第21話 現場監督、橋を架ける
橋桁が組み上がり、残すは橋板を張るだけになっていた。
雪は本降りに近づき、河床には薄く白い層が積もり始めている。だが、作業に乱れはなかった。班ごとに休みを挟みながらの進行は、遅いようでいて、誰一人として倒れることなく最後まで辿り着こうとしていた。
熱を出していた二人も、数日の休養を経て現場に戻ってきていた。顔色は戻り、以前と変わらぬ調子で板を運んでいる。
「次、こっちの板を頼む」
バルドの声に、村人と職人が入り混じって板を運んでいく。もう、どちらがどちらの人間か、動きだけでは分からなくなっていた。息を合わせ、声を掛け合いながら、一枚、また一枚と橋板が渡されていく。
冷たい風が吹くたび、誰かが白い息を吐きながらも、手を止めることはなかった。
「あと少しだ」
誠が声を上げると、疲れの見え始めていた村人たちの顔に、また力が戻る。段取りを組み直してからというもの、無理をする者は誰もいなくなっていた。それでも、進みは着実だった。急がば回れという言葉の意味を、誠はこの数日で改めて噛み締めていた。
午後、最後の一枚が打ち付けられた。
金槌の音が響き、静まり返る。
誠は皆に先んじて、橋の上に足を踏み出した。板を踏むたびに、軋みも、揺れもない。対岸まで渡りきり、振り返る。
橋のこちら側から、村人と職人たちが息を詰めて見守っていた。誠は【大地審眼】を静かに起動し、橋脚から橋板まで、一通り視線を巡らせた。青く澄んだ色が、隅々まで広がっている。危険を示す色は、どこにもなかった。
「渡れます。皆、来てください」
その一言に、歓声が上がった。
村人たちが次々と橋を渡っていく。ドルガは杖代わりの鍬を突きながら、感慨深そうに橋板を踏みしめた。ミラは何度も跳ねるように行き来し、その足取りに、以前の縮こまった歩き方の面影はもうなかった。テオとガルフは並んで橋の中程に立ち、川面を見下ろしていた。ガルフの目には、何か込み上げるものがあるようだった。
バルドの職人たちも、自分たちが組んだ石組みを見上げ、満足げに頷き合っている。
橋は、繋がった。
その夜、村の広場では祝宴が開かれた。
かがり火が焚かれ、炎の熱がじんわりと頬を炙る。冷え込む夜気の中、火の周りだけがぽかぽかと暖かい。ハンナと数人の女たちが、朝から仕込んでいた料理を次々と運び出していた。
香草を練り込んだ腸詰めが、炭火の上でじゅうじゅうと音を立てている。皮はパリッと弾け、齧るたびに肉汁が溢れた。傍らには、冬越しのために漬け込んでおいた発酵キャベツの酸味が、脂の乗った肉によく合う。硬めに焼き上げた麦のパンは、汁に浸すとほろりと崩れ、腹の底から温まった。
極めつけは、皮をぱりぱりに焼き上げた豚の丸焼きだった。骨についた肉を、誰もが手づかみで頬張り、脂で光る指を舐めながら笑い合う。
練った団子を肉の脂とともに口に運べば、疲れた体に染み渡るような満足感があった。子供たちは団子を頬張りながら、火の周りを駆け回っている。
ピノが誠のもとへ駆け寄ってきた。口の周りを肉の脂で光らせている。
「誠さん! 私、もう橋、三往復もした!」
「気をつけろよ、暗いから」
「大丈夫、もう怖くないもん。この橋、絶対壊れないでしょ?」
無邪気な問いに、誠は少し考えてから答えた。
「絶対とは言えない。でも、俺たちにできる限りのことは、全部やった」
ピノはよく分からないというように首を傾げたが、すぐにまた友達の方へ駆けていった。その後ろ姿を見送りながら、誠は小さく笑った。
「誠さん、ほら、もっと食べて」
ハンナが山盛りの皿を差し出しながら、そう言って笑った。頬は火照り、いつもより幾分か明るい表情をしている。
「作りすぎたんじゃないですか、これ」
「今日くらい、いいでしょう。皆、よく頑張ったんだから」
麦から作った酒が、木の器になみなみと注がれていく。誠が一口含むと、ほろ苦さの中に、微かな甘みが広がった。冷えた体に、じんわりと熱が広がっていく。
「監督、今年一番、体動かした気がする」
ミラが酒に赤くなった頬で言った。
「私も、少しは監督の役に立てたよね」
「少しどころじゃない。お前がいなけりゃ、この橋はまだ形にもなってない」
ミラは照れくさそうに、それでも誇らしげに笑った。その笑顔には、村で見下されていた頃の暗さは、もうどこにもなかった。
テオが誠のもとへやってきた。手には、肉を頬張った跡の残る皿を持っている。
「監督、正直に言うと、最初はあんたのやり方、面倒だと思ってました」
「今は?」
「今は……面倒だけど、正しいって分かる。それだけです」
無骨な物言いだったが、そこに込められた変化は、誠にはよく伝わった。
「これからも、運搬班、よろしく頼む」
「任せてください」
テオは初めて、まっすぐな笑顔を見せた。
ガルフも、珍しく杯を片手に近づいてきた。何も言わず、ただ橋の方角に目をやり、小さく頷く。その沈黙が、誰よりも雄弁だった。妻を失った道の記憶と、今日繋がった橋とが、彼の中でどう重なっているのか、誠には知る由もなかったが、その横顔からは確かな安堵が伝わってきた。
「ガルフ、お疲れ」
「……ああ」
短い返事だったが、その声には、いつもより幾分か柔らかい響きがあった。
祝宴の片隅で、誠はバルドと並んで火を見つめていた。
「うちの若いのも、いい経験になったろう」
バルドがぼそりと言った。
「石組みだけじゃなく、村の連中と働く経験もな」
「バルドさんこそ、現場に出て何か変わりましたか」
「さてな」
バルドは杯を傾け、しばらく黙っていた。炎の光が、その赤ら顔をゆらゆらと照らしている。
「若い頃、俺が組んだ現場で、仲間を一人死なせたことがある。それはよくわからねぇ貴族の部下が持ち込んだ現場だった。あれ以来、余所者の理屈ってやつを信じられなくなった。理屈だけで、現場は守れねえと思ってたからな」
誠は黙って耳を傾けた。バルドがそこまで語るのは、初めてのことだった。
「以来、俺は自分の目で確かめたものしか信じねえことにした。理屈だけの若造には、ずっと厳しく当たってきた」
「今回、俺にも厳しかったですもんね」
「当たり前だ。だが――」
バルドは炎を見つめたまま、続けた。
「お前は、理屈を並べるだけじゃなく、自分の手を汚して確かめてた。数字も、現場も、両方持ってた。俺が長年信じられなかったもんを、お前は繋げて見せた」
「褒めてます?」
「褒めてる」
バルドは短くそう言うと、杯を飲み干した。
「――ヴァルガは、良い仕事をした奴をちゃんと見てる。今日みたいな夜は、悪くない」
それだけ言うと、バルドは満足げに笑った。誠にとって、それは十分すぎる祝福の言葉だった。
「また、頼みたい仕事ができたら」
「工房に来い。今度は、待たずに材料出してやる」
二人はしばらく、言葉もなく火を見つめ続けた。何も語らずとも、通じ合うものがあった。
かがり火の向こうで、村人と職人が入り混じって笑い声を上げている。冬はもう目前だったが、その夜だけは、寒さも忘れさせるほどの温かさがあった。
祝宴が落ち着いた頃、ドルガが誠のもとへやってきた。表情には、酔いとは違う、何か思案げなものが浮かんでいる。
「実はな、数日前に、町の方から使いが来た」
「使い、ですか」
「辺境伯様のところから、また誰か寄越すそうだ。橋の噂を聞きつけたらしい」
誠の脳裏に、以前訪れたセラの姿が浮かんだ。定規のようにまっすぐな立ち姿、帳面とペンケース。街道の補修、古い砦――彼女が口にした言葉を思い出す。
「街道やら砦、でしたね」
「詳しいことは、また向こうから話があるだろう。だが今度は、あちらから頭を下げてくる番かもしれんぞ」
ドルガはそう言うと、珍しく悪戯っぽく笑った。
誠は杯に残った酒を飲み干し、かがり火の向こうに広がる暗闇を見つめた。峠の先、街道の先に、まだ見ぬ現場が待っているはずだった。今度は村一つの仕事ではない。領全体を巻き込む、もっと大きな仕事になるだろう。
だが、恐れはなかった。一人で背負う必要はない。ミラがいて、ドルガがいて、バルドがいて、村と町、両方の力を借りられる。段取りさえ間違えなければ、どんな規模の仕事でも、道は見えてくる。
前世で誠が学べなかったことを、この世界は少しずつ教えてくれている。一人で全部を背負うことは、強さではない。誰かに任せ、誰かを信じることも、現場を守るための段取りの一つなのだと。
村道から始まった仕事は、橋を経て、確かに次の場所へと繋がろうとしていた。
次回の更新は、7月29日 21:10を予定しています。
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