第23話 レオの言葉
家までレオと一緒に水を運んだ。
家の前でエマが待っていてくれた。
「あら、レオくん。来てくれたの?」
「エマさん、こんにちは」
レオは礼儀正しく頭を下げた。
「途中でリナの桶、運んでくれたの?」
「うん。半分こぼれちゃったけど」
「……あら、リナ、頑張ったのね」
エマがわたしの頭を撫でた。
何が起きたかたぶんエマには半分くらい伝わっていた。
それでも彼女は深く追及しなかった。
「レオくんちょっと上がっていく? いまパン焼いたところよ」
「いいの?」
「ええ。お礼しないと」
——レオは嬉しそうに頷いた。
◇◇◇
居間でレオは、エマが切ってくれたパンをもぐもぐと食べていた。
わたしはその隣で自分のパンをちぎりながら、ぼんやりと彼を見ていた。
(——レオ)
(——同い年の男の子)
(——いままでちゃんと話したことなかった)
家族とグスタフ親方しか、わたしには村での「居場所」がなかった。
だけど、もしかしたら、
(——レオも、わたしの「居場所」になるかもしれない)
胸の奥がふわりと温かくなった。
「リナ」
レオがパンを飲み込んでわたしを見た。
「うん」
「お前本当に何やってるの? 最近、グスタフさんとこに毎日行ってるって聞いた」
「うん。鍛冶屋さんの工房」
「そんなの、面白いの?」
「うん。とっても」
——レオはしばらくわたしを見つめた。
それから首を傾げた。
「ふーん。変わってる」
——でも、その「変わってる」は、
さっきの年上の子供たちが言った「変わったやつ」とはぜんぜん響きが違った。
レオの「変わってる」は、ただ事実を述べていた。
そこに嫌悪も優越感もなかった。
——ただ、不思議、というだけ。
(……あ、)
(……この子、もしかして悪気がない)
胸の奥で何かがほどけ始めた。
「レオ、ありがとう」
わたしは思わずぽつりと呟いた。
「ん? 何が?」
「あの、さっき助けてくれて」
「ああ、あれ?」
レオは肩をすくめた。
「俺、あいつら嫌いだから」
「嫌い?」
「うん。アイラお姉ちゃんとか、いっつも年下に偉そう」
——アイラ、というのがたぶんさっきの年上の子の一人の名前。
「レオはなんで嫌いなの?」
「だって人を馬鹿にするから。俺、馬鹿にされるの嫌い」
——その単純さが、なんだか可愛らしかった。
「レオも馬鹿にされたこと、ある?」
「あるよ。俺、勉強苦手だから」
「あ、そうなんだ」
「うん。お前は勉強できそうだ」
レオがわたしを見て、にやりとした。
「レオは何が得意?」
「鶏の世話。あと、走るの」
「速い?」
「うん。村の同い年の中じゃ一番」
「すごい」
レオは嬉しそうに胸を張った。
八歳児の素直な誇り方だった。
◇◇◇
「レオ」
「うん」
「もしまた明日会えたら、お話聞かせてくれる? レオの好きなことを」
——わたしは思い切って言った。
レオはぱちぱちとまばたきして、それから、
「うん、いいよ」
と頷いた。
「俺の好きなこと、聞いてくれるの初めて」
「えっ、本当?」
「うん。大体、お母さんとかは『そんなのいいから勉強しなさい』って言う」
——なんだかその言葉が、わたしの胸をちょっとつねった。
(……レオ、寂しいんだ)
(——「魔力なき者」のわたしと、勉強が苦手なレオ)
(——たぶん似てる)
(——「みんなの中でちょっと外れてる」という似た位置にいる)
——わたしは心の中で決めた。
(——レオと、ちゃんと友達になる)
(——わたしの初めての、家族以外の友達)
エマが片付けをしている台所から、ふっとわたしたちを見た。
そして何かを察したように優しく微笑んだ。
◇◇◇
レオが帰った後、わたしは屋根裏に上がった。
窓の外を見た。
青の月の終わりの、強い日差し。
村の屋根が白く光っていた。
(……たくさん、あった、今日)
頭の中でわたしは整理した。
(——朝井戸で、おばさんたちの「優しい侮蔑」を受けた)
(——道で、子供たちの「あからさまな悪意」を受けた)
(——そしてレオが間に入った)
(——レオの「変わってる」は悪意ではなかった)
——胸の奥には、まだちくちくと何かが残っていた。
おばさんたちの言葉。
子供たちの笑い声。
桶を半分こぼした失敗。
それでも、
レオの差し出した手の温度が、それを上書きしてくれた。
(——わたしはひとりじゃない)
——心の中でもう一度噛みしめた。
(——家族と、グスタフ親方さん、そしてレオ)
(——わたしの「居場所」が少しずつ増えていく)
明日もレオに会えるだろうか。
会えたら、彼の好きなことをたくさん聞きたい。
そう思いながらわたしはノラを抱き上げて、もう一度家族の輪に戻った。
階下からエマの「お昼ご飯よー」と呼ぶいつもの声が聞こえてきた。
■あとがき・解説
第23話も技術用語の少ない、感情の回でした。井戸の帰り道に割って入ってくれたレオが、家のパンを食べながらぽつりと「変わってる」と呟く。たったその一言が、リナの胸の奥でどれほどの意味を持ったか。今回はその辺りを少しだけ書き残しておきます。
■この話で起きたこと
■同じ言葉、ちがう響き
ほんの少し前、年上の子供たちはレオを指して「変わったやつ」と笑いました。同じ「変わってる」という言葉なのに、レオがリナに向けた「変わってる」は、まったく別の手触りをしていました。
何が違うのか。レオの言葉には比較も評価も入っていないのです。「みんなと違う」を「だから下」とつなげない。ただ「自分とは違う」を「ふしぎだな」と受け取る。それだけ。
世の中には、人と人を区別する言葉が無数にあります。けれど区別したあとにそこへ上下をつけるかどうかは、まったく別の動作です。レオの八歳児の率直さは、その区別と評価の間にすっと線を引いてくれていました。リナの胸の奥で「ほどけ」が起きたのは、たぶんここでした。
■「みんなの中でちょっと外れている」似た者同士
レオは勉強が苦手で、家でも「そんなのいいから勉強しなさい」と言われるタイプの男の子。リナは魔力なき子で、井戸の前で「一人で来ない方がいい」と言われるタイプの女の子。
得意なことも苦手なことも違うのに、二人は村の真ん中からちょっとだけ外れた場所に立っている、という意味では似た位置にいました。リナが「たぶん似てる」と感じ取ったのは、その立ち位置の角度のことです。
似た位置に立つ人同士は、お互いをわざわざ「励ます」必要がありません。ただ隣にいて、それぞれの好きなことを話せばいい。それだけで、いつの間にか足元の地面が少しずつ広がっていく。リナにとって、レオはそういう種類の「友達候補」でした。
■「初めての、家族以外の友達」
これは技術の話ではなく、人間の話です。リナの前世は社会人として走り抜けた末の過労死でした。きっと友達らしい友達は、もうずいぶん前から疎遠になっていたはず。それより前の学生時代に、こんなに真っ直ぐに「俺、あいつら嫌いだから」と隣に来てくれる友達がいたかどうか。
リナ自身が屋根裏で噛みしめていたように、たぶん前世にもいなかった。だからこそレオの差し出した手は、八歳児の手の温度を超えて、リナの中の「もうひとりの前世のリナ」までを少しだけ温めた、そういう手だったのだと思います。
明日もレオに会えるかな。会えたら、彼の好きなことをたくさん聞きたい。
そんな小さな約束を胸に抱えて、リナは家族の輪に戻っていきました。井戸の冷たさを覆い隠すほどの温度ではなくても、少なくともそれと並べて置いておけるくらいの、温かな何か。
次の話もお楽しみに。




