第208話 名づける
「湯殿のは、どっちだ」
ティオが机のはしの布の山から、荷札をつまみあげた。
湯殿・夜のはじめ。
こっち、と指をさす。
となりの巻きには、べつの荷札。
ためし・三号。
この八日で、書きかけの布は四本にふえた。
写して、通して、なおして。
夜のひと晩ぶんはまだ書きあがらない。
それでも布は、すこしずつ長くなってきた。
湯殿のつづき。ためしの布。書きそこないの布。
どれもおなじ古布で、ひろげればどれもおなじ穴の列だ。
穴を読んで見分けるのは、もうあきらめた。
でも、荷札があれば迷わない。
端の小さな札を、めくるだけでいい。
(——名前があると、人は迷わない)
穴の列は、盤のための言葉。
荷札は、人のための言葉。
朝の作業場は静かで、窓からはいる風が墨のにおいを運んでいった。
ティオは荷札を結びなおしながら、布の山をながめていた。
「便利だよな、これ。……なあ、思ったんだけどさ」
「うん」
「荷札ってのは、布の外にしかつけられないのか」
錐を持ちかけた手が止まった。
布の外に、名前。
きのうまで、それはあたりまえのことだった。
荷札は荷物の外につけるものだから。
でも。
(——名前を、布の中に持ちこめたら)
温めて、待つ。ひとことで言えたらな。
ティオがこのまえの帰り道にこぼした、あのぼやき。
あの「ひとこと」の正体は、名前だったんじゃないか。
「布の中に、名前を書こう」
「……は?」
「よく使う手順の塊に、名前をつける。本編の布に名前を書いたら、中身がまるごと呼ばれるようにする」
ティオはしばらくまばたきをして、それから頭をかいた。
「あれ、冗談のつもりだったんだけどな」
「冗談でも、正しかった」
やり方は、午前のうちにふたりで決めた。
まず、名の符号。
札の番号には、穴の組み合わせの手前のほうしか使っていない。
奥のほうの、どの札の番号でもない組み合わせ。
いままでは写しまちがいの住みかでしかなかった帯を、名前の帯にする。
つぎに、名の布。
塊の中身——符号の列を、みじかい布に写して、べつに取っておく。
これが名前の中身になる。
「名前にも、中身の布がいるのか」
「いる。名前は呼ぶだけで、はたらくのは中身の布」
さいごに、持ち替え。
本編の布を走らせていて、名の符号が来たら、取っ手を止める。
本編をはずして、名の布を掛ける。
名の布を最後まで走らせたら、また本編のつづきにもどす。
盤には、なにひとつ足さない。
針もテコも送りの歯車も、そのままだ。
持ち替えるのは、人の手。
「そこは、手なんだな」
「うん。いまは、手でいい」
手でよくない日が来たら、そのとき考える。
「盤は、名前を知らないんだな」
「知らない。名の符号が来ても、盤はなにもしないで通りすぎるだけ」
どの札の番号でもない列に、盤はなにもしない。
写しまちがいで思い知らされた、あの正直さだ。
こんどはその正直さを、こっちが使う。
「じゃあ、名前が来たって、だれが気づくんだ」
「取っ手をまわしてる人。だから——」
穴のわきに、墨で名前を書くことにした。
盤は穴を読む。
人は墨を読む。
おなじ布のうえに、盤のための言葉と人のための言葉を、ならべて書く。
荷札が布の中にはいった。
(——これは、呼び出しだ)
前世の言葉が頭のすみをよぎった。
サブルーチン。関数。
名前を呼べば中身が走って、終わればもどってくる。
世界の言葉で言うなら——名づけた手順、だろうか。
呼んで、もどる。それだけのことに、前世はいくつも名前をつけていた。
最初の名前は、すぐに決まった。
決まったというより、見つかった。
書きかけの布をならべてみると、おなじ並びが何度も出てくる。
火の札をひと突きして、待ちをはさんで、灯りの札で明るさをそろえる。
明かりをつけるたびに、わたしたちは毎回この並びを書いていた。
「これに名前をつけるなら?」
「『あかり』だろ」
ティオが即答した。
そのとおりだと思った。
火を呼んで、明るさをそろえて、できあがるのは——あかりだ。
名の布に中身を写して、端に墨で三文字を書いた。
あかり。
筆をにぎる指はまだ細くて、字はすこし曲がった。
それでも、読める。
読めるなら、名前だ。
ティオがとなりから布をのぞいて、笑った。
「字、まがってるぞ」
「読めればいいの」
ふたつめは「ひとやすみ」。
待ちの列を、きりのいい数だけならべた塊。
湯がさめるのを待つとき、ひと呼吸の待ちを何百と書くかわりに——この名前ひとつ。
もめたのは、三つめだった。
「『えいえんの灯り』」
「え?」
「あかりの、つきっぱなしのやつ。かっこいいだろ」
ティオは大まじめだった。
「かっこいい。でも、分からない」
「分かるだろ。えいえんに灯るんだから」
「えいえんじゃない。蓄魔石が切れたら消える」
「……そこは、気持ちだって」
気持ちで名前をつけると、どうなるか。
前世で、いやというほど知った。
かっこいい名前をつけては、ひと月後の自分が読めなくて頭をかかえていた。
なやんだ末の答えは、いつもおなじところに落ちた。
名前は、つける人のものじゃない。
「名前はさ。あとで読む人のために、つけるんだと思う」
「読む人……」
「ひと月あとのわたしたち。それから、わたしたちじゃないだれか」
ティオは布の山を見て、それから端の荷札を見た。
湯殿・夜のはじめ。
「……これ、か」
「うん。あれを書いたとき、かっこよさは考えなかった」
「分かった。読む人のための名前、な」
負けたけど負けてはいない、という顔でティオは筆を置いた。
「でも『ひとやすみ』は、おれの案だからな」
「いい名前だと思う。ひと目で、休みたくなる」
昼すぎに、ためしてみた。
湯殿の布の書きかけを、名前をつかって書きなおす。
熱の札をひと突き。それから、ひとやすみ。
書きなおした本編は、おどろくほどみじかい。
桶に水をくんで、蓄魔石をはめて、布を掛けた。
取っ手をまわす。
熱の札がはたらいて、桶のふちがぬるくなっていく。
そして、名の符号。
墨の字が送りの下にすべりこんできた。
ひとやすみ。
取っ手を止めた。
息をひとつ。
名の布は、机のはしに三本ならべてある。
まちがえて、あかりを掛けたら台なしだ。
端の墨の字をたしかめてから、送りに掛けた。
名の布を走らせて、終わったら、また本編をもどす。
手は、いそがしい。
掛けなおしのめんどうは、きのうまでとなにも変わらない。
でも、錐のめんどうがちがう。
何百の穴のかわりに、名前がひとつ。
名の布が終わって、本編にもどると、つぎの温めが来た。
桶から、うすい湯気。
「動いたな」
「動いた」
(——名前を呼んだら、中身が届いた)
夕方、書きなおした布と前の布を、机にならべてみた。
前の布は、机のはしからはしまで。
書きなおした本編は、腕のながさにも足りない。
温めて、待つ。
ひとことで言えたらな、とティオが言ったあの塊がほんとうに名前ひとつ分になった。
みじかくなるのは、布だけじゃない。
写す穴がへれば、写しまちがいもへる。
探す列がへれば、半割の手間もかるくなる。
湯殿の子に知らせるのは、ひと晩ぶんが書きあがってからだ。
そのひと晩ぶんを、ならべて数えてみる。
熱、ひとやすみ。熱、ひとやすみ。
さめるたびに温めるから、おなじ名前の組が朝までずらりとならんだ。
数えると、十をゆうにこえた。
書くのは、できる。
名前は墨で書くから、写しまちがいもしにくい。
ただ、ならべながら口の端がゆるんでしまった。
おなじ言葉を十回となえる、長い長いおまじないみたいだ。
ティオが布をのぞきこんで、ふんと鼻を鳴らした。
「ま、錐で百あけるよりましだろ」
「うん。ましになった」
ましに、なった。
名前は布の中にはいって、呼べば中身が届くようになった。
それでも、おなじ名前を十回書くのは。
(——まだ、長い)
■あとがき・解説
第208話は、手順の塊に名前をつける話です。前の話で布の外に結んだ荷札が、とうとう布の中にはいります。
■この話で出てきた言葉
■「名の符号」——布の中の名前
札の番号に使っていない、奥のほうの組み合わせ。いままでは写しまちがいの住みかでしかなかった帯が、名前の帯になりました。盤は名の符号が来てもなにもしないで通りすぎます。気づいて止めるのは、取っ手をまわす人。だから穴のわきに、墨で名前を書きます。盤は穴を読み、人は墨を読む。おなじ布のうえに、ふたつの言葉がならびました。
■「名の布」——名前の中身
よく使う塊の符号を、みじかい布に写して取っておきます。本編で名前が来たら、取っ手を止めて、名の布に掛け替えて走らせ、終わったら本編にもどす。持ち替えるのは人の手で、盤にはなにひとつ足していません。名前を呼べば中身がまるごと届く——現実のプログラミングでいう、サブルーチンや関数の呼び出しの、いちばん原始的な形です。
■「あかり」と「ひとやすみ」——最初の名前たち
最初の名前は、決めたというより見つかりました。火を呼んで、明るさをそろえる。毎回書いていたおなじ並びが「あかり」に。何百とならべていた待ちの列が「ひとやすみ」に。どちらも学院にすでにある札のならべ方に名前をつけただけで、新しい陣はひとつも要りません。
■「読む人のための名前」——名づけの取り決め
えいえんの灯り、と名づけたいティオと、分かる名前にしたいリナ。答えは、名前はつける人のものではなく、あとで読む人のもの。ひと月あとの自分たちと、自分たちではないだれかのために名前をつける——この取り決めは、このさきずっと生きていきます。
■「まだ、長い」——つぎの壁
温めて、待つ。あの塊は名前ひとつ分になりました。でも夜どおしの手順を書くと、おなじ名前が十をこえてならびます。名前は手に入った。それでも、おなじ名前を十回書くのは、まだ長い。つぎの話は、そこからはじまります。
次の話もお楽しみに。




