第13話 現場監督、町の壁にぶつかる
木々の切れ目に見えた灰色の城壁は、歩くほどに輪郭を濃くしていった。
近づくにつれ、木を燃やす匂いが強くなり、人の声、荷馬車の軋みが遠くから届き始める。ミラの足取りが、無意識に速くなっていた。
門番は、誠の泥のついた作業服と、色褪せたヘルメットを一瞥し、怪訝そうに眉を寄せた。
「……その恰好は?」
「旅の格好です。職人ギルドへの依頼で」
短く答えると、門番はそれ以上追及せず、顎で通行を許した。誠はその一瞬の視線に、これから何度も浴びることになるだろう視線の先触れを感じた。
門をくぐった瞬間、ミラは声を失っていた。
石造りの建物が軒を連ね、人と荷馬車が絶え間なく行き交っている。呼び込みの声、鍛冶場の槌音、家畜の鳴き声――村とは比べ物にならない喧騒が、四方から押し寄せてきた。冷えた朝の空気に、煮炊きの煙と土埃の匂いが混じっている。露店には見慣れぬ野菜や干物が並び、行き交う人々の身なりも様々だった。誰一人として、誠たちに目を留める者はいない。
村では、誰もが誠の顔と名前を知っていた。ここでは、誰も知らない。それは楽なはずなのに、どこか心細さも連れてきた。
「すごい……こんなに人がいるんだ」
「ああ」
道の端では、商人たちが荷馬車を並べて何かを話し込んでいた。
「……北回りは、今年もこの時期から混むな」
「峠が使えりゃ、こっちは半日で済むんだが」
聞こえてきた会話に、誠とミラは思わず顔を見合わせた。あの橋が、遠くの商人の懐にまで影を落としている。
誠は町並みを見渡しながら、無意識に【大地審眼】を起動していた。
石畳が、黄色く発光している。壁のあちこちにも、同じ色がにじんでいた。ひび割れた箇所は、より濃い黄色。中には、赤く光る一角もあった。
(モーレン村と、変わらないな)
規模が大きくなっただけで、中身は同じだった。応急処置を重ねて、なんとか形を保っている。それが、この世界のインフラのすべてだった。
――こんなに人がいて、こんなに建物があって。それでも、誰も直そうとしない。
前の世界なら、資格証と経歴書を出せば、それだけで話は半分終わった。だがここでは、轟誠という名前も、向こうで取った一級土木施工管理技士の肩書きも、ただの音でしかない。積み上げてきたものが、ここでは何一つ通用しない。
分かってはいたことだった。それでも、いざ見知らぬ町の空気を吸うと、その現実の重さが今さら肩にのしかかってくる。
「監督、どうしたの?」
「いや。……行くぞ、たしかギルドはこっちだったな」
道行く人に道順を尋ねると、胡散臭そうな一瞥をよこされたが、指さされた方向へ黙って歩いた。狭い路地を何度か曲がるうちに、木材の匂いが強くなってくる。
寒風が路地を吹き抜け、ミラが小さく身を縮めた。冬は、もうこの町にも忍び寄っている。
工房の戸口をくぐると、木を打つ音と、鉄を叩く音が同時に耳に飛び込んできた。木くずと金属の匂いが立ち込めている。
奥では、職人たちが黙々と手を動かしていた。その中の一人――樽のように横に厚い体つきの男が、誠たちにちらりと目を向けた。太い指で握った鉋を止めることなく、木材の面を滑らせていく。右手の指が二本、根元から欠けているのが目についたが、それを感じさせない滑らかな手つきだった。薄く削れた木屑が、一定の厚みで足元に積もっていった。その手つきに、無駄が一切なかった。それだけで、また作業に戻っていく。名乗りもしなければ、近づいてもこない。
誠はその視線の重さだけを感じながら、受付らしき台に向かった。
「モーレン村から来た。木材と金具を、まとまった量で頼みたい。橋の架け替えに使う」
台の奥にいた職人が、誠を上から下まで眺め回した。
「モーレン村?」
「ああ」
「お前、この辺じゃ見ない格好だな」
「村よりも遠くの生まれなもんでな」
作業着という未知の出立の誠を、職人は訝しげに見回す。
「ふん、うちは片手間仕事はやらん。まして、あんな寂れた村の依頼となると――」
言葉の端々に、値踏みするような響きがあった。
「見積もりだけでも、出してもらえないか」
「見積もりにも手間がかかる。うちは、素性の知れない相手に時間を割くほど暇じゃない」
「金は、村総出で用意する」
「金の話じゃない」
職人は道具を置き、初めて誠と正面から向き合った。
「いいか、腕のいる仕事に、素人の口出しは要らんという話だ」
「口は出さない。図面と工程は、こちらで用意する」
「図面?」
職人は鼻で笑った。
「村の男が図面を引くと? 悪いが、そういう話は聞き飽きてる」
工房の中の空気が、少し冷えた気がした。先ほどの、樽のような体つきの男が、手を止めることなく――それでも、こちらの様子を耳だけで拾っているのが分かった。鉋を持つ手の動きが、ほんのわずかに緩んだ。
誠は何かを言いかけて、止めた。ここで技術の話をぶつけても、今は聞く耳を持ってもらえない。村では結果を見せてから信用を得た。ここでも、同じことをすればいい。焦る必要はない。
「……また、出直す」
そう言って踵を返す誠の背中に、視線が一つ、突き刺さっていた。
工房を出ると、ミラが誠の顔を覗き込んだ。
「大丈夫? すごい嫌な言い方だった」
「慣れてる。現場じゃ、初対面でもっと言われたこともある」
軽く答えたが、内心はそう軽くなかった。何の実績も示せないのだから、説得力などあるはずもない。いくら現場の知識があると言っても、それを示せなければ意味はない。
――それでも。
一人で背負わないと決めたのだから、今日の失敗も、一人で抱え込む必要はない。
「今日はもう、宿を探そう。明日、別のあてを当たる」
「うん」
そうして二人は宿を探すべく歩き始めた。
次回の更新は、7月21日 21:10を予定しています。
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