第196話 ひとりでに、灯る
歯車を、はずすところから始めた。
朝の作業場は床から冷えていて、靴の底ごしにそれがのぼってくる。
窓のそとでは鳥がひとしきり鳴いて、やんだ。
カーン先生はまだ来ていない。奥の炉も冷えたままだ。
しんとした借りものの隅で、仕掛けのまんなかにいた歯車をそっと抜きとる。
三日まえの夕ぐれ、この歯車がはじいた火花で、たしかに一度は灯ったのに。
「おい」
戸口から入ってきたティオがかばんを台のはしへほうり投げた。
「なんで、はずすんだ。それが、みそなんだろ」
「みそだった。……あの夕ぐれまでは」
あれから、三日。
ずっと考えていた。一度しかつかなかったわけを。
ばねの張りは巻くたびにびみょうにちがう。
器のたまりぐあいも、そのつどゆれる。
なのに歯車は決まった拍でしか、止め金をはじかない。
拍が来たそのとき、器がなみなみか、半分か——それはそのときまかせだった。
(——時計に、決めさせていたんだ)
はじく時を、歯車に決めさせない。
「満ちた量に、決めさせるの」
「量に?」
前かけの物入れから、麦つぶほどのちいさな止め金をつまみあげる。
このみっか、授業のあいまにけずってはあてて、あててはけずって作った金物だ。
「これを器の口にあてて、はじきの爪をおさえておく。力が決まった線まで満ちたら、あふれようとする力がじぶんでこれを押しのける」
「じぶんで?」
「満ちるまでは、外れない。満ちたら、かならず外れる。……いつもおなじ量まで、ためて。いつもおなじ強さで、放つ」
父さんの鐘時計が時をたがえないのは、はじきかたが上手だからじゃない。
毎回きっかり、おなじだけ歯車を送るからだ。
「ためて、はじく」は、もう教わった。
こんどはあの時計から、そろえるほうを借りる。
「これを、関と呼ぶことにする」
「せき?」
「とおるのをせきとめる、関。満ちた力だけが、じぶんで押しあけてとおれるの」
ティオが口のなかで、せき、ところがした。
「きみの名前のつけかた、へんに古いんだよな」
「おぼえやすいでしょ」
◇◇◇
かえるのは、いちどにひとつ。
はじきの爪もばねも銅の道もそのままにして、関だけを据えた。
一へんめは、外れなかった。
器が満ちきって、口のふちで力がにじんで、それきり。
「……つかないぞ」
「関が、かたすぎるの」
押さえのねじを、爪の先で半分だけもどす。
頭のなかの手つきはとうに済んでいるのに、ほんものの十三の指はまだ半分もまわしていない。
二へんめは、はやすぎた。
満ちる線にとどくまえに関が落ちて、火花が痩せた。
こんどはゆるすぎ。ちょうどは、あいだのどこかにいる。
押さえをすこしだけ返して、関のあたる面をやすりでととのえる。
かかりがななめにすべっていたからだ。
三へんめ。
こと、という音はもうしない。歯車は、ないのだから。
器がしずかに満ちて——ぱちん。
火花がするどく散り、はしの灯りがぽうとともった。
「ついた!」
ティオの声が先だった。
「もういっぺん」
「うん」
爪を起こし、手をはなして、待つ。
ぱちん。ぽう。
「二回」
灯りが引くのを待って、また。
「三回。……四回」
ティオは台のはしに腰かけて、火花のたびに指を折った。
五をこえたあたりで、数える声がのびはじめた。
「なあ。もう、いいんじゃないか」
「ううん。十まで」
「五回つづいたんだぞ。まえは一回きりだったのに」
「だから、十まで」
一度ついたくらいでは、信じない。
五度でも、まだ信じない。
十ためして十おなじなら、そこではじめて信じていい。
前世の机で、体にしみこんだ癖だ。
なおったと思ったところほど、あとでいちばん深くこわれる。
「六回。……七回。八回」
朝の光がすこしずつ高くなって、台の木肌の色を変えていった。
九へんめの火花がいちばんするどくて、ティオがひゅうと口笛のまねをした。
十へんめ。
ぱちん。
ぽう。
「……十回だ。十回やって、十回ついた」
指を折りおえたティオがこっちを見た。
「できたな」
「……うん。できた」
派手な声は、どちらからも出なかった。
かわりに顔を見あわせて、声をなくして笑った。
◇◇◇
ここからは、かたづけに似た仕事だった。
台じゅうに散らばっていたものを、ひざの幅ほどの板の上へならべ直す。
ティオの蓄魔石。ためる器と、関と、はじきのばね。
どの線をどの順で目覚めさせるか、番号と矢じるしでしるした覚え書きの紙。
そのさきに、灯りの陣を刻んだちいさな盤。
力のながれる順に、銅の道を短くつなぎ直していく。
(——はじめてじゃない)
王都の塔のときも、部屋いっぱいに散らばった石を棚に積んで、ひとつの機械にまとめた。
あれの、うんとちいさいの。
昼まえの光が窓から入って、板の上の銅を白く光らせた。
蓄魔石を、座にはめる。
それから両手を、膝の上へ。
歯車の音はしない。器の満ちる音もしない。
しずかなままで——ぱちん。
明るさが銅の道をわたって、陣がぽうと灯った。
わたしの手は膝の上。ティオの手は、とどかないところ。
だれの口も、だれの指も、この板にはふれていない。
盤がじぶんで力をため、じぶんで火を入れて、じぶんで灯した。
(——ひとりでに、灯った)
息は、とまらなかった。
あの夕ぐれとちがって、こんどは分かっていたから。
かわりに、じんとあたたかいものが指の先までゆっくり満ちてきた。
これでもう、いつでも灯る。
まぐれの一度じゃない。だれの前でも、なんどでも。
「なあ、これ、あかりのほかもいけるのか」
ティオが板に顔を寄せた。
「風のやつとか。おれがつかう、あれ」
「……まだ。この盤が起こせるのは、この灯りひとつだけ」
器の深さも、関のおもさも、道の長さも。
ぜんぶ、この灯りの陣ひとつに合わせて作った。
ちがう陣にやらせるなら、一から組み直しになる。
(——たくさんの陣を、だれの手でも)
そこまでは、まだ遠い。
でも、遠いだけだ。道がないわけじゃない。
◇◇◇
奥の戸が鳴って、底の厚い靴の音が入ってきた。
カーン先生は革の前かけを結びながら炉のほうへ行きかけて——足を、止めた。
板の上で、灯りがまだついている。
「……火を入れたのは、だれだ」
「だれも、いません」
わたしは体をすこしひらいて、板の全部が見えるようにした。
「この仕掛けが、ひとりで火を入れます」
「魔力は」
「ありません」
「そうか」
それだけだった。
先生は膝をひとつ鳴らしてかがみこんだ。
節くれだった指が板の上を順にたどっていく。
石。器。関。ばね。火の走る道。
目は灯りよりも、金物の側ばかり見ていた。
「もういっぺん」
爪を起こして、手を引く。
ぱちん。ぽう。
先生はあごをひとつなでて、長いことだまっていた。
「……お前さんは、妙なものを作る」
低い声に、あきれと、べつの色が半分ずつ入っていた。
「こんなもの、ここの隅で灯しておくだけじゃ、もったいなかろう」
「え?」
「見せたいものがあるなら、見せる場所で見せろ。——そういうもんだ」
先生は体を起こして、炉のほうへ歩きだした。
「魔力のあるなしで測られん場が、ここにはある。そこで、見せてみろ」
見せる場所。
その言葉のおくで、入学の日の広間がよみがえった。
しんとした列。杖の鳴る音。まっすぐこちらへ向けられた、あの問い。
「操る魔力を持たぬ者が、ここで、何を学ぶ」
あのとき、わたしはひとことも返せなかった。
筋の通った問いだと、思ってしまったから。
(——あの問いに、いつか、これで答える)
膝の上で、手をにぎる。
言葉じゃなく、動くもので。
靴音が奥へ遠ざかって、やすりの音がかわりに始まった。
窓のそとに、鳥の声がもどってくる。
「もういっぺんだけ、いいか」
ティオが板をあごでしゃくった。
「しめの一回。見たいんだ、おれが」
「うん」
爪を起こし、蓄魔石をはめ直して、手を膝へ。
ぱちん。
ぽう。
ちいさな灯りが昼の光のなかでしずかにゆれた。
人の手は、どこにもない。
それでも、灯った。
何度でも。
■あとがき・解説
第196話は、火花の仕掛けが「まぐれみたいにしか出せない」段階を卒業する回です。三日まえに一度だけ灯ったあの仕掛けから、リナはまず歯車をはずします。はじく時を時計に決めさせるかぎり、拍が来た瞬間に器がどれだけ満ちているかは毎回ちがってしまう。だから「拍」ではなく「満ちた量」に決めさせる——決まった線まで満ちたら、満ちた力じたいが止め金を押しのけて外れる。この止め金が、リナの命名した「関」です。十回やって十回灯ったところで、散らばっていた蓄魔石・覚え書き・火花の仕掛けを一枚の板にまとめ、だれの手もふれないまま陣が灯ります。題のとおり、ひとりでに。
そして仕事帰りならぬ仕事はじめのカーン先生が、それを見てしまうのでした。
今回は、「関」「十まで」「この灯りひとつだけ」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「関」——拍ではなく、満ちた量で決める
前回の仕掛けは、歯車が決まった拍で止め金をはじくものでした。ためる量とはじく強さと拍。みっつがそろったときだけ火はするどくなり、それはまぐれ頼みでした。今回の関は、発想の向きを変えます。器の口に小さな止め金をあて、力が決まった線まで満ちたら、あふれようとする力そのものに押しあけさせる。満ちるまでは外れず、満ちたらかならず外れる。つまり放つ量が毎回そろう。お手本はまたしても父さんの鐘時計です。ただし前回借りた「ためて、はじく」ではなく、毎回きっかりおなじだけ歯車を送るから時をたがえない、という「そろえる」側の理屈。かたすぎれば満ちても外れず、ゆるすぎれば満ちるまえに落ちる。ばねをゆるめ、あたる面をやすりでととのえて、ちょうどを探すところは今回も物理の手仕事です。
■「十まで」——一度では、信じない
三回めが灯ったとき、ティオはもう祝う気まんまんでした。五回で「もう、いいんじゃないか」。それでもリナは十まで数えるのをやめません。一度ついたくらいでは信じない。十ためして十おなじなら、そこではじめて信じていい。なおったと思ったところほど、あとでいちばん深くこわれる——前世の机で体にしみこんだ、なおしたあとに何度もためす癖です。地味なうえに、つきあわされる側は退屈です。それでも十回めのあとの「できたな」「……うん。できた」は、三回めで祝うのとは重さがちがいます。
■「この灯りひとつだけ」——できたものと、できていないもの
板の上の盤は、たしかにひとりでに灯ります。ただし器の深さも関のおもさも銅の道の長さも、ぜんぶこの灯りの陣ひとつに合わせて作ったもの。ちがう陣にやらせるなら一から組み直しです。たくさんの陣を、だれの手でも——そこまではまだ遠い。でも遠いだけで、道がないわけではない、というのがリナの見立てです。そして先生の言う「見せる場所」と、入学の日の広間で答えられなかったあの問い。次回から、盤は隅の作業台を出ていくことになりそうです。
次の話もお楽しみに。




