第3話 魔力なき者
「明日は、村の教会に行きましょうね」
朝食の片付けをしながらエマがさらりと言った。
わたしはこぼれそうになったスープを慌てて啜って母を見上げた。
「教会、なんで?」
「魔力検査の日なの。リナももう八歳でしょう? 村の決まりで、八歳になった子供はみんな祭司様に魔力を見てもらうのよ。本当は暁の月の初めに行く予定だったけど、リナが熱を出してたから、ようやくこの日になったの」
魔力検査。
その言葉にわたしは——少しだけ息を吸い込んだ。
(きた)
この数日、わたしはひそかに考えていた。
この世界には明らかに魔法がある。母エマも村の女性も、当たり前のように小さな魔法を使う。
だとしたらわたしも——八歳のリナという少女も——もしかしたら使えるかもしれない。
胸の奥が少しだけざわついた。
期待していないつもりだった。
でもまったく期待していなかったわけでもないと自分で気づいてしまった。
「お母さん、検査って痛い?」
「ううん、全然。リナはじっとしてるだけよ」
エマはわたしの頭をぽんと叩いて、それから少しだけ表情を曇らせた。
——その曇り方をわたしは見逃さなかった。
◇◇◇
村の教会は家から歩いて十分ほどの場所にある、石造りの小さな建物だった。
中に入ると薄暗くてひんやりしていた。天井近くの小さな窓から細い光が差し込んでいる。
正面の祭壇の前に長身の女性が立っていた。
灰色の長い髪を編んで肩から垂らしている。
白と銀の祭司服。胸には古い魔石のペンダント。
「祭司様、エマです。リナを連れてまいりました」
エマがそう言って頭を下げると、女性は静かに振り返ってわたしを見た。
藍色の深い瞳だった。
わたしを「子供」としてだけ見ているわけではない——何かを射抜くような鋭い視線。
「リナ、ね。私はエルナ。よろしく」
声は意外と低くて穏やかだった。
「……よ、よろしくおねがいします」
声が少し震えた。
エルナはわずかに口元を緩めて、わたしの前に小さな台座を置いた。
台座の上には握り拳より少し大きい透明な石——いや結晶のようなものが置かれている。
「これに両手で触れてみなさい。簡単よ、力を入れなくていい。ただ触れて深く息を吸って、吐いて」
わたしは頷いた。
小さな手を結晶の上にそっと乗せる。
ひんやりとした感触。
ガラスでもただの石でもない、何か独特な生きているような冷たさ。
息を吸って——吐いて——
(……)
何も起きなかった。
結晶の中で何かが揺らぐ気配も光る気配もない。
わたしの手のひらに何かが集まってくる感覚もない。
それでもわたしはもう一度、深く息を吸った。
祈るような気持ちで。
——けれど、
「……うん。もういいわよ、リナ」
エルナの声が静かに告げた。
わたしはゆっくりと結晶から手を離した。
顔を上げると、エルナはいつもの——いやわたしが初めて見た顔だけれど、たぶんいつもどおりの落ち着いた表情をしていた。
「エマさん、結果を申し上げますね」
「……はい」
「リナは、魔力なき者です」
その言葉は教会の石の壁に低く響いた。
◇◇◇
エマの背中がほんの一瞬、強張った。
それからすぐに彼女は娘の手を握って優しく微笑んだ。
「分かりました、祭司様。ありがとうございます」
エマの声は震えていなかった。
エルナはわたしをじっと見つめて——それからほんの僅か視線がわたしの瞳の奥を覗き込むように停まった気がした。
(……?)
けれどエルナは何も言わずに、ただ軽く頷いた。
「リナ。またいつでも教会にいらっしゃい」
それだけだった。
◇◇◇
帰り道は長かった。
午前の遅い時間で、村の通りには井戸に向かう女たちや畑から戻ってくる男たちがいた。
「あら、エマさん、リナちゃんは検査だったの?」
最初に声をかけてきたのは井戸でアクシリアを使っていたあの女性だった。
「ええ、終わったところで」
「結果は……」
エマが答える前に。
わたしの隣を歩いていたエマの顔を、その女性は一瞬で読み取った。
「あら……まぁ……」
声のトーンが変わった。
それからその人はぎこちなく笑って「お大事に」と言って足早に去っていった。
その後も何人かに同じことが起きた。
誰もわたしのことを悪く言ったりはしなかった。
ただわたしの目をまっすぐには見なくなった。
そして「お大事に」と——わたしが病気でもないのに——そう言った。
わたしはエマの手を強く握り直した。
エマは何も言わずにわたしの手を強く握り返してくれた。
◇◇◇
家に戻ると、父アルベルトが居間で待っていた。
エマがわたしを抱きかかえて椅子に座らせて、それから夫に向かってただ首を横に振った。
父はしばらくわたしを見ていた。
そして——
「リナ」
低い声で名前を呼んで——
「お前はお前だ」
それだけ言った。
わたしは何も答えられなかった。
ただ頷いた。
兄のヨハンはまだ何が起きたのか分かっていない様子だった。
帰ってきて父の顔を見て、母の顔を見て、わたしの顔を見て——
「……リナ、検査どうだった?」と訊いた。
エマが短く「リナは魔力なき者だって」と答えた。
ヨハンは一瞬、口を開けた。
そしてすぐに閉じて、わたしの隣に座って強くわたしの肩を抱いた。
「リナ、俺はお前のお兄ちゃんだから」
それから不器用に付け加えた。
「魔力なくたって、お前はお前だ」
——父と同じ言葉だった。
わたしはもう頷くこともできなかった。
◇◇◇
その夜、わたしは屋根裏の自分の寝床で毛布にくるまっていた。
ノラはすでに眠っている。
階下からは両親のひそひそ声がかすかに聞こえてくる。
何を話しているかは分からない。
魔力なき者、と。
さっき祭司エルナが言った言葉が頭の中で繰り返し響いていた。
(なんで……)
前世でわたしはそれなりに自信があった。
コードを書ける、システムを設計できる、チームを動かせる。
それを引っさげてわたしはここに来た。
それなのに、
——この世界の根本のルールにわたしは最初から参加させてもらえないのか。
魔法、というこの世界の核心。
誰もが当たり前に使う仕組み。料理にも水にも明かりにも使う、その源。
わたしにはそれを動かす権利がない。
(……じゃあ、わたしは)
毛布の中で自分の小さな手を握りしめた。
(……わたしは何もできないのか?)
——でも。
頭の片隅で別の声がまだ消えずに残っていた。
——前世のあの「あと一つだけ」の感覚。
——書きたかった関数を結局書き終えられなかった、あの夜の続き。
それは過労死しても消えなかった、わたしの中のたぶん一番頑固な部分だった。
(……わたしは、何かを作りたい)
その思考は絶望の底にあっても消えなかった。
■あとがき・解説
第3話は技術用語があまり出てこない、感情のお話でした。
代わりに少しだけ、この話のテーマと、リナがこの日に背負ったものについて、書き手としての気持ちを残しておきます。
■この話で起きたこと
■「魔力なき者」という言葉について
この世界では、八歳になった子供が祭司様の前で結晶に触れて魔力を測られる、という決まりがあります。
ほとんどの子供は何かしら魔力を持っていて、大なり小なり魔法が使えるようになる、というのが当たり前。
そんな中でリナはそのどちらでもない、「魔力なき者」と判定されてしまいました。
これは現代の言葉に置き換えると、なかなか難しいものがあります。
病気とは少し違う。怪我とも違う。生まれつき、というには重い響き。
「他のみんなが当たり前にやっていることが、自分にはできない」という、その線の引かれ方そのもの。
この日からリナの胸に残った、一つの事実です。
■村人たちの「お大事に」
この話で印象的だったのは、村人たちが誰一人リナを悪く言わなかったことです。
ただ、ちょっと目を逸らして「お大事に」と言って、足早に去っていく。
悪意ではないのです。むしろ、どう接していいか分からない優しさの裏返し。
だけどリナにとっては、その「腫れ物に触るような扱い」こそが一番こたえる場面だったかもしれません。
こういう距離感は、現代でも色々な場面で起きていることのような気がします。
■それでも消えなかったもの
毛布の中でリナが握りしめていたのは、絶望だけではありませんでした。
前世で「あと一つだけ」と呟きながら死んでいった、あの頑固な部分。
「わたしは、何かを作りたい」という、過労死しても消えなかった、たぶん彼女の一番奥にある声。
魔力がなくても、何かを作りたい。
これは技術用語ではなくて、リナという人間そのものを支えている、骨のような気持ちです。
この骨があるかぎり、彼女はきっと前に進んでいけると、書き手としては信じています。
辛い話でしたが、ここを通らないとリナの物語は始まらないと思って書きました。
次の話もお楽しみに。




