場監督、女神と面談する

暗闇の中に、光が滲んだ。


誠が重い瞼を開けると、そこは見知らぬ石造りの空間だった。


(現場じゃないな)


高い天井、崩れかけた柱、床には落ち葉と埃が幾重にも積もっている。窓から差し込む光の筋には、ほこりが粉雪のように舞っていた。かび臭さと、長く人の出入りがない場所特有の冷たい静けさが鼻の奥に残る。物音一つしない。


(神殿……か?)


体を起こそうとして、誠は自分の体に痛みも重みもないことに気づいた。作業着の感触すらない。


――土砂に呑まれる直前、悠真の腕を突き飛ばした感触が、まだ手のひらに残っている気がした。


(そうか。俺、死んだのか)


不思議と、恐怖はなかった。ただ、あの瞬間の続きをぼんやり眺めているような、妙な浮遊感だけがあった。


「あ、起きた?」


場違いに軽い声が響いた。


誠は音のした方を見て、言葉を失った。


祭壇の奥、乱れた寝具の上に、一人の女がけだるげに肘をついていた。


透き通るような亜麻色の髪、輪郭の整った顔立ち。緩く体に沿う衣の下から覗く肢体は、誠がこれまで見たどんな彫像よりも均整が取れていた。息を呑むほどの美貌だった。

だが、その第一印象は次の瞬間に崩れた。


女は寝具の上でごろりと転がると、あくびを一つ噛み殺し、髪をぼりぼりと掻いた。枕元には、萎びた果物の皮と、空になった木の実の殻が山になっている。


「んー、久しぶりの来客だわ。ちょっと待って、ここ片付いてないから」


言いながら、床に散らばった果物の皮らしきものを、足でひょいと祭壇の裏に蹴り込む。供物台の上には、埃をかぶった杯と、いつのものとも知れない干からびた菓子が転がっていた。


誠は状況が飲み込めないまま、とりあえず問うことにした。


「……あなたは?」


「ガイエラ。大地と労働の女神。一応、この世界じゃそう呼ばれてるわ」


「女神……」


「そ。まあ見ての通り、あんまり働いてないけどね」


悪びれもせずガイエラは言った。誠は思わず神殿の中を見渡した。苔むした床、傾いた燭台、蜘蛛の巣。労働の女神の住処にしては、あまりにも荒れ果てていた。


「信仰が廃れてるんですか」


「うん。もう何百年もね。オーラムに実りだけ祈って、働くことには誰も祈らなくなったから」


ガイエラはあっけらかんと言うと、寝具の上であぐらをかいた。仮にも神と呼ばれる存在とは思えない、締まりのない座り方だった。神衣の裾がよれて、片方の肩紐がずり落ちかけているのにも気づいていない様子だった。


「で、あんたのことなんだけど」


「はい」


「轟誠。三十五歳。日本の建設会社で働く現場監督。部下をかばって、崩れた土砂の下敷きになって死んだ」


誠の背筋が、わずかに強張った。


「……知ってるんですか」


「そりゃ知ってるわよ。あたし、地面の下で起きたことなら大体分かるから」


ガイエラの声から、ふざけた響きが一瞬だけ消えた。


「悠真くんだっけ、あんたの部下。助かってるよ、ちゃんと」


「――そうですか」


安堵で、誠の肩から力が抜けた。


「あんたみたいなの、たまにいるんだよね。真面目に、真剣に働いてんのに、それが報われないまま終わる人間」


ガイエラは誠をまっすぐに見た。ふざけた気配のない、静かな目だった。


「さっきも言ったけど、あたしは大地と労働の女神。本当なら、あんたみたいな人間が報われる世界であってほしいのよ。あたしはそのために存在してるはずなのよ」


誠は黙って続きを待った。


「なのに、あんたは死んだ。誰かのために体を張って、それでおしまい。あたしはそれを、指を咥えて見てることしかできなかった」


ガイエラの声に、初めて隠しきれない苦さが滲んだ。


「気に食わないのよね、そういうの。だから、こっちの世界で働いてもらおうと思って」


言ってから、ガイエラは自分の言葉に照れたように、ふいと視線を逸らした。


「――なんて、柄にもないこと言ったわ。まあとにかく、そういうこと」


「働く……?」


「うん。あんたの向こうの知識、こっちじゃ結構役に立つと思うわよ。渡したいものがあるから、ちょっと立って」


誠が戸惑いながら立ち上がると、ガイエラは寝具から降り、誠の額に人差し指をそっと当てた。


「【大地審眼】。あんたにあげる」


指先から、じんわりとした熱が広がった。


「これで何ができるんです」


「構造物とか地盤の強度とか劣化とか、色で視えるようになる。健全なら青、要注意なら黄色、やばいのは赤。生き物の疲労とか怪我とか病気の兆候も、同じ要領で視える」


「便利そうですね」


「便利だけど、万能じゃないから勘違いしないでね」


ガイエラは人差し指を立てた。


「視えるのは『今どういう状態か』まで。『あと何日保つか』は分からない。原因が何かも、あんたが視て、考えて、当てるしかない。治療とか補修は、これじゃできない」


「診断だけ、ってことですか」


「そう。そこから先は、あんた次第」


誠の中で、何かが静かに合点していった。診断は道具に過ぎない。原因を突き止め、対処を組み立てるのは、結局は人の仕事だ。それは前世でも変わらなかった。


「分かりました」


短くそう答えた誠に、ガイエラは満足げに頷いた。


「試しに視てみたら? そこの柱」


言われるまま、誠は崩れかけた柱に目を凝らした。


次の瞬間、視界が変わった。


柱の根元から中程にかけて、じわりと黄色が滲み、ひび割れの走る一角だけが赤く発光している。健全な部分はわずかに残る青だけだった。


「……ひどいですね、これ」


「でしょ〜、この世界そんなんばっかだから。応急処置の上に応急処置を重ねて、なんとか保ってる。あんたが今から行く場所も、似たようなもんだと思うわ」


ガイエラはさして深刻そうでもなく笑った。だが誠は、その色の分布に前世の現場と同じ匂いを嗅いだ気がした。放置された亀裂、見て見ぬふりをされた劣化。ここでも同じことが起きている。


「じゃ、あとはよろしく」


「あの、行き先とか、詳しいことは――」


「大丈夫大丈夫、なんとかなるって。あんた、なんとかしそうなタイプだし」


投げやりとしか言いようのない態度で、ガイエラはひらひらと手を振った。


誠はふと、田舎に残してきた母のことを思った。無事に生きて帰れないと知ったら、どんな顔をするだろう。


「あの、俺の家族には――」


言いかけて、誠は口をつぐんだ。今さら言っても仕方がない。それに、この胸の中身をうまく言葉にする自信もなかった。


「じゃ、頑張ってね〜」


その声を最後に、誠の視界が真っ白な光に包まれた。


光が引いていく。


まばたきをした誠の視界に、見たこともない色彩が広がっていく。

次回の更新は、7月15日 13:40を予定しています。


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