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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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210/211

第210話 エルナと名づけて

とん、とん。


そろえた紙の束が机のうえで鳴った。


番号の表。名前の取り決め。かこみと数のおぼえ書き。


どれも、この作業場でひとつずつ生まれてきた紙だ。


すこしまえまで、この世のどこにもなかった紙たち。


湯殿の盤はもう八日、夜どおし働いている。


「かたづけか?」


ティオが椅子ごとこっちへ寄ってきた。


「ちがう。まとめるの」


「ゆうべ考えたんだ。名前の候補、おれ三つある」


「名前はあと」


「あと?」


「名前より先に、決めることがある」


散らばった工夫を、一枚ずつならべていった。


番号で指す。名前で呼ぶ。かこみでたたむ。


そろってはいる。でも、べつべつの紙のままだ。


「これをぜんぶ、一冊にする。書き方のきまりとして綴じる」


「きまり、ね」


決めることは、単純なはずだった。


上から下へ、順に読む。


一行に、ひとつの手順。


塊には名前をつけて、名前で呼ぶ。


くりかえしはかこみでたたんで、わきに数。


なのに、書きはじめてすぐ手が止まった。


「なあ。数って、かこみの右に書くんだっけ。下だっけ」


「……わたしは右」


「おれ、下に書いてた」


古い紙をひっぱり出して、見くらべた。


ほんとうだ。おなじかこみなのに、数の場所がちがう。


「きみが右で、おれが下。どっちかが折れるんだな」


どっちの紙も、読める。


読めるけれど、読むたびに一瞬まよう。


右かな、下かな、と目が泳ぐ。


そのすきまに、写しまちがいが入りこむ。


(——書き癖だ)


そのことばが別のものを思い出させた。


「ティオ。図書室に行こう」


「は? いま?」


「たしかめたいことがあるの」


中庭の風は乾いて高かった。


麦の束をかかえた生徒たちとすれちがう。収穫祭の飾りの支度だ。


図書室のなかは、古い紙と革のにおい。


係の人にたのんで、灯りの陣の写本を三冊出してもらった。


おなじ「灯り」の陣。ただし、時代も土地もばらばらの三冊。


古い革の表紙は、手ざわりまで年寄りだった。


めくると、かわいた音がする。


書見台にならべて、ふたりでのぞきこんだ。


「……これ、ほんとにおなじ陣か? 名札がなきゃ信じないぞ」


「わたしも、ならべて見るのははじめて」


一冊めは入れ子だ。


かこみのなかに、またかこみ。内へ内へ、渦のように巻いていく。


二冊めは形くらべの列。


似た形がいくつもならんで、すこしずつちがう。


三冊めは上から下へまっすぐ。


番号と、飛び先のしるし。


村にいたころから、古い陣の書き方にいくつかの流れがあるのは知っていた。


こうしてならべると、あらためてよく分かる。


おなじことを言うのに、言い回しがまるでちがう。


「書いた人がちがうんだろ。字が人によってちがうみたいに」


「うん。字とおなじ」


それより深いところを言いかけて、のみこんだ。


いまたしかめたいのは、そこじゃない。


「で? たしかめたいことって」


「これ。——ちがいがあるから、まよう。そろえれば、まよわない」


昔の書き手たちは、それぞれの流れの書き方で書いた。


だから流れをまたいで読む人は、そのたびにまよったはずだ。


わたしたちの右と下も、おなじこと。


小さなゆれは、ほうっておけば増えていく。


「で、おれたちはそろえる側になる、と」


「ふたりのあいだだけでも、まずは」


ティオは三冊の写本を見わたして、ため息とも感心ともつかない息をはいた。


「そろえなかった人たちの末路が、ここにならんでるわけだ」


「末路って言わない」


作業場にもどって、午後いっぱいを一冊にあてた。


決めたことを、一枚ずつ書いていく。


書きながら、なんども写本の三冊を思い出した。


あの三冊のあいだには、そろえる人がいなかった。


わたしたちには、いる。ふたりも。


上から下へ、順に読む。一行に、ひとつ。


名前は、読む人のための名前。


数はかこみの右わきに、小さく。


数の場所は、わたしの右が勝った。


そのかわり、名前の書きだしの形はティオの案をとった。


まよったところは、そのたびにふたりで決めて書きたした。


夕方ちかく、紙のはしに穴をあけて綴じ紐をとおした。


結び目で、手がもたついた。


前世の頭は段取りをとうに済ませているのに、手のほうはまだ紐とけんかしている。


「貸せって。……ほら」


ティオがむすっと言って、きれいに結んだ。


きゅ、と紐が鳴った。


薄い。でも、たしかに一冊だ。


表紙に「ならべる書き方の、きまり」と書いた。


折り重ねる書き方には、また別のきまりがあるだろう。


「で」


ティオが身を乗り出した。


「名前は。きまりの名前じゃなくて、ことばの名前」


番号も、名前も、かこみも。


これから書かれる手順もぜんぶ入れた、ひとつのことば。


その名前。


すこし考えた。


考えて、最初に浮かんだのは顔だった。


村の、祭りの日のにおいといっしょに。


胸の魔石にそっと触れてから、話しはじめる人。


ことばをひとつずつ、選んで置くように話す人。


あの人の話はみじかいのに、聞きおわると頭のなかがそろっている。


「……エルナ」


「エルナ?」


「うん。エルナがいい」


「なんで、エルナ?」


「村の祭司様の名前。言葉を、たいせつにあつかう人だから」


ティオはすこし黙って、それから笑った。


「人の名前かよ」


「いい名前は、人からもらうの」


「エルナ、ね」


口のなかで転がすように言って、ティオはうなずいた。


「……まあ、呼びやすい」


それで、決まりだった。


表紙の隅に小さく書きくわえた。


エルナ。


(——高級言語だ)


前世の頭が静かにそう言った。


機械にちかい言葉のうえに、人にちかい言葉をのせる。


(——前世にも、人の名前をもらった言葉があった)


たしか、昔の数学者の名前。


わるい伝統じゃないと思う。


窓の外は、もう薄暗い。


「ためそう」


一冊を机のまんなかに置いて言った。


「エルナで書いて、灯りがつくところまで。ぜんぶ通す」


「ぜんぶって、いまからか」


「みじかいのでいい。……それに、暗いし」


「たしかに暗いな」


あたらしい紙の半分に、エルナで書いた。


あかりを、ひとつ。


名前と、みじかい手順。それだけの小さなことばだ。


書きながら、息がひとつ、笑いに抜けた。


エルナで書かれる最初のことばがこれでいいのか。


いい。灯りからはじまるのは、わるくない。


でも、この紙はまだ動かない。


エルナは人のための言葉で、盤はこれを読めない。


ここから先は、人の手の仕事だ。


ティオがきまりの一冊をひらいて、符号語へ写しかえていった。


「あかり、は……名の取り決めの、あの塊だな」


「そう。中身の符号に、ほどいて」


「きょうは、逆ね」


わたしが読みあげて、ティオが錐をにぎった。


「たまにはな」


きり、きり、と錐が鳴った。


手のひらほどの、みじかい布が一本。


盤にかけて、蓄魔石をはめた。


布の端を読みの口にとおして、取っ手をまわした。


かち。


針が落ちる。火花が走る。


机のはしで、小さな灯りがともった。ふ、と。


夕闇の作業場に、あかりがひとつ。


見なれたはずの灯りなのに、ふたりともしばらく黙っていた。


紙のうえのことばから、はじまった灯りだ。


エルナで書いて、符号語へ写して、布に穴をあけて、盤が読んだ。


どの段も、もう知っている道だった。


あたらしいことは、なにもしていない。


ただ、はじめて、ことばから灯りまでが一本の道でつながった。


(——書けば、ともる)


あいだをつないでいるのは、いまはまだわたしたちの手だけれど。


「なあ」


ティオが灯りを見たまま言った。


「おれたち、ちょっとすごくないか」


「……うん。ちょっとすごい」


それ以上は、どっちも言わなかった。


灯りの下で、一冊の表紙をもういちど見た。


エルナ。人に近い、魔法の言葉。


この一冊があれば書ける。読める。なおせる。


——ほんとうに?


書いたのは、わたしとティオだ。


ふたりとも、中身を隅から隅まで知っている。


知っている人間が読めるのは、あたりまえだ。


(——わたしが横で説明しなくても、これ、読めるんだろうか)


この言葉をまだ知らない、だれかにも。


あたらしい灯りの下で、一冊は静かに閉じたままだった。


■あとがき・解説


第210話は、散らばった工夫がひとつの言葉になり、名前をもらう話です。名前の由来は、ずっと昔の第3話から歩いてきました。


■この話で出てきた言葉


■「書き方のきまり」——一冊に綴じる


上から下へ、順に読む。一行に、ひとつ。名前は読む人のために。数はかこみの右わき。決めてしまえば単純なことばかりですが、決めていないと右か下かで目が泳ぎます。現実のプログラミングでいう、言語の文法にあたるものです。


■「書き癖くらべ」——図書室の三冊


おなじ「灯り」の陣なのに、入れ子の渦、形くらべの列、上から下へまっすぐ。古い写本は流れごとに言い回しがまるでちがいます。ちがいがあるから、まよう。そろえれば、まよわない。きまりを作る理由は、昔の書き手たちが教えてくれました。この「流れのちがい」そのものの謎は、まだずっと先の話です。


■「エルナ」——人に近い、魔法の言葉


番号も名前もかこみも入れた、ひとつのことばの名前。リナは村の祭司様の名前をもらいました。言葉をたいせつにあつかう人だから。現実でも、人の名前をもらったプログラミング言語があります(昔の数学者の名前です)。いい名前は、人からもらうもの。


■「一本の道」——ことばから灯りまで


エルナで書いて、符号語へ写して、布に穴をあけて、盤が読む。どの段も、すでに知っている道です。あたらしいことはなにもしていないのに、はじめて端から端までがつながりました。まんなかの「写しかえ」だけは、まだ人の手の仕事です。


■「読めるんだろうか」——つぎの問い


書いたふたりが読めるのは、あたりまえ。では、この一冊を知らない人は、紙だけで読めるのか。つぎの話は、その小さな試験からはじまります。


次の話もお楽しみに。


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