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第18話 現場監督、工法を組み立てる

再び峠を越え、町に着いた頃には、朝靄がようやく晴れかけていた。


石畳には霜が薄く残り、踏むたびに硬い音を立てる。工房が並ぶ通りに入ると、木を打つ音がいつもより早く響いていた。冬支度に追われているのは、この町も同じらしい。吐く息の白さが、峠を越えてきた疲れをそのまま映しているようだった。


バルドの工房の戸口をくぐると、誠は空気の変化に気づいた。


以前は誠たちに目もくれなかった職人たちが、ちらちらとこちらを窺っている。奥の一人などは、手を止めて小さく会釈までしてきた。


「監督、なんか見られてる」


ミラが小声で言った。


「悪い意味じゃなさそうだ」


「噂、広まってるのかな」


村の増水を言い当てた話は、思っていたより早く工房の中まで届いているらしい。誠は気恥ずかしさを覚えながらも、悪い流れではないと感じていた。信用は、こうして少しずつ積み上がっていく。


工房の奥では、木くずの匂いに混じって、炉の熱気がほのかに漂っていた。以前は遠巻きにされるだけだった空気が、今は違う。誰かがこちらの様子を窺うたび、誠は小さく会釈を返した。


バルドが奥から姿を現し、無言で作業台を指した。板の上には、この川の簡単な絵図が広げられている。


「まず、状況を整理する」


バルドは絵図の一点を指で叩いた。


「壊れたのは、水に浸かる場所だ。だが、基礎を組み直すにも、水の中じゃまともな仕事ができん」


「濁った水の中じゃ、足場も組めませんね」


「そうだ。仮に足場を組んでも、流れに削られて長くは保たん。かといって、水が引くのを待ってたら、冬に間に合わん」


バルドは腕を組み、絵図を睨んだまま黙り込んだ。この課題は、経験を積んだ職人にとっても、簡単には解けないものらしかった。


「川を、止められませんか」


「止める、だと?」


バルドは片眉を上げた。


「川を止める術なんぞ、聞いたこともない」


「止めるんじゃなく、一時的に動かすんです」


誠は絵図に、もう一本の線を描き足した。


「川の脇に、仮の水路を掘る。そこに水を逃がして、元の流れを一時的に涸らす。乾いた河床で基礎を組んで、終わったら水路を埋め戻して、また元の流れに戻す」


バルドは絵図をしばらく睨んでいた。


「……水が、素直にそっちへ流れるのか」


「流れの上流側を少し盛って、水路の方が低くなるようにします。水は、低い方へ流れます」


「盛る、というと」


「そこは、ミラの土魔法を使います」


ミラが目を丸くした。


「私が?そんな大きいの、やったことない」


「規模は魔力が決める。お前の魔力なら、できる」


誠が即答すると、ミラは息を呑んだ。それから、覚悟を決めたように頷いた。


「盛った後は、崩れないの?」


ミラが不安げに聞いた。


「一時的なものだ。工事が終われば、埋め戻して元に戻す。長く保たせる必要はない」


「なるほど……」


ミラの表情から、緊張が少し和らいだ。仮設だからこそ、精度より速さを優先していい――その割り切りも、誠の段取りの一部だった。


バルドは腕を組み、しばらく黙って絵図を眺めていた。


「石組みは、うちの仕事だな」


「はい。乾いた河床に基礎を組んだ後、水が再び当たる場所には、石を組んで守りを固めます。バルドさんの根固めの技術と、組み合わせたい」


「悪くない」


バルドは初めて、はっきりとそう言った。


「川を逃がして、乾いた場所で仕事をする。うちにも、そんな発想はなかった」


「工法には、名前が要ります」


誠が言うと、バルドは意外そうな顔をした。


「名前?」


「この先も、同じ工法を使う場面が出てくるはずです。名前がないと、誰かに伝えるのも、教えるのも難しい」


「なら、お前が付けろ。言い出したのは、お前だ」


誠はしばらく考えた。川を逃がし、乾いた場所で仕事をする――その仕組みそのものを表す言葉が欲しかった。


「水を、脇に逃がすだけの堤……」


口の中で何度か言葉を転がしてみる。仰々しい名前より、誰が聞いても仕組みが分かる呼び名がいい。


「――川逃がし堤、でどうでしょう」


「川逃がし堤、か」


バルドが繰り返すと、ミラも小さく口の中で復唱した。


「悪くない。分かりやすい」


バルドが頷くと、それで名前は決まった。誠にとっては、この世界で初めて自分の手で名付けた工法だった。異国の知識をそのまま持ち込むのではなく、この世界の言葉で語り直す――それもまた、段取りの一部なのかもしれないと思った。


「あとは、人手と日程だ」


バルドは絵図の脇に、木炭で数字を書き足していく。


「水路を掘るのに、村の人手が要る。石組みは、うちの職人を出す。基礎組みは、俺が直接見る」


「バルドさんが、現場に?」


「材料出して終わり、じゃ気が済まん性分でな」


バルドは、ぶっきらぼうにそう言った。だがその一言に、誠は確かな重みを感じた。材料の提供者から、施工の当事者へ――バルドは今、自分の意志でその一線を越えようとしていた。


「村側の人手は、どれくらい割ける?」


バルドに問われ、誠は頭の中で村人たちの顔を思い浮かべた。


「水路掘りと運搬に、動ける者は総出で回せます。テオという若いのが運搬班をまとめてます。力仕事は、村一番の大男、ガルフが誰よりも頼りになる」


「石組みの職人は三人出す。あとは、お前の村の若いのに、うちの手元仕事を手伝わせる。見て覚えるのが、一番早い」


「助かります」


「冬までに間に合わせるなら、悠長にはやってられん。人と物の割り振りは、今日のうちに決めてしまうぞ」


バルドが木炭を握り直し、絵図の余白に村と工房、両方の人員配置を書き込み始めた。誠もその隣に立ち、村側で揃えられる人手と道具を、一つ一つ確認していく。


石材の運搬経路、水路を掘る順番、基礎組みに入るまでの日数――紙の上に、少しずつ現実的な段取りが形を取っていった。


日が傾く頃には、大まかな段取りが紙の上に出来上がっていた。


工房を出ると、外はすっかり冷え込んでいた。町の灯りが一つ、また一つと点り始める。


「よし、材料はすぐ揃うから、いつでも着工できるぞ」


バルドの一言に、誠は頷いた。


「川逃がし堤に、根固め。それと、村の人手」


ミラが指を折りながら、今日決まったことを数え上げていた。


「全部、揃った?」


「ああ。あとは、やるだけだ」


残された日数は、多くない。だが、材料と技術と人手――必要なものは、ようやく揃った。


宿への道を歩きながら、誠は懐の紙をもう一度確かめた。そこに書かれた段取りが、これから村と町の両方を巻き込む、大きな仕事の設計図だった。

次回の更新は、7月26日 21:10を予定しています。


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