表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
96/211

第96話 隣町への道

朝の道は、まだ湿っていた。


萌の月十九日。

村の南へ続くわだちには、夜の間に落ちた露が細く残っている。わたしの靴の先が土を踏むたびに、やわらかい音がした。


エマは、布に包んだパンを父の鞄へ入れてくれた。


「町まで半日よ。リナ、途中で疲れたら言うのよ」


「うん」


「お父さんも、歩く速さを合わせて」


父は革紐を結びながら、短く頷いた。


「分かってる」


ノラはまだ眠そうな顔で、戸口から手を振っていた。


「ねぇね、お兄ちゃんに会う?」


「今日は、まだ分からない」


「お手紙、わたして」


「うん。渡せたら渡す」


そう答えると、ノラは満足したように頷いた。

その小さな頷きが、布に包んだパンよりも重く鞄の中へ入った気がした。


◇◇◇


グレンフィールド村を出ると、畑の匂いが少しずつ変わった。


村の近くは湿った土と麦の匂いが強い。道がなだらかに下り始めると、草の匂いに馬糞と車輪の油の匂いが混じった。


わたしは父の横を歩いた。


父の歩幅は大きい。

けれど今日は、いつもより半歩ぶん短かった。


(——合わせてくれてる)


(——それでも、足は短い)


十一歳の身体は、前世の記憶が思うほど長く歩けない。

頭の中では、村と町の距離を線で引ける。けれど実際の道は、足の裏にひとつずつ乗ってきた。


「疲れたか」


「まだ」


父はそれ以上聞かなかった。

代わりに道端の石を一つ、靴の先で横へどけた。


その所作が父らしくて、少し笑いそうになった。


◇◇◇


昼前、道の先に屋根が増え始めた。


最初は、遠くの丘の下に黒い点が並んでいるだけだった。

近づくと、それが家の屋根になり、煙突になった。

やがて人の声になった。


ハーラム町。


わたしが生まれてから、初めて見る隣町だった。


村より道が広い。

荷車が二台すれ違える幅があり、道端には布や乾いた魚を売る小さな台が並んでいた。人の声は村より多く、どこかで金属を打つ音もしている。


(——ここに、お兄ちゃんがいる)


その事実が、急に足元から上がってきた。


手紙の中の町ではない。

父の話の中の町でもない。


お兄ちゃんが毎朝起きて、訓練に出て、夜に眠る場所が目の前にある。


「まずギルドへ行く」


父が言った。


「ベルマン氏に顔を出す。町の中を勝手に歩くより、その方がいい」


「うん」


わたしは頷いた。


王都への返事も、ヨハンへの手紙も、町を通らなければ先へ進まない。

道の終わりではなく、ここは次の道の始まりだった。


◇◇◇


商人ギルドは、思っていたよりも大きな建物だった。


木の扉は厚く、入口の上には鈴が吊ってある。

父が扉を開けると、鈴が乾いた音で鳴った。


中には紙と革と香辛料の匂いが混ざっていた。

村の家ではしない匂いだった。


奥からベルマン氏が出てきた。


「アルベルトさん。お嬢さん。よくいらっしゃいました」


「世話になる」


父が短く言うと、ベルマン氏は少しだけ目を細めた。


「テオドール様からも、町で必要なものは手配するよう言われています。もっとも、今日の目的は王都の紙ではなさそうですね」


わたしは思わず父を見た。


父は、懐から小さな紙を出した。

昨夜わたしが書いた走り書きだった。

短い煙。

長い煙。

間。


「これを見せられた」


「お父さん」


「町の狼煙台を見たいそうだ」


ベルマン氏は紙を受け取り、しばらく黙って眺めた。

それから、笑わない目でこちらを見た。


「お嬢さんは、今度は煙を商売にするおつもりですか」


「まだ、見るだけです」


「見るだけ、ですか」


ベルマン氏は同じ言葉を繰り返した。


「見ただけで終わったものを、私はあまり知りませんが」


何も言い返せなかった。


◇◇◇


狼煙台は、町の西側にあった。


町外れの低い丘に、石を積んだ四角い台が立っている。

その上には黒く煤けた金属の皿と、風を受けるための板があった。板は思っていたよりも大きく、人が両手で動かすような取っ手がついている。


周りには乾いた薪と、匂いの強い草の束が積まれていた。


(——火)


(——煙)


(——板で切る)


頭の中で、昨日のメモがもう一度並んだ。

短い煙。長い煙。間。


でも、紙の上で三つ並べるのと、煤の匂いがする台の前に立つのとではまったく違った。


煙は、汚れる。

風で流れる。

人が見落とす。


それは、線ではなく、空気の中へほどけていくものだった。


「何してる」


低い声がした。


振り向くと、狼煙台の裏から男の人が出てきた。

日焼けした顔に無精髭があり、目元には深い皺が刻まれている。擦り切れた革の上着を着て、腰には火打ち道具と小さな筒を下げていた。


ベルマン氏が一歩前に出た。


「ヤンさん。こちらはグレンフィールド村のアルベルトさんと、娘さんのリナさんです。狼煙台を少し見せていただきたい」


「商人ギルドの頼みか」


「半分は」


「残り半分は?」


ベルマン氏は、わたしの方をちらりと見た。


「お嬢さんの好奇心です」


ヤンさんの視線が、わたしに落ちた。


子供を見る目だった。

けれど、見下ろす目ではなかった。


「嬢ちゃんが、狼煙を見るのか」


「はい」


「煙は、面白くないぞ」


「どうしてですか」


ヤンさんは鼻で笑った。


「待つからだ」


わたしは瞬きをした。


「待つ?」


「火をつける。煙が上がる。向こうが見る。向こうが返す。それまで待つ。風が悪けりゃ、もっと待つ」


ヤンさんは狼煙台の皿を靴の先で軽く叩いた。


乾いた灰が、皿の縁で崩れた。


「決まった煙で、決まったことを伝える。それだけだ」


「決まったことは、いくつありますか」


「数えるほどだ。敵。火事。異常なし。集合。荷の遅れ。あとは見張りが覚えてる範囲だな」


(——少ない)


(——でも、ゼロじゃない)


わたしは皿の縁を見た。

黒くなった金属の上に、古い煤が何層にも重なっている。


長い間、ここで同じことが繰り返されてきた跡だった。


◇◇◇


ヤンさんは、面倒そうにしながらも狼煙台の周りを一通り見せてくれた。


薪を置く場所。

湿った草を足す場所。

風向きを見るための布切れ。

町の西の丘と、さらに遠い見張り台の位置。


「あそこが見えるか」


ヤンさんが西の空を指した。


わたしは目を細めた。


遠くに、小さな棒のようなものが立っている。

見えるような、見えないような距離だった。


「……たぶん」


「嬢ちゃんの目じゃ、まだきついな」


「ヤンさんには見えるんですか」


「見えなきゃ飯が食えん」


それは自慢ではなかった。

仕事の事実を言っただけの声だった。


父が、狼煙台の板の取っ手を見ていた。


「重いな」


「風がある日に軽い板なんか使ったら、煙より先に板が飛ぶ」


ヤンさんが答えた。


父は頷いた。


「なるほど」


父の「なるほど」は、紙に書く言葉ではなかった。

木の厚みと鉄の軸を見て、手の中で重さを測った時の声だった。


わたしはそれを聞きながら、もう一度狼煙台を見上げた。


王都への紙。

お兄ちゃんへの手紙。

ノラが置いた三つの木片。


昨日は、全部が紙の上にあった。

今日は、足の痛みと煤の匂いの中にあった。


(——線は、引くだけじゃない)


(——誰かが、見て待っている)


ヤンさんが、灰のついた手を革の上着で拭いた。


「見終わったか」


「はい」


「じゃあ覚えとけ。煙は、上げるより読む方が難しい」


その言葉が、胸の奥に残った。


読む方が難しい。


コードも、そうだった。

書くより、読む方が難しいことがある。書いた人の癖、古い修正、場当たりの約束。全部が残って、あとから来た人を待たせる。


わたしは、煤けた皿の縁を見た。


煙は待つものだと、ヤンさんは言った。


なら。


待つ時間を少しだけ変える方法も、どこかにあるはずだった。


■あとがき・解説


第96話は、リナが初めてハーラム町まで歩き、狼煙台守のヤンと出会う回でした。


第95話では紙の上にあった「村・町・王都」の点が、この話では実際の道、足の痛み、町の匂い、狼煙台の煤として立ち上がります。

今回は「ハーラム町」「狼煙台守」「読む側の難しさ」についてゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「ハーラム町」——グレンフィールド村の隣町


ハーラム町は、グレンフィールド村の隣町です。


商人ギルドがあり、ヨハンが自警団見習いとして暮らしている場所でもあります。


リナにとっては、村の外の世界を実際に歩いて見る最初の大きな一歩になります。


■「ヤン」——狼煙を仕事として扱う人


ヤンは、ハーラム町西側の狼煙台守です。


理屈よりも現場で覚えた身体知を重んじる人物で、煙、風、見張り台の距離を日々の仕事として扱っています。


今後、リナの通信技術を現場へ接続する重要な相手になります。


■「煙は、読む方が難しい」——通信は受け取れて初めて届く


狼煙は煙を上げるだけではなく、遠くで正しく読まれなければ意味がありません。


この「読む側」の難しさが、リナにとって通信を設計するうえでの最初の制約になります。


ただ遠くへ知らせるだけではなく、相手が同じ意味で受け取れるようにする。

ここから第2部の通信の話が少しずつ動き出します。

次の話もお楽しみに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ