第12話 現場監督、町を目指す
朝の空気は日に日に冷たさを増し、吐く息はもう白く尾を引く。完成したばかりの村道を歩けば、乾いた枯葉が長靴の下で乾いた音を立てて砕けた。夏の間あれほど誠の靴を呑み込んだ泥は、もうどこにもない。
村の人間の口数が、目に見えて増えていた。
「橋がなけりゃ、冬は越せん」
荷を積んでいたテオが、誰にともなく呟く。
「商人も、めっきり来なくなったわね」
井戸端でハンナが誰にともなくこぼす声も、誠の耳に届いた。橋さえ渡れれば、北の遠回りをせずに済む。村の誰もが、行き着く先は同じだった。
祝宴の夜に出たあの一言は、今では日々の会話に何度も混じるようになっていた。誠はその声を聞くたび、まだ見ていない橋の姿を思い浮かべていた。
「見に行くか」
誠が言うと、ミラが即座に頷いた。
川は思ったより広かった。
流れは速く、水音が絶え間なく響いている。橋の残骸は、対岸まで届かないまま川の中ほどで途切れていた。朽ちた木材が水しぶきを浴び、黒く湿っている。見上げるほど太い丸太が、無造作に川床へ転がっていた。
かつてはこれが村と外を繋いでいたのだと思うと、その太さがかえって痛々しい。近づくと、川特有の冷たく湿った匂いが鼻を突いた。
誠は【大地審眼】を起動した。
橋脚の残骸が、視界の中で色を変える。表面は黄色。だが、水面のすぐ下――橋脚の根元は、赤く発光していた。
(……根元だけが、極端に痩せてる)
木材そのものの劣化ではない。誠は水の流れを目で追った。橋脚のあった場所の川底が、周囲より深くえぐれている。水は橋脚の残骸にぶつかるたび、渦を巻いて跳ね返っていた。
「これは、腐ったんじゃない」
「え?」
ミラが覗き込んでくる。誠は川底を指した。
「水が橋脚の足元を、少しずつ削っていったんだ。木が腐って落ちたわけじゃなく、支えてた土台ごと流れに持っていかれた」
「土台が……流されちゃったんだ」
「橋脚の周りだけ、川底が掘れてるだろう。水が当たると、そこだけ流れが速くなって、底の土や砂を巻き上げる。それが続くと、橋脚は自分の重さで沈むか、傾いて倒れる」
ミラは川底を見つめたまま、しばらく黙っていた。
「……見た目は、木が腐って落ちただけに見えるのに」
「原因が分からないと、同じ場所にまた橋を架けても、また同じことが起きる」
「じゃあ、今度は……水が足元を削れないように、何かする必要があるんだね」
誠は少し驚いてミラを見た。まだ方法までは教えていない。それでも、原因から必要な対策の輪郭を、自分の言葉で言い当てている。
「その通りだ。よく分かったな」
ミラは照れたように目を伏せたが、以前のように縮こまりはしなかった。
誠の声は静かだったが、確信があった。
問題は、それだけではなかった。
誠とミラが川へ向かったと聞きつけ、ドルガも遅れて追いついてきた。息を切らしながら川岸に立ち、残骸を見渡す。
誠は流れの幅、対岸までの距離、川底の様子を一通り目で追った。村道の側溝とは、規模も難易度も違う。
「この橋は村だけでは無理だ」
ドルガが眉を寄せた。
「無理、とは」
「木材はある程度村でも揃うだろう。だが、この流れの中で基礎を組み直すには、村の道具じゃ足りない。金具も、専門の技術も要る」
「町の職人を頼らねばならんか」
「と、なると、ギルドを頼らなきゃいけねぇな」
「金は……足りるのか」
ドルガの声に、弱さが滲んだ。そして、諦めたような顔でテオが呟く。この村に、大きな工事を頼めるほどの蓄えはない。
「金がすべてじゃありません。段取りをきちんと示せば、値切る余地も分割で払う道もある。まずは、話をしに行くだけです」
ドルガはしばらく黙った後、深く息を吐いた。
「……儂らだけじゃ、どうにもならんか」
「一人で背負うことじゃありません」
誠は静かに言った。
言ってから、自分でも少し驚いた。
――前の現場では、誰にも相談しなかった。工期を削られても、危険を承知で段取りを詰めたのは自分一人だ。悠真に無理をさせないためだと思っていたが、本当は誰かを頼る術を知らなかっただけかもしれない。結果、守れなかった。
今度は、一人でやらない。
そう決めた自分に、誠は小さく驚いていた。この村に来て、初めて分かったことがある。任せることは、逃げることじゃない。
その日のうちに、誠は町へ向かう支度を始めた。ミラが同行を申し出て、荷物をまとめている。
出発の朝、広場には見送りの村人が集まっていた。
ガルフが無言で麻袋を差し出す。中には乾いたパンと干し肉が詰まっていた。
「……ありがとう」
ガルフは小さく頷いただけだった。その目が、橋の方角へ一瞬だけ流れる。何かを言いかけて、結局今日も言葉にはしなかったが、誠にはその意味が分かる気がした。
「これも、持っていって」
ハンナが駆け寄り、竹筒を押しつけた。中身は温かい湯で割った果実酒だという。
「峠は冷えるから」
「ありがとう」
足元では、ピノが誠の袖を引いていた。
「早く帰ってきてね。橋、見たいから」
「ああ、必ずな」
ドルガも見送りに出てきていた。
「儂の名代として行ってこい。村の代表として、恥ずかしくない交渉をしてくるんじゃぞ」
「行ってきます」
振り返ると、村の人間がほとんど広場に出て見送っていた。数日前まで、誠のことを胡散臭そうに見ていた者たちの顔もある。誠は小さく頭を下げ、踵を返した。
峠道の入り口に立ち、誠は遠くにかすかに立ち上る煙を見た。町の方角だった。
道は次第に上りになり、踏みしめる土が乾いた音を立てる。木々の隙間から差す光は低く、長い影が道に伸びていた。吐く息の白さが濃くなるたび、村が遠ざかっていくのが分かった。
歩き出してすぐ、道は誠の手がまだ入っていない獣道に変わった。木の根が地面を這い、踏むたびに乾いた土埃が舞う。ミラが何度も足を取られ、小さな悲鳴を上げた。
「大丈夫か」
「ちょっと、この靴、山道向きじゃなくて……」
小さな沢に差し掛かった。飛び石が点々と並んでいるだけの、頼りない渡り方だった。誠は水面を一瞥し、石の並びを目で追う。
「この並びなら渡れる。真ん中の石だけ避けろ、傾いてる」
言われた通りに渡ったミラが、対岸で振り返った。
「……なんで分かるの、見ただけで」
「毎日、現場で見てた景色だからな」
軽口のつもりだったが、ミラは感心したように何度も頷いていた。
しばらく歩いたところで、誠は足を止めた。ハンナの竹筒を開け、一口飲む。腹の底からじんわりと温まる感覚があった。ミラにも勧める。
「町に着いたら、まずギルドの受付だ。いきなり値切ろうとせず、状況を正確に伝える。段取り八分、仕事二分。仕事の前の段取りがすべてだ」
「監督の口癖、また出た」
「悪いか」
「ううん。……頼もしい」
ミラは笑って、竹筒を返した。
再び歩き出すと、木々の切れ目から、遠くに灰色の城壁がちらりと見えた。誠が見た、この世界で初めての「町」だった。
「ちょっと、緊張する」
隣を歩くミラが呟いた。
「俺もだ」
まだ見ぬ職人たちが、その先で待っている。
村を救った男の噂が、どこまで届いているかは――まだ、誰も知らない。
次回の更新は、7月20日 21:10を予定しています。
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