第194話 機械点火の壁
ぱち。
ティオの指が陣のふちにふれた。
入り口の線がほの明るくなって、つぎの線へわたっていく。
爪は順番の紙のとおりに倒してある。
明るさはもつれずに走りぬけて、はしのちいさな灯りがまるくともった。
「よし。きょうも一発」
ティオが指を引いて、とくいげにうなずいた。
昼さがりの作業場には夏の熱がこもっていた。
高い窓をあけても、風はすこししか入らない。
奥からはカーン先生のやすりの音。しゃり、しゃり、と休みなくつづいていた。
順番の紙ができてから、四日。
石も紙も、もう仕事をおぼえている。
なんどやっても、おなじに灯る。
でも。
はじまりのひと突きだけは、いつもティオの指だった。
紙の一の番号の上には、四日まえに押した炭の丸がまだある。
なにを置くか、決まっていないままの丸。
(——のこっているのは、火をつける役だけ)
「なあ、きみ。もう、できあがりってことでいいんじゃないか」
ティオが台にかたひじをついた。
「おれが突けば灯る。紙があれば、順番はまちがえない。りっぱなもんだろ」
「うん。りっぱ。……でも、まだ」
「まだ、か」
「これだと、ティオがいないと動かない」
「そりゃそうだ。おれの指だからな」
「魔力のない人でも、独りで使える道具にしたいの。……わたしみたいな」
ティオはいやな顔もせず、ふうんと鼻から息を出した。
「なら、突く役までからくりにするのか」
「うん。火をつける役も、機械で」
石の力で陣を駆けさせられるのなら、はじまりのひと突きも石の力でやれるはず。
四日のあいだ、ずっと考えてきたことだった。
◇◇◇
やることは、かんたんに見えた。
銅の道をもう一本ふやすだけ。
力をおくる太い道とはべつに、細い一本を火の入り口へまっすぐ引く。
ためた石の力をすこしだけ分けて、人の指のかわりにそこへとどける。
爪を倒せば、火が入る。そのつもりだった。
「それだけで、いいのか」
「ためしてみないと、わからない」
汗ですべる木炭を置いて、新しい爪に指をかけた。
ティオが横で息をつめた。
倒す。
かち。
……なにも、起きない。
入り口の線に目をこらした。
明るくならない。
そっと手をかざすと、彫りのまわりの木がほんのりぬるい。
冬の炉ばたの遠くのほうみたいな、たよりないあたたかさ。
「……つかないな」
「つかない」
陣は目を覚まさなかった。
ぼうっとあたたまっている。それだけ。
◇◇◇
そこからは、こまかい手なおしのくりかえしになった。
線を細くけずってみる。
力が一点にあつまると思った。
じわっと熱くなるだけ。
道をみじかくして、石のすぐわきから引いてみる。
漏れが減ると思った。
やっぱり、ぬるい。
分ける力をふやしてみる。
あたたかさが広がるだけで、火にはならない。
爪をできるだけ素早く倒す。ゆっくり倒す。二枚かさねて一気に倒す。
なんど手をかえても、出てくるのはおなじぬるさだった。
火花は、いちども散らない。
「なあ。いまので六へんめだぞ」
ティオが台のはしに腰かけて、足をぶらぶらさせはじめた。
「おなじことのくりかえしは、あきた」
「おなじじゃないよ。ちょっとずつ、ちがうことをためしてる」
「おれには、ぜんぶおなじに見える」
そうかもしれなかった。
どこをかえても、こたえがぴくりとも動かない。
こういうときのしるしなら、知っている。
かえている場所そのものがちがうのだ。
◇◇◇
手の甲でひたいの汗をぬぐった。
(——順番に、消していこう)
こういうときは、あやしいところをひとつずつ消していく。
前世からの、癖のような手順。
まず、石。
蓄魔石はすんだままかがやいて、いまも灯りの陣をはしまで駆けさせている。
力は足りている。石は消えた。
つぎに、道。
力をおくる役なら、おなじ銅の道がきちんとはたしていた。
道も消えた。
さいごに、順番。
紙のとおりに三へんためして、三へんともおなじぬるさ。
順番も消えた。
石でもない。道でもない。順番でもない。
のこったものを、わたしはしばらくにらんだ。
のこるのは——力の、かたち。
(——そうか。ちがうのは、かたちなんだ)
力をおくる役に要るのは、長い押し。
はしからはしまで駆けさせつづける、切れない流れ。
石はそれが得意で、げんにいまもやってのけている。
でも火をつける役に要るのは、そういう力じゃない。
「いま、走れ」と告げる、するどいひと突き。
みじかくて、一瞬で、あとをひかない起爆。
石から引いた力は、道をどういじってもだらだらした流れにしかならない。
長い押しをいくら細くしぼっても、するどいひと突きにはならないのだ。
ゆっくり吐く長い息では、ろうそくの火を消せないのとおなじ。
消すのはいつも、みじかい「ふっ」のほう。
「ねえ、ティオ。ためしたいことがあるの」
「お、やっと新しいやつか」
「うん。こんどは、指のほう」
ティオがまゆを上げた。
「いつもの場所に、いつもどおり、ぽんと入れて」
「あいよ」
ぱち。
入り口の線が目を覚まして、灯りがともった。
「じゃあ、こんどは——おなじ場所に、ゆっくり。糸をたらすみたいに、ほそく長く」
「? ……こうか」
ティオの指が陣のふちにふれた。
こんどは、音がしなかった。
入り口の線は明るくならない。
しばらくして、彫りのまわりがほんのりあたたまった。
さっきまでと、そっくりおなじぬるさ。
「……つかない」
ティオが自分の指と陣を見くらべた。
「おれの魔力なのに、つかないぞ。きみ、いまのはなんなんだ」
「力のかたちを、かえてもらったの」
わたしは紙のすみに、みじかい線とながい線をならべて描いた。
「石の力は、こっちのながいほう。ずうっと押してる、長い押し」
「おれのいつものは?」
「こっちの、みじかいほう。ためて、一息に突く。……おなじ魔力でも、かたちがちがう」
「かたち……」
ティオは自分の指さきをしげしげと見た。
「考えたこともなかったな。ふれて、ぽんと入れれば、つくんだから」
「うん。流せる人は、それでいいの」
流せる人には、分ける用がない。
息を吸うのと吐くのを、分けて考えないのとおなじ。
——王都の塔でも火を入れるのはいつも人の手で、だれもそこを壁だと思っていなかった。
わたしも、きょうまで思っていなかった。
ずっとまえから、みんなでおなじ壁のまえに立っていたのだ。
◇◇◇
「で、どうするんだ。かたちのちがいは、わかったんだろ」
「……そこから先が、まだ」
正直に言った。
だらだらした長い押しを、どうやってするどいひと突きにかえるのか。
そこがまるで見えない。
「ふうん」
ティオは深刻がるようすもなく、台からひょいと降りた。
「でもさ。それができたら、おれの指はお役ごめんなんだろ」
ことばに、つまった。
そのとおりだった。
この壁のむこうには、ティオのいらない盤がある。
石を借りて、指を借りて、最後はいらなくなる。
「……ごめん」
「なんであやまるんだ」
ティオはきょとんとして、それからからっとわらった。
「きみが独りでできたほうが、すごいだろ。おれは、すごいほうが見たい」
むねのおくがふっとゆるんだ。
(——この人は、ほんとうに量らない)
灯りも、家の名も、魔力のあるなしも。
だからこの隅は、こんなに息がしやすいのだ。
ティオは手もちぶさたになったのか、指さきをこすりあわせて鳴らした。
ぱちん。
かわいた、するどい音。
わたしは、その手もとから目がはなせなくなった。
「……ティオ。いまの、もういちど」
「? こうか」
ぱちん。
親指と中指をおしつけて、ためて——はじく。
音はこすった速さから出ているんじゃない。
おしつけてためた力が一気にはじけるから、あんなにするどい。
(——ためて、はじく)
だらだらした長い押しでも、いったんためて一息にはじけたら。
さがしているもののかたちがはじめて見えた気がした。
かたちだけ。
どんな仕掛けにすればいいのかは、まだなにひとつ見えない。
それでも、のっぺりしていた壁にはじめて指のかかるふちが見つかった。
まねをして、自分の指をこすってみた。
すか、と空気のぬける音がしただけ。
「きみ、へたくそだな」
「いいの。鳴らすのは、わたしの指じゃないから」
いつか、ためた力ではじく、なにかのからくり。
「その指、もういっぺん」
「へんなやつだな」
言いながらも、ティオはうれしそうに指をかまえた。
ぱちん。
夏の熱のこもった作業場に、ちいさくてするどい音がはねた。
■あとがき・解説
第194話は、順調に来た詠唱盤づくりが、はじめて正面から跳ね返される回です。石(動力)と紙(順番)はもう仕事をおぼえていて、盤はなんどでも灯る。でも、はじまりのひと突きだけはいつもティオの指。そこで「火をつける役も機械で」と銅の道をもう一本引いてみるのですが、陣はぼうっとあたたまるだけで、目を覚ましません。線を細くしても、道を短くしても、出てくるのはおなじぬるさ——火花は一度も散らない。
行きづまったリナがやるのは、あやしいところをひとつずつ消していく、前世からの癖のような手順です。石は足りている。道は運べている。順番は紙のとおり。ぜんぶ消して、のこったのが「力のかたち」でした。
今回は、「力のかたち」「ひとつずつ消す」「ぱちん」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「力のかたち」——長い押しと、するどいひと突き
力をおくる役に要るのは、はしからはしまで駆けさせつづける長い押し。火をつける役に要るのは、「いま、走れ」と告げるするどいひと突き。おなじ石から引いても、この二つは力のかたちがちがいます。ゆっくり吐く長い息ではろうそくの火を消せない——消すのはいつも、みじかい「ふっ」のほう。ティオの指をつかった対照実験(いつもの「ぽん」と、糸をたらすような「ほそく長く」)で、石か人かではなく、かたちの問題だとはっきりします。流せる人は点火と動力をいっぺんにこなしてしまうので、この壁はずっとだれの目にも見えませんでした。王都の塔でも、火を入れるのはあたりまえのように人の手だったのです。
■「ひとつずつ消す」——かえる場所をまちがえないために
なんど手をかえても、こたえがぴくりとも動かないとき。リナは手を止めて、うたがわしいところを順番に消していきます。石、道、順番——消えたものは犯人ではない。のこったものだけを、にらむ。手あたりしだいにいじりつづけるより、まず「どこがちがうのか」を絞りこむほうが早い。前世の机で身にしみた、彼女の仕事のやり方です。
■「ぱちん」——ためて、はじく
手もちぶさたのティオが鳴らした指の音に、リナはさがしていたもののかたちを見ます。指を鳴らす音は、こすった速さから出るのではありません。おしつけてためた力が一気にはじけるから、あんなにするどい。だらだらした長い押しでも、いったんためて一息にはじけさせられたら——。ただし見えたのはかたちだけで、どんな仕掛けにすればいいのかは、まだなにひとつ見えていません。それでも、のっぺりしていた壁に、はじめて指のかかるふちができました。
次の話もお楽しみに。




