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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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207/211

第207話 長すぎる呪文

きり、と錐が鳴る。


布を台に押しつけて、印の場所に穴をひとつ。


定規をあてなおして、つぎの列。


きり。


あけはなした窓からはいる風はもう、腕にすこし冷たい。


月がかわって、秋になった。


机のうえには、紙の束。


寮の湯殿の、温めの手順だ。


温め。それから、待ち。


湯があたたまるまで温めて、さめるまで待って、また温める。


言葉にすれば、それだけのこと。


でも符号語で書くと、それだけのことが紙を何枚も食う。


温めの列は、みじかい。


長いのは、待ちだ。


待ちの符号は穴のない一列で、一列がひと呼吸ぶん。


湯がさめるのを待つには、その一列を何百とならべる。


熱の札は、おととい借りてきた。


実技室のすみの温め台——手をあぶるための小さな陣が彫ってある、うすい札だ。


「湯殿の温めに? まあ、台はふたつあるからな」


係の上級生は不思議そうな顔で、貸してくれた。


新しい陣は、ひとつも要らない。


札ならもう、学院じゅうにある。


わたしたちはそれを、ならべて呼ぶだけだ。


写しかたは、朝のうちにふたりで決めた。


ひとりが紙の符号を読みあげる。


もうひとりが布に穴をあける。


十列ごとに、役を替える。


声に出して写すのは、写しまちがいをへらすためだ。


黙って写すと、目が勝手にとなりの行へすべった。


「つぎ。三の札。……待ち。待ち。また待ち」


「待ちばっかりだな」


「夜だから」


読みあげる声が途中から、数え歌みたいになってきた。


「交代」


ティオが手をのばしてきた。


錐をわたすと、手首がじんとゆるんだ。


肩をまわすと、背中のすじが板みたいに固い。


朝からずっと、紙の符号を布に写している。


ふたりで、もう何十列あけただろう。


それでもまだ、夜のいちばんはじめの一角。


最初のひと温めと、最初の待ちの、その途中。


(——ひと晩は、遠い)


錐をにぎっていた手のひらに、柄の痕が赤くついている。


窓の光が机のうえをすこしずつ動いて、穴の列だけが伸びていった。


あけた穴の数は、途中で数えるのをやめた。


昼をまわったころ、ためしに通してみることにした。


書けたところまでで、いい。


熱の札を盤にさして、桶に水をくんだ。


手をあぶる台とおなじ彫りだから、桶の水くらいはあたためられるはずだ。


湯船とちがうのは、大きさだけ。


蓄魔石をはめ、布の端を読みの口にかけた。


取っ手をまわした。


かち。かち。


針が落ちて、テコがかたむいて、火花が走った。


桶のふちに手をあてて、待つ。


……ぬるい、まではいった。


でも途中でひとつ、温めが来ない。


来るはずの拍で、盤はなにもしないで通りすぎた。


「いま、飛ばなかったか」


「飛んだ」


布を巻きもどして、もう一度。


おなじところで、おなじように飛んだ。


(——写しまちがいだ)


紙のうえの符号は、ゆうべ二度たしかめた。


まちがえたのは、布に写すときだ。


どこかの列で、穴がひとつ、隣の桁にずれている。


ずれた列は、どの札の番号でもない。


だから盤は、なにもしない。


正直なものだ。


書いてあるとおりにしか、動かない。


「探すか」


ティオとならんで、布をはしから目でたどりはじめた。


穴。穴。穴なし。穴。


紙と布を、一列ずつ突きあわせる。


十列で、目のおくが痛くなった。


二十列で、紙のどの行を見ていたか分からなくなった。


穴のならびは、どの列もおなじ顔。


(——読めない)


書いたのは、わたしたちだ。


その、わたしたちが読めない。


陣の線なら、まだ見た目にちがいがある。


まるい線、とがった線、こまかい線。


穴には、顔がない。


あるか、ないか。それだけ。


盤に渡すには、それがいちばん確かで。


人が探すには、それがいちばん意地わるい。


「半割にしよう」


目で探すのは、あきらめた。


布のまんなかまで通して、飛ぶかどうかをたしかめた。


飛ばなければ、まちがいは後ろの半分。


その半分の、また半分。


言うのは、かんたんだ。


でも布の掛けなおしは、手間だった。


端をそろえて、送りの歯車にかけて、たるみを取って。


一回の掛けなおしで、手よりさきに気が疲れた。


掛けなおして、巻きもどして、また掛けなおして。


四へん通して、やっと一列にたどりついた。


穴がひとつ、桁ひとつぶん右にずれていた。


錐で、あるべき場所に穴をあけなおした。


ずれた穴は、切れ端をにかわで貼って塞いだ。


通す。


こんどは、飛ばない。


桶の水があたたまって、うすい湯気が立った。


「直ったな」


ティオの声に、力がなかった。


わたしも、すぐにはつぎの錐を持てなかった。


直った。でも。


(——これを、これから何度やるんだろう)


書けたのはまだ、夜のはじめの一角。


このさき布が長くなるほど、写す手間はふえる。


写す手間がふえるほど、写しまちがいもふえる。


まちがいがふえるほど、探す手間もふえる。


そして半割の探しものは、布が長いほど一回ぶんが重くなる。


前世の言葉が頭のすみに浮かんだ。


機械語。


機械にいちばん近くて、人からいちばん遠い言葉。


前世のわたしも、あれを素で読み書きする人をほとんど知らない。


つまり——盤のための言葉、ということだ。


人のための言葉では、ない。


(——書けることと、読めることは、別なんだ)


ならべ方だけが新しい、とカーン先生は言った。


そのとおりだと思う。


そしてそのならべ方は、人にきびしい。


夕方、湯殿に寄った。


進み具合を、伝えておきたかった。


日の落ちるのが、ずいぶん早くなった。


湯殿の石の床はひやりとして、湯気のにおいだけがあたたかい。


湯船のわきの柱に、温めの陣を写した古い札が掛けてあった。


夜番はこれを、ひと晩に四へん唱えなおすのだという。


「四へん?」


「湯がさめるたびだから……寒くなると、五へんかも」


そばかすの子は湯かき棒をかかえたまま、指を折った。


夕方の湯殿には、まだだれもいない。


夜番の仕事は、これからだ。


見れば、奥の棚に毛布がたたんであった。


夜番の上級生はここのすみで眠って、さめるたびに起きるらしい。


唱えるのは、ひと息だ。


ひと息で済む人でも、寝そこなうから困っている。


そしてわたしの盤は、人の息の代わりに——何百列の布が要る。


眠らない代わりに、長い。


ずいぶん長い詠唱を、わたしはいま、錐で書いている。


「ごめん。もうすこし、待ってて」


「うん。……できそう?」


「できる。時間は、かかるけど」


うそではない。


書けることはもう、たしかめた。


かかるのが時間と、根気だということも。


帰り道、ティオがながく息を吐いた。


「なあ。きょうの布さ」


「うん」


「温めて、待つ。あれ、ぜんぶおなじ塊のくりかえしだろ」


「そうだね」


「おなじ塊なんだからさ。『温めて、待つ』って、ひとことで言えたらな。ひとこと書けば、中身は盤がやってくれるみたいに」


言ってから、ティオは自分で笑った。


「……なんてな。そんな布、あるわけないか」


ぼやきだった。


疲れた日の、ただの愚痴。


でも、足が半歩おくれた。


(——ひとことで、言えたら)


温めて、待つ。


人はそれを、ひとことで言う。


口ではひとことで言えるのに、書くときだけ何百列に伸びる。


伸びるのは、わたしたちが盤のための言葉しか持っていないからだ。


人のための言葉を、まだ持っていない。


よく使う手順に、名前をつけられたら。


名前を呼んだら、中身がまるごと届くように書けたら。


そこから先は、まだ形にならなかった。


でも、引っかかったまま離れない。


作業場にもどって、書きかけの布をたたんだ。


穴の列は灯りの下で、やっぱりどの列もおなじ顔のまま。


布の端に、荷札をひとつ結んだ。


湯殿・夜のはじめ——それだけ書いた、小さな荷札。


せめて、人が読めるように。


布には書けない名前を、布の外にひとつ。


■あとがき・解説


第207話は、符号語の壁に、はじめて体でぶつかる話です。書けることと読めることのちがいについて書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「声に出して写す」——写しまちがいとの戦い


紙の符号を布の穴に写すのは、人の手です。だからふたりは、声に出して読みあげながら写すことにしました。それでも、出るときは出ます。何百列の中の、たったひとつの穴のずれ。盤は正直なので、書いてあるとおりにしか動きません。まちがえたのは布ではなく、写した人のほうです。


■「穴には、顔がない」——人が読めない言葉


陣の線には、まるい、とがった、こまかい、と見た目のちがいがあります。でも穴には、あるか、ないかしかありません。盤に渡すにはそれがいちばん確かで、人が探すにはそれがいちばん意地わるい。書いたはずの本人たちが、自分の書いたものを読めない——符号語は盤のための言葉であって、人のための言葉ではないのでした。


■「半割探し」——見つかる。でも、長い


目で見つからないまちがいは、半分ずつ区切って追いつめれば必ず見つかります。ただし、布が長くなるほど一回ぶんの手間も重くなります。書く手間、写す手間、まちがえる数、探す手間。ぜんぶが布の長さといっしょに伸びていく。湯殿のひと晩は、まだ遠いままです。


■「ひとことで言えたらな」——ティオのぼやき


疲れた帰り道の、ただの愚痴でした。温めて、待つ。おなじ塊なんだから、ひとことで言えたらな。でもリナの足は半歩おくれました。人は口では、手順をひとことで言えます。書くときだけ、何百列に伸びる。よく使う手順に名前をつけられたら——その先はまだ形になりませんが、次の話はそこからはじまります。


次の話もお楽しみに。


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