第17話 現場監督、棟梁の目を変える
数日が経ち、川はすっかり元の流れに戻っていた。
削られた岸には、まだ生々しい激流の爪痕が残っている。冷え込みは日ごとに増し、朝には草に霜が降りるようになっていた。吐く息はもう白く尾を引き、川岸に散らばった杭の残骸を拾い集める誠の指先も、かじかんで感覚が鈍くなっていた。
誠は残骸の片付けをしながら、次の一手を考えていた。町へ向かうか、それとも先に村道の補修に回るか――段取りを組み直していた、その時だった。
冬までの日数を、誠は指折り数えていた。木材の運搬、基礎の組み直し、石組みの調達。どれか一つでも遅れれば、橋は冬を越せない。だが今の村の手だけでは、どう組んでも足りなかった。
杭の残骸を積み上げながら、誠はふと顔を上げた。峠道の方角に、人影が一つ見えた。
村の入り口に、見覚えのある太い体つきの男が立っていた。
「バルド……さん」
樽のように横に厚い体を、無骨な外套で包んでいる。町から歩いてきたのか、革靴には土がついていた。
「噂を聞いた」
前置きもなく、バルドはそう言った。
「増水があって、村の連中が言った通りの場所が崩れたと。誰かが吹聴した話に、いちいち動く趣味はないが」
「わざわざ、確かめに来たんですか」
「口じゃなく、現場で証明しろと言ったのは俺だ。なら、俺自身も現場で確かめるのがスジだろう」
そう言うと、バルドは案内も待たずに川岸へ歩き出した。
崩れた岸の跡を、バルドは黙って眺めていた。
しゃがみ込み、土の断面に太い指を這わせる。層になった土の色を確かめるように、爪の先で少しずつ削っていく。杭の残骸を拾い上げ、折れた断面に目を近づけ、しばらく黙って眺めていた。
「木の質は、悪くない。折れたんじゃなく、本当に根元ごと持っていかれたか」
独り言のように呟くと、今度は岸に沿って何歩か歩き、削れの深さが変わる境目に目星をつけているようだった。長年の勘だけで、誠が数字で示したものと同じ場所を、正確に言い当てていく。
「……うむ、確かに、根元から持っていかれてるな」
呟くように言うと、近くで片付けを手伝っていたテオに声をかけた。
「おい、そこの若いの。お前あの時どこにいた」
「俺は……高台の方で、荷物を運んでました」
「水が来た時、真っ先に崩れたのはどこだ」
「あの、杭を打ってあった場所です。監督が、そこが危ないって、前もって言ってたので」
テオの答えは、淀みなかった。あの日を境に、誠のやり方に一切の疑いを持たなくなった男の声だった。
村人の答えを聞きながら、バルドの表情は変わらなかった。だが、目だけは終始、岸の跡を追っていた。
誠は懐から、粗末な紙の束を取り出した。
「これが、増水の前まで取ってた記録です」
バルドに差し出す。杭ごとの位置、日ごとの水面までの深さ、削れの進み方――数字と簡単な図が並んでいた。
バルドはしばらく無言でそれを見ていた。
「毎日、これを」
「はい。バルドさんに、口だけじゃないと示すために」
「削れの速さが、日を追うごとに上がってる」
バルドの指が、紙の上の数字をなぞった。
「これは、勘か?」
「勘じゃありません。水が土台を削るのは、流れの速さと川底の形で決まります。杭を打って、それを追っただけです」
バルドは紙から顔を上げ、誠を見た。値踏みするような目は変わらないが、そこに宿る色が、以前とは違っていた。
「……お前、本当にただの村の人間か」
「ただの、現場の人間です」
少し離れた場所で、ドルガとミラが息を詰めて成り行きを見守っていた。誠の隣に、いつの間にかミラが並んで立っていた。ドルガも、腕を組んだまま一歩も動かずにこちらを見つめている。
バルドはしばらく黙り、紙を丁寧に折りたたんで誠に返した。
工房の職人たちに向けるのと同じ、値踏みするような沈黙。誠は何も言わず、ただ結果を待った。
「木材と金具は、揃えてやる」
短く、それだけ言うと、バルドは付け足すように呟いた。
「口先だけの仕事を、ヴァルガは一番嫌う。だが――お前のは、そうじゃないらしい」
低い声だったが、確かにそう聞こえた。誠の耳に、その一言はこれまでのどの評価よりも重く響いた。試されてから今日まで、数字を積み上げ、村人たちの命を守り、そうして初めて届いた言葉だった。前世で誰かにこれほど正面から仕事を認められたことが、あっただろうかと誠は思った。
「ただし」
「何か条件が?」
「工事の間、俺の目の届くところでやれ。数字だけの若造か、現場でも使える人間か――もう少し見させてもらおう」
「望むところです」
「勘違いするなよ。信じたわけじゃない。まだ、見定めてる最中だってだけだ」
バルドはそう言い添えながらも、口元がわずかに緩んでいるのを、誠は見逃さなかった。
「気の長い話にはならんぞ。冬前に、橋をかけるんだろう」
「はい」
「なら、明日からでも段取りを詰める。うちの工房に来い」
そう言い残すと、バルドは踵を返し、来た道を戻っていった。
その姿が見えなくなるまで、誰も口を開かなかった。
ドルガが、詰めていた息を吐き出すように言った。
「……やったようだな」
「まだ、始まってすらいません」
誠はそう答えながらも、頬が緩むのを止められなかった。ミラも、隣で小さくガッツポーズを作っていた。
「あの偏屈そうな男が、自分から材料を出すというなんてな」
ドルガは何度も頷きながら、目元を拳で拭った。歳のせいか、朝の冷え込みのせいか、それとも別の理由か、本人にもよく分からないようだった。
誠はその背中を見送りながら、村の空気が、また少し変わったのを感じていた。
材料の壁は、崩れた。
だが、冬までの日数は限られている。橋を架け直すには、木材の運搬、基礎の組み直し、そして石組みの調達――やるべきことは山のようにあった。バルドの工房で職人の手を借りられるとしても、村側で用意すべきものも多い。誠は頭の中で、明日以降の段取りを組み立て始めた。
まず村の人手を割り振り、石材を運ぶ班と、基礎の準備をする班に分ける。ドルガには、村総出の日程調整を頼む必要がある。ミラには、土魔法で運べる範囲を確かめてもらう。
「監督、何から始める?」
「明日、まずバルドの工房で細かい段取りを詰める。それが決まってから、村の割り振りだ」
「私も、行っていい?」
「ああ。魔力の話は、お前がいた方が早い」
ミラは頷きながらも、どこか誇らしげな顔をしていた。
次に立ちはだかるのは、施工そのものだった。
次回の更新は、7月25日 21:10を予定しています。
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