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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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201/211

第201話 泥くさい、と彼は言った

かり、と炭が鳴る。


紙の上に、あたらしい数字がひとつ増えた。


見られ方が変わって、きょうでふつか。


廊下を歩くだけで知らない目が集まって、正直すこしだけ足もとが浮いていたと思う。


昼さがりの作業場に、人かげはすくない。


金物の冷えたにおい。石の粉のにおい。


カーン先生はきょうは奥にいない。


わたしは借りた隅の机で、覚え書きを書き直していた。


順番の数字。矢じるし。石を置く場所と、関のこと。


おととい、知らない男の子に聞かれた。どうやって動くんですか、って。


あのときのこの紙は、わたしにしか読めない走り書きだった。


つぎにだれかが来たら、そのまま渡せる紙にしておきたい。


だから一行ずつ、言葉をえらび直している。


書いては消すので、指のはらはもう炭で黒い。


だれが読んでもまよわない紙は、自分だけの走り書きよりずっとむずかしかった。


「なあ。この線、もう一巻きしていいか」


盤のわきで、ティオが銅線のはしをつまんでいる。


「いいよ。ゆるいよりは、きつく」


「だな」


栗色の頭がまた盤の上にかがみこんだ。


たのまれてもいないのに、ティオはきょうも隅に居ついている。


それがもう、あたりまえになりつつあった。


品評の日から、見物はたまに来る。


戸口からのぞいて、盤をながめて、何も言わずに帰っていく。


だから紙の上に影が落ちたときも、最初はその一人だと思った。


顔を上げる。


知らない男の子が立っていた。


黒い髪を、きちんとうしろへなでつけている。


上等な仕立ての上着。胸に、磨かれた紋章の札。


同じ年ごろのはずなのに、目だけがひどく落ち着いていた。


退屈そうな、それでいて底に光のある目。


その目は、わたしを見ていなかった。


紙を見ていた。


人を見るというより、置かれた物を値ぶみするような見方だった。


「……順番に、ぜんぶ並べて書くのか」


ひとりごとみたいな声だった。


「……ぜんぶ?」


問いの形をしているのに、こたえを待っていない。


「そうだけど」


わたしがこたえると、男の子ははじめてわたしの顔を見た。


一拍。


それから、なんでもないことのように言った。


「泥くさいな」


(——この人だ)


きのうの朝の、顔の見えない声。


泥くさいやり方だと言った者がいるらしいぜ——。


うわさは、こういう顔をしていたらしい。


「泥くさいって、あんた……」


ティオが銅線から顔を上げた。


声に、もうかどが立っている。


「悪口じゃない」


男の子は紙から目を離さずに言った。


「ただの感想だ。並べてある。ぜんぶ。ひとつずつ。……気が遠くなる」


「ぜんぶ書いてあるのは、わざとだよ」


わたしは紙のはしを手でおさえた。


「読む人が、まよわないように。上からたどれば、だれでもおなじところに着くように」


「まよう?」


はじめて、男の子の眉がうごいた。


「美しい形は、ひと目で分かる。たどる必要なんかない」


「……ひと目で分からない人は?」


「分からない者は、書かない。それだけのことだろう」


すこしも意地悪な言い方ではなかった。


そこがいちばんこたえた。


この人にとって、それはただの事実なんだ。


たぶん本人も気づいていない、しずかな残酷さだった。


おとといの男の子の顔がちらりと頭をよぎる。


ひと目では、あの子もこの紙を分からなかった。


でも、たどれた。上から、ひとつずつ。


「……たどれば分かる人が、いるんだよ」


言えたのは、それだけだった。


男の子はこたえるかわりに、ちいさく首をかしげた。


分からない、という顔ではない。


興味がない、という顔だった。


「ぼくなら、そうは書かない」


男の子は指を一本立てた。


その指が宙にゆっくりと弧を描く。


弧は外へひらかず、内へ、内へと巻きこまれていった。


「ひとつの形に、それ自身を呼ばせる。呼ばれた形がまた自分を呼ぶ。折り重なって、ふくらんで——それで、おなじことが起きる」


指が止まった。


「少なく、美しく。書くというのは、そういうことだ」


(——再帰だ)


頭のおくで、前世の言葉がかちりと鳴った。


ひとつの手つづきが自分自身を呼ぶ。関数型の、あの書き方。


わたしの紙が上から下へ流れる川なら、この人の言う形は渦だ。


前世のわたしは、その家系の言葉にもさわったことがある。


きれいに書けたときはたしかに——みじかくて、うつくしい。


そういえば、むかし見た古い陣のなかにも内へ内へと巻きこまれていく流儀があった。


あれは、こういう頭の人が書いたのか。


くやしい。


言い方も、目つきも、なにもかも気にさわる。


なのに——胸の底のほうがかってにわくわくしはじめている。


十三の頬はかっかと熱いのに、前世の頭だけが冷たく速くまわっていく。


このずれが自分でもおかしかった。


(——なんだろう、これ。……おもしろい)


わたしのやり方に、まっこうからぶつかってきた人。


魔力がないことでもなく、生まれた家のことでもなく、書き方そのものの話で。


そんな人は、この学院ではじめてだった。


(——わたしのやり方は、ひとつじゃなかったんだ)


ならべる書き方の外に、折り重ねる書き方がある。


道は、一本じゃない。


「あんた、さっきから何なんだよ」


ティオが立ち上がった。


「この紙はな、おれでも読めるんだ。おれでも読めて、おれの手でも、そのとおりに繋げる。きのうも一本もまちがえずに繋いだ。それがどれだけ——」


「きみが?」


男の子の目がはじめてティオを見た。


それから盤を見た。


銅線。ためる器。関。紙とおなじ順番にならんだ、力の道すじ。


ほんの一拍だけ、その目が止まった。


値ぶみの目の底で、なにかが小さくゆれた——ように見えた。


「……ふん」


それだけだった。


ゆれはすぐ、退屈そうなまぶたの下にしまわれた。


男の子は紙の上から、すっと影を引いた。


戸口へ向かいかけて、思い出したように振り向く。


「きみ、名は」


「……リナ」


名前を言うだけなのに、のどが一度つっかえた。


「イスマル・ベルガ」


男の子は名乗って、上着のえりをなおした。


「覚えておくといい。……そのうち、ぼくの書き方を見せてやる」


こたえは待たなかった。


上等な上着の背中が戸口の光のなかへ消えていく。


足音にまで、むだがなかった。


「なんっだよ、あいつ」


ティオが銅線を台に置いて、鼻から息を吐いた。


「泥くさい? 人が組んだもんを、見もしないで——いや、見てたけど! 見たうえであれか!」


「ふふ」


「なに笑ってんだよ、きみ」


「ん……くやしいんだけどね」


わたしは紙を見おろした。


順番の数字。矢じるし。ぜんぶ書いてある、わたしの泥くさい紙。


「くやしいんだけど、あの人の言ったこと、悪口だけじゃなかった」


「はあ?」


「折り重ねる書き方。……たぶん、ほんとうにあるんだよ。わたしのとはべつの、もうひとつの書き方が」


ティオは眉を寄せたまま、しばらくわたしを見ていた。


それから、あきらめたように息をついた。


「……きみ、たまにそういう顔するよな」


「そういう顔?」


「あたらしい仕掛けを見つけたときの顔。……言っとくけどな、おれはあいつ、気にいらないからな」


「うん」


「うんって」


「気にいらないのは、わたしもだよ。それとこれとは、べつなの」


「……ややこしいなあ、きみは」


ふくれるティオの横で、夕方の光が机の紙をあかるくしていた。


この紙一枚で動くのは、ひとつの陣。


じゃあ、十の陣なら?


百なら?


ならべる書き方は、書くほどに長くなっていく。


折り重ねる書き方は、みじかい。でも、読める人をえらぶ。


(——どっちも、まだ足りない)


多くの陣を、だれの手でも。


そのためには、ならべるとか折るとかの前に——書きつけるための言葉がまだこの世界にない。


あたらしい紙を一枚ひろげて、すみに小さく書いた。


『ならべる』


その横に、すこしあけて。


『おりかさねる』


ふたつの言葉のあいだの白いところがやけに広く見えた。


(——多くの陣を、どう書く?)


炭を、にぎりなおした。


■あとがき・解説


第201話は、うわさの声に顔がつく話です。「泥くさい」と言った本人が、リナの紙の前にあらわれました。


今回は、「泥くさい」「折り重ねる書き方」「わくわくのずれ」について、ゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「泥くさい」——悪口ではない、ただの感想


黒い髪の男の子は、リナを見ません。紙を見ます。そして「泥くさいな」。でも本人が言うとおり、これは悪口ではないのです。順番をぜんぶ、ひとつずつ並べて書く——彼の目には、それが果てしなく不細工に映る。彼が大切にしているのは「少なく、美しく」。同じものを見て、正反対の美しさを感じるふたりが、ここではじめて出会いました。


■「折り重ねる書き方」——もうひとつの道


「ひとつの形に、それ自身を呼ばせる」。彼の言うやり方は、リナの「上から順にならべる」道とはまるでちがう坂から、同じ頂上をめざすものです。どちらが正しいのか。この問いには、じつはずっと先まで簡単な答えが出ません。ただ、リナにとって大事だったのは——自分のやり方が「唯一の道」ではなかったと知れたこと、でした。


■「わくわくのずれ」——悔しいはずなのに


面と向かって泥くさいと言われたのだから、悔しがっていいはずです。ティオはちゃんと怒ってくれました。なのにリナの胸の底は、かってにわくわくしはじめる。対等にぶつかってくる頭に、はじめて出会えたからです。名乗りはたった一言、「イスマル・ベルガ。覚えておくといい」。ええ、覚えておきましょう。この名前は、これから長いつきあいになります。


そして最後に残ったのは、勝ち負けよりも大きな問いでした。多くの陣を、どう書くか。ならべるにしても、折るにしても——それを書きつけるための言葉が、まだこの世界にないのです。


次の話もお楽しみに。


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