第197話 見せる場所
「陽の月の、ふつか」
戸口からの声に、やすりの手が止まった。
カーン先生が革の前かけのまま、こちらへ歩いてくる。
手には炭で書きつけた古い紙が一枚。
「講義棟のわきに、使っていない広間がある。ひるまえで押さえた」
「……押さえたって、なにをですか」
「品評の場だ。お前さんの、あれを出せ」
品評の場。
聞いたことだけはある。
作った物を持ちこんで、ならべて、人の前で見せる。この学院の、古いならわし。
杖の振りも詠唱のうまさも、そこでは出てこない。台の上に置けるものだけが出る場所だ。
(——ほんとうに、来た)
三日まえ、この人は言った。見せたいものがあるなら、見せる場所で見せろ、と。
あの言葉が日づけと場所をつれて、戻ってきた。
「言っておくが」
先生は紙を台の上へ置いた。
「魔力のつよさは、そこでは問わん。動くか、なにをする仕掛けか。それだけを見る。——そういう場だ」
「だれが見るんですか」
ティオが横から首をのばした。
「教授を、なん人か呼ぶ。生徒は、来たい者が来る」
「陽の月のふつかって、あさってだぞ」
「見せる気があるなら、早いほうがいい」
先生の目がわたしへ向いた。
「ないなら、やめておけ。だれも、こまらん」
指の先がすっと冷えた。
夏のさかりの作業場で、指だけが冬になる。
やすりを置いた手のひらに、じわりと汗。冷えているのに、汗だけは出た。
十三の体は先にふるえるのに、頭のおくは妙にしずかで、もう段取りを数えはじめていた。
石。記法の紙。器と関。運ぶ道順。
数えるそばから、指の冷えが一枚ずつ薄れていく。
(——体はこわがってる。頭は、もう歩いてる)
「……やります」
声は、思ったよりまっすぐ出た。
「そうか」
先生はうなずきもせずに言った。
「持ちこみは自分でやれ。台は、広間のを使っていい」
「あの。……なにか、話すんですか。みんなの前で」
「仕掛けが話す」
もう炉のほうへ歩きだしながら、先生は言った。
「お前さんは、動かすだけでいい」
ほめもしない。はげましもしない。
台の上には、日づけと場所を書いた紙だけがのこった。
拾いあげると、炭の字は思いのほか丁寧だった。
陽の月、ふつか。ひるまえ。講義棟わき、古い広間。
書きなれた手の、まっすぐな線だった。
紙のはしを、前かけの物入れへしまう。
奥でやすりの音が始まって、作業場はいつもの音に戻った。
戻らないのは、わたしの胸の音だけ。
◇◇◇
昼をすぎるころ、にわか雨が屋根を鳴らしはじめた。
あけた戸のすきまから、ぬれた土のにおいが入ってくる。
板の上の盤は、けさとおなじ顔でそこにあった。
蓄魔石の座。ためる器。関と、ばね。灯りの陣を刻んだちいさな盤。
あさって、これが人の目の前に出る。
そう思ったとたん、見なれた銅の道が急によそゆきの顔に見えた。
「なあ」
ティオが盤のはしにひじをのせた。
「このあいだ言った、風のやつにしないか。ひゅっと吹けば、みんなわっとなるぞ。おれなら、そうする」
「しない」
「なんでだよ。まる二日あるんだ。組みかえれば——」
「組みかえたら、十まで数えなおしになる」
ティオがうっとつまった。
器も、関も、銅の道のながさも。ぜんぶあの灯りの陣ひとつに合わせてある。
いまから風の陣にのせかえたら、ためした十回をそっくり捨てることになる。
「あさってのわたしが信じられるのは、十ためして十ついた、この形だけ」
「……まあ、そうだけどさ」
ティオはまだ未練がましく、布ごしに盤のはしをつついた。
「さわらない」
「へいへい」
「それに、ね」
灯りの陣を刻んだちいさな盤を、指の先でさした。
学院のだれもが知っている、いちばんありふれた形。
「めずらしい陣なら、見る人は陣のほうにおどろくの。すごい陣だ、って」
「うん」
「ありふれた陣なら、おどろくところはひとつしかのこらない」
いつもはだれかが自分の魔力で灯す、あの見なれた灯り。
だれの口もだれの指もかりずに、それがともる。
「……だれも手をふれてない。そこだけが、のこる」
ティオがゆっくり言いなおして、それからにっと笑った。
「きみ、そういうところ、ぬけめがないよな」
ほめているのか、あきれているのか。半分ずつの顔だった。
屋根の雨音がいつのまにか細くなっていた。
(——のこしたいものを、ひとつにする)
見せたいのは仕掛けのじまんじゃない。
魔力がなくても、動く。あさっての広間にのこすのは、それひとつでいい。
◇◇◇
雨がやんで、ひさしから水のたれる音だけになった。
午後ののこりは、こわれ方のけいこにあてた。
「けいこ?」
「うまくいく形はもう十回見た。こんどは、うまくいかない形」
前世でも、こうだった。
人前で動かすと決まったとたん、きのうまで動いていたものがきゅうに頼りなく見える。
だから当日は、うまくいく道だけじゃなく、だめなときに何が起きるかまで知っておく。
まずは、石が痩せていたら。
力の少ない古い石にのせかえて、爪を起こし、手をはなす。
半分しか満ちない器の前で、関はぴくりとも動かなかった。
外れない。だから灯らない。それだけのこと。火があばれたりはしない。
「……つかないだけか」
「つかないだけ。こわい音もしない」
つぎに、満たしすぎたら。
決まった線まで来たところで関が外れて、のこりの力は器にとどまった。あふれない。
多すぎても、放たれるのはいつもの量だけ。関のいちばんえらいところだ。
(——こわれるなら、どこからこわれるか)
そこまで見ておけば、広間で何が起きてもあわてずにすむ。
「わかった、わかった」
ためし方を数えあげるわたしに、ティオが降参の手をあげた。
「石は、あさっての朝、おれが満たしておく。まんまんにして持っていく」
「うん」
「言っとくけど、当日はそれだけだからな。あとはぜんぶ、きみの仕掛けの仕事だ」
「それで、いい」
それからティオがすこしだけ声を落とした。
「……なあ。教授って、だれが来るんだ」
「来たい者が来ると、言ったろう」
奥の炉のほうから、先生の声だけが返ってきた。
「こばみはせん。だれが来るかは、当日までわからん」
だれが、来るか。
たずねたのはティオなのに、胸の底のほうがひとりでに動いた。
白い髪に、藍の長衣。床を打つ杖の、かわいた音。
(——あの人も、見に来るのだろうか)
「何を学ぶ」と、まっすぐ問うたあの声。
あさっては、あの声の前に盤を置くことになるのかもしれなかった。
あのとき、ひとことも返せなかった。筋の通った問いだと思ってしまったから。
言葉ではいまも返せない。返せるとしたら、台の上に置けるものだけ。
指がまた冷えかけて、わたしは盤のふちをにぎった。
だれが来ても、来なくても、仕掛けのやることは変わらない。
満ちたら、外れて、ともる。あさっても、おなじに。
あとは、それを信じるだけだ。
◇◇◇
夕方、借りた道具をひとつずつ拭いて、棚へ戻した。
やすり。小刀。ねじ回し。ぜんぶ、朝とおなじ場所へ。
それから盤の木くずを手ではらって、台のまんなかへすえた。
ふるい布で角をつつみ、上からひもをかける。
ひとむすび。ふたむすび。
指の下でむすびめがかたく鳴った。
覚え書きの紙を、そのうえにかさねる。
一の番号から十まで。あさっては、この順のとおりに。
(——「いつか」じゃなくて、あさって)
窓のそとで、ぬれた石だたみが夕日をかえしている。
戸口でティオが手をあげた。
「あさって、な」
「うん。あさって」
しずかになった作業場で、布のつつみをもういちどたしかめる。
つぎにこのむすびめをほどくのは、この隅じゃない。
見せる場所の、まんなかで。
■あとがき・解説
第197話は、隅の作業台で完成した盤が「人前に出る日づけ」をもらう回です。三日まえに「見せる場所で見せろ」と言ったカーン先生が、ほんとうに場所と日どりを押さえてきました。品評の場。魔力のつよさは問わず、動くか・なにをする仕掛けか、それだけを見る古いならわしです。リナの指は冷えるのに、頭は先に段取りを数えはじめる。そして準備にあてた午後、リナは派手な陣ではなく、いちばんありふれた灯りの陣のまま行くと決めます。
今回は、「品評の場」「ありふれた陣」「こわれ方のけいこ」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「品評の場」——魔力ではない、もうひとつの物差し
作った物を持ちこんで、ならべて、人の前で見せる。この学院の古いならわしです。入学の日の測りの儀が「魔力の物差し」だとしたら、品評の場は「動くかの物差し」。杖の振りも詠唱のうまさも出てこない、台の上に置けるものだけが物を言う場所です。カーン先生はほめもはげましもせず、日づけと場所を書いた紙を一枚置いていくだけ。「仕掛けが話す。お前さんは、動かすだけでいい」——このぶっきらぼうさが、実はいちばんの信頼だったりします。
■「ありふれた陣」——見せたいものを、ひとつにする
ティオの提案どおり風の陣に組みかえれば、見た目は派手になります。でもリナは断りました。理由はふたつ。ひとつは、組みかえたら「十ためして十ついた」検証をぜんぶ捨てて数えなおしになること。あさっての自分が信じられるのは、ためした回数に裏づけられたこの形だけです。もうひとつは、めずらしい陣だと見る人が陣のほうにおどろいてしまうこと。だれもが知っている灯りが、だれの口も指もかりずにともる——のこしたいおどろきをひとつにしぼるための、地味な選択でした。
■「こわれ方のけいこ」——だめなときに何が起きるかまで
うまくいく形はもう十回見た。だから午後は、うまくいかない形をたしかめます。石が痩せていたら、関は外れない。つまり灯らないだけで、火があばれたりはしない。満たしすぎても、決まった線で関が外れて、のこりは器にとどまる。人前で動かすと決まったとたん、きのうまで動いていたものが急に頼りなく見える——前世の机でおぼえのある、あの心細さへの処方箋です。だれが見に来るのかは、当日までわかりません。次はいよいよ、広間のまんなかです。
次の話もお楽しみに。




