第24話 現場監督、街道の崩落現場を診断する
村を出て、峠道へ向かう。
道はすぐに細くなった。荷車がぎりぎり擦れ違えるほどの幅しかない。轍の跡には薄氷が張り、踏むたびに硬い音を立てて割れる。
風は村より一段冷たかった。遮るものがない分、体温をそのまま持っていかれる。木々の梢が乾いた音を立てて揺れ、時折、雪ではない粉のようなものが風に舞った。霜が溶けきらないまま、地面に張り付いている。
「監督、この時期の峠道って、こんなに冷えるの?」
隣を歩くミラが、両手を擦り合わせながら聞いてくる。
「山は麓より先に冬が来る。日が短くなる分、地面が温まる時間も短い」
「どうりで……」
白い息を吐きながら、ミラは足元に注意しながら歩を進めた。
「あそこか」
話しているうちに、二人は崩落の現場に到着した。
崩落箇所は、思っていたより大きかった。斜面ごと道の半分がえぐれ、下の沢まで土が流れ落ちている。剥き出しになった土の断面が、傷口のように生々しい。転移当初、荷車を助けた帰りに見た時よりも、崩れは進んでいるようだった。
誠は崩落の縁にしゃがみ込み、【大地審眼】を起動した。
視界に色が広がる。斜面全体が黄色く滲み、崩れた縁の部分は赤く発光していた。まだ動く。今この瞬間も、少しずつ崩れ続けている場所だ。
「ここ、まだ危ないの?」
「上の方はな。下手に近づくと巻き込まれる」
誠は視線を斜面の上、崩れていない部分に移した。そこにあるはずのものがない。
——水の逃げ道がない。
道の反対側、山側の斜面を見上げる。溝一本、切られていなかった。雨や雪解け水がそのまま道の下に染み込み、土を緩め続けてきたということだ。
「見てみろ」
誠はミラを手招きし、崩れていない斜面の断面を指した。
「土の色が違うだろう。上は乾いてるが、下の方は湿って黒い。水が抜けずに溜まってる証拠だ」
「本当だ……色が違う」
ミラは屈み込み、指先で土に触れた。上の乾いた土はさらさらと崩れ、下の黒い土は指に重く貼り付いた。
「同じ土でも、これだけ違うんだね」
「水を含んだ土は重くなる。重くなった分、下に引っ張られる力が強くなる。それが積み重なって、ある日、耐えきれずに崩れる」
「山側に溝を一本切って、水を逃がしてやるだけで、こんな崩れ方はしなかったはずだ」
「誰も、そんなこと考えなかったんだ」
「考えなかったんじゃない。崩れたらまた盛ればいいってやり方が当たり前だったんだろう」
ミラは黙って頷いた。誠の言葉を、頭の中で組み立て直しているような顔だった。
崩落の縁をもう少し覗き込んだところで、誠の指先が何かに触れた。
土に半分埋もれた、古い木材の切れ端だった。表面は黒く朽ちかけているが、切り口は明らかに人の手が入ったものだ。自然に落ちてきた枝ではない。
「これは……」
誠はそれを引き抜き、土を払った。継ぎ目の加工が粗い。ただ穴を塞ぐためだけに突っ込まれたような、応急処置の跡。
——ここは、直したことがある場所だ。それも、ろくでもない直し方で。
いつ、誰が、なんでこんな杜撰な補修をしたのか。今は分からない。誠はその木片を懐にしまい、崩落箇所を後にした。
崩落箇所を大きく迂回し、二人はクロイツェンの町を目指した。
町の姿が見えてくる頃には、日が傾き始めていた。
「道の交わる場所」という名の通り、本来なら人と荷が絶えず行き交うはずの町だ。だが誠の目に映ったのは、思いのほか静かな通りだった。開いている店は半分ほど。露店の数も少ない。呼び込みの声も、どこか元気がなかった。荷馬車の轍が、通りの中央にくっきりと残ったまま、新しい跡で上書きされずにいた。
町の中心に近づくと、大きな聖堂が見えた。リュミナ教会だ。
石段の下に、施しを求める怪我人が数人座り込んでいる。包帯を巻いた腕、松葉杖代わりの木の枝。祈りを捧げる信徒の列が、聖堂の入り口まで続いていた。入り口の脇には、寄進を求める箱が置かれ、硬貨の落ちる音が時折響く。誠はそれ以上足を止めず、視線だけを流して通り過ぎた。今の自分に関わりのある場所ではない。
領主館は町の奥、小高い場所に建っていた。質素な造りだが、手入れは行き届いている。
領主館を訪れた誠たちは、そのままレオンの執務室に案内される。
通された部屋では、レオンが書類にサインをしながら待っていた。傍らにはセラの姿もあった。帳面とペンケースを卓に並べ、いつでも書き取れる姿勢で控えている。
「早かったな。もう見てきたのか」
誠の入室に気づいたレオンが、書類から顔を上げた。
「はい」
誠は姿勢を正し、敬語で報告を始めた。
「崩落の原因は、山側の排水が整備されていないことです。雨水や雪解け水が斜面に溜まり続け、土が緩んで崩れました。今も斜面の上部は不安定で、放置すればさらに広がります」
「直せるのか」
「山側に水を逃がす溝を切り、崩れた部分を締め固めながら盛り直します。橋の時のような大掛かりな仕掛けは要りません。人数さえ揃えば、片付く仕事です。ただし冬の間は土が凍るので、溝切りは天気を見ながらの作業になります」
「どのくらいかかる」
「規模と人数次第ですが、年明けまでには目処をつけられるかと」
セラのペン先が、帳面の上を淀みなく走っていた。原因、規模、対処、期間——誠の言葉をそのままの順番で書き取っている。無駄も抜けもない報告だという証拠だった。
レオンは腕を組み、しばらく黙って誠を見ていた。
「……セラの報告も大袈裟じゃなかったな。原因まで、その場で分かるものなのか」
「見るのも仕事なので」
「そう固くならなくていい。敬語も、崩していいぞ」
誠は一瞬、言葉を選んだ。
「……仕事の相手には、けじめをつける性分なので。慣れないもので」
「変わってるな、お前も」
レオンは苦笑し、それ以上は勧めなかった。
「では、正式に頼む。街道の補修と、砦の視察。期間はお前の見立て通りに。報酬は先に話した通りだ」
「承知しました。街道は年明けまでに目処をつけます。人手は村から動員し、資材の目利きにはバルド親方に声をかけます」
「バルドか。あの頑固親父を口説き落とせるなら、心強いな」
「砦は現地を見てから、改めてご報告します」
「頼んだ」
レオンが差し出した手を、誠は握り返した。
契約の証として、セラが手早く整えた書面が交わされた。爵位も、特別な待遇もない。雇われの技師としての、実務的な取り決めだった。
「内容に相違がなければ、こちらに」
セラに促され、誠は書面に目を通した。街道の補修範囲、期間、報酬、砦の視察についての一文。過不足のない、簡潔な文面だった。
「……仕事が早いな」
「工程表を書く方に言われると、光栄です」
セラは表情を変えずにそう返したが、その一瞬だけ、目の色が違って見えた。
契約を交わし、館を出た誠は、来た道を振り返った。
懐に入れたままの木片が、歩くたびにわずかに重さを主張してくる。
水の逃げ道がない設計自体は、この世界では珍しくない。だが、誰かが一度手を入れ、それを杜撰なやり方で済ませたという事実は別だ。ちゃんと直せば防げた崩落を、その場しのぎで放置した誰かがいる。
誰が、いつ、何のためにそんな仕事をしたのか。
その答えは、まだどこにもなかった。
「監督、難しい顔してる」
隣を歩くミラが、誠の顔を覗き込んだ。
「少し、気になることがあってな」
「橋の時みたいな?」
「そうならないといいがな」
誠はそれ以上詳しくは語らず、懐の木片をもう一度確かめるように上から押さえた。
日はすっかり傾き、二人の影が街道に長く伸びていた。
次回の更新は、8月 1日 21:10を予定しています。
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