第200話 灯りの、あくる日
教室の戸を引いたとたん、なかの話し声がすこし低くなった。
しん、とはならない。
ただ、声の高さがそろって半音さがる。
そんな朝は、はじめてだった。
自分の席まで、いつもどおりに歩く。
視線がいくつもついてくるのがわかった。
見られること自体は、めずらしくない。
入学の日から、ずっとそうだった。
(——ちがうのは、目の中身)
ちらちら見て、ひそひそ言う。
かたちだけなら、きのうまでとおなじ。
でも嘲りばかりだった目のなかに、べつの色が混ざっている。
好奇の色。それから、たぶん敬意にすこし似たなにか。
窓ぎわの席の子と、目が合った。
あわてて、そらされる。
でも、その前のいっしゅんはたしかに、こわいものを見る目ではなかった。
「唱えずに、って……」
「ほんとうに灯ったんだって。うちの兄さまが見てた」
ひそひそ声の切れはしが耳のはしをかすめていく。
机について、荷物をおろした。
天板の窪みは、きょうも空のまま。
魔石を配る係は、やっぱりわたしの前を素通りしていく。
なのに、その空の窪みをわらう小声はどこからも聞こえてこなかった。
机は、なにも変わっていない。
変わったのは、机のまわりの目のほう。
開いた窓のそとの光は、もう夏の高さだった。
きのうの灯りは、とっくに消えている。
広間の台も、ゆうべのうちに片づけた。
それでも、あくる日はこんな顔をするらしい。
ひとつめの講義が終わった休みに、机のわきへ小さな影が立った。
わたしより頭ひとつ低い、下の学年の襟章の男の子。
そで口をにぎったりはなしたりしてから、思いきったように言った。
「あの、きのうの……あれ、どうやって動くんですか」
返事が一拍おくれた。
問いの中身のせいじゃない。
問われた、ということのせいだった。
なぜここにいる、となら数えきれないほど問われてきた。
どうやって動くのか、と聞かれたのは——この学院では、はじめてだ。
(——教えて、って言われてる)
覚え書きの紙を机にひろげて、はしを指でおさえた。
「順番が、この紙に書いてあるの」
「じゅんばん……」
「ためた石が力をわたして、ばねが火の役をする。その順番」
「ばねって、その、ふつうの金物の?」
「ふつうの金物の、ばね」
男の子の眉がうたがう形と感心する形のあいだで泳いだ。
「魔力は、どこにも入ってないんですか」
「石にためてあるぶんだけ。わたしのは、一滴も」
線と数字のならびを、男の子はしばらく見つめていた。
読めたとは、思えない。
でも、のぞきこむ目は本気だった。
「……ぼくにも、いつか分かりますか。これ」
「順番だから。上からたどれば、いつかは、だれでも」
こたえてから、自分の言葉に自分でおどろいた。
だれでも。
なぜこの順で組めたのか、紙のそとの話はしなかった。
しなくても、この子には紙で足りている。
前世で、はじめて後輩になにかを聞かれた日のことはもうおぼえていない。
でも、きっとこんな感じだったんだと思う。
(——聞かれる側って、こんなにあたたかいのか)
「あ……ありがとう、ございました」
男の子はぎこちなくおじぎをして、小走りに行ってしまった。
廊下の角で一度ふりかえって、またあわてて前を向く。
背中がすこし、はずんで見えた。
紙をたたむ指がすこしだけゆっくりになった。
たたんだ紙のなかの順番は、きのうとひとつも変わっていない。
変わったのは、それをのぞきに来る人がいる、ということだけ。
昼、渡り廊下でのこと。
前から、絹の袖が歩いてきた。
上等な服。胸もとの家紋の札。手のなかの小さな扇。
顎を引いて人を見る、あの令嬢だった。
すれちがう半歩まえで、細いくつの音がいっしゅん止まる。
わたしも、足を止めていた。
なにも、言われなかった。
きのうのように目が合うことも、なかった。
令嬢は目を伏せたまま、絹の音だけさせて行ってしまった。
(——気まずい……のかな)
胸のうちまでは、わからない。
わからないままで、いまはいいと思った。
廊下の窓のむこうで、祝祭の旗がはたはたと鳴っていた。
「聞いたか」
その日の講義がぜんぶ終わったころ、ティオが追いついてきた。
栗色の髪をうしろへはらって、にやにやしている。
「きみの盤の話、もう上級生のあいだまで行ってるぞ」
「……上級生」
「食堂で三回聞かれた。そのたび、おれが石を満たした話をした」
「三回とも?」
「四回めの途中で、めしが冷めた」
得意げな鼻。
半分は自分の手柄の顔で、それがぜんぜんいやじゃなかった。
「あの盤は、ティオの石がないと灯らないから」
「だろ?」
まよいのない返事に、ふきだした。
笑いながら、ふしぎな気もちになる。
きのうまで、わたしの作るものの話をする声は、この学院にふたつしかなかった。
わたしのと、ティオの。
それがいま、知らない食堂で知らない人の口にのぼっている。
「なあ。つぎのやつ、いつ作る」
「つぎ?」
「あれのつぎだよ。あるんだろ、どうせ」
ティオはあたりまえの顔で言った。
つぎ。
その言葉のかるさに、胸のおくがすこしだけ熱くなる。
「……あるよ。まだ、頭のなかだけど」
「なら、石はおれのを使えよな」
帰り道、作業場のまえを通ると、戸が半分あいていた。
カーン先生が奥の台で、金物にやすりをかけている。
顔は上がらなかった。
でも、わたしたちが借りていた手前の隅は、片づけられずにそのまま空いていた。
(——まだ、使っていいらしい)
声はかけずに、通りすぎた。
やすりの音だけが規則ただしくつづいていた。
夜。寮のちいさな机に、紙を一枚ひろげた。
家への手紙。
インクの壺をあけると、つんとした匂いが鼻にとどく。
『とうさん、かあさん、ノラへ』
そこまで書いて、筆が止まった。
きのうのことを、どこから書けばいいんだろう。
盤のこと。広間のこと。灯った一拍の、あの静けさのこと。
頭のなかには図も手順もあふれているのに、十三の手はゆっくりとしか進まない。
けっきょく、みじかい文になった。
『つくったものを、みんなのまえでうごかしました。
なかには、ばねとはぐるまが入っています。とうさんの鐘時計と、おなじ血すじです。
まりょくがなくても、ちゃんと見てもらえました。
ノラへ。おびは、まい日つけています。
ごはんも、たべています』
読みかえすと、子どもの手紙みたいだった。
でも、うそはひとことも入っていない。
手首の織り帯に、指でふれる。
ノラの手が織った、ふぞろいな模様の帯。
(——見てもらえたよ、ノラ)
あの子の言葉を思い出す。
——おにいちゃんだけに、つたえたいことは、ひかりじゃおくれないの。
いま送れるのは、こうして紙を折って蝋でとじる手紙だけ。
みんなに見える光と、ひとりにとどく封。
そのあいだの道は、まだこの世界のどこにもない。
(——いつかね、ノラ)
ろうそくの火で蝋をたらして、封をとじた。
窓のそとで、祝祭の笛がとおくに鳴っている。
きょうという日を書いておくれる相手がいるのは、しあわせなことだと思った。
あくる朝。
講義棟へつづく廊下は、いつもどおりの人の流れだった。
その流れのどこかで、知らない声がした。
「——あれを、泥くさいやり方だと言った者がいるらしいぜ」
足どりが半歩おくれた。
「きのうの盤の話か?」
「ああ。石と金物で灯した、あの仕掛け。……あんなものは魔導ではない、だとさ」
声の主たちは笑いながら、人ごみの先へ遠ざかっていった。
だれが言ったのかまでは、聞きとれなかった。
泥くさい。
胸のなかで、その言葉をひっくり返してみる。
泥はきらいじゃない。
畑も機械も、泥と油のなかで動いてきた。
でも、そう言った人はきっとほめていない。
藍の長衣の背中が一瞬よぎったけれど、あのおそれかたと「泥くさい」は、べつの声だ。
それだけは、わかった。
(——今度は、顔の見えない声)
朝の鐘が鳴りはじめる。
泥くさい。
言った顔を、見てみたいと思った。
■あとがき・解説
第200話は、実演のあくる日の話です。大きな事件は起きません。教室の空気がすこし変わって、知らない子が紙をのぞきに来て、夜に手紙を書く。それだけの一日を、ゆっくり味わう回でした。
今回は、「聞かれる側」「最後の匿名」「光と封のあいだ」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「聞かれる側」——民主化の最初の一滴
「あの、きのうの……あれ、どうやって動くんですか」。名前も知らない下級生の、この一言がこの話の心臓です。リナは入学からずっと「なぜここにいる」と問われる側でした。どうやって動くのか、と問われたのははじめてです。そして答えは「順番だから。上からたどれば、いつかは、だれでも」。作っているあいだ言葉では知っていた「だれの手でも」が、知らない子の本気の目というかたちで、はじめてリナのほうへ返ってきました。教わる側から聞かれる側へ。この小さな一滴は、ずっと先でもっと大きな流れになっていきます。
■「最後の匿名」——目を伏せて、行く
渡り廊下の令嬢は、今回もなにも言いません。きのうは目をそらさず顎を引いた人が、きょうは目を伏せて行ってしまう。みとめたあとのほうが、かえって気まずい——そういうことは、あるものです。リナも追いません。「わからないままで、いまはいい」。この距離感の続きは、もうすこし先のお話で。
■「光と封のあいだ」——家族への手紙
夜、リナは家へ手紙を書きます。王都の塔がはじめて動いたときは、光の伝言で第一報を送りました。今回は、紙と蝋の手紙です。みんなに見える光と、ひとりにとどく封。妹のノラが言った「おにいちゃんだけに、つたえたいことは、ひかりじゃおくれないの」への答えは、まだこの世界のどこにもありません。「いつかね、ノラ」——この宿題は、リナの胸のなかでずっと生きています。
そして、あくる朝。「泥くさいやり方だと言った者がいるらしい」。顔の見えない声がひとつ、人の流れのなかを歩きはじめました。次の話で、その声の主のほうから、リナの前にあらわれます。
次の話もお楽しみに。




