第193話 蓄魔石と記法
借りた古い石を、窓の明かりにすかしてみた。
奥のほうまで、にごった灰色。
三日まえの夕方に力が線のなかばで切れたのも、道理という気がした。
朝の作業場はひんやりとしずかで、炉もまだ冷えたままだった。
けずりかすのにおいだけが床にうすくのこっていた。
高い窓から入る夏の朝の光が台の木目をななめに照らしていた。
カーン先生も、ほかの生徒も、まだ来ない。
授業まで、あとすこし。
この石のなかにどれだけの力が眠っているのか、たしかめる手だてをわたしはまだ持っていない。
「おはよ」
戸口で声がした。
ティオだった。めずらしく、朝から。
「きみなら、もう来てると思った」
まっすぐ隅の台まで来て、ふところから布の包みをとり出した。
台の上で、ほどいた。
親指くらいの、すきとおった石がひとつ。
窓の明かりが石のおくで細くおれてかがやいた。
蓄魔石だ。それも、にごりのない。
「うちの、練習用のやつ。持ってきた」
「……いいの?」
「練習用は、へらしてもしかられない」
ティオはこともなげに言って、それから台の上の古い石をあごでさした。
「そいつじゃ、だめなんだろ。このまえの、あれ」
「……うん。たぶん、力がもう薄い」
「なら、ためせよ。ちゃんとしたやつで」
言いながら、ちょっとだけ得意げな顔をした。
ためしたい。それは、わたしがいちばん思っていたことだった。
「ありがとう」
◇◇◇
古い石を座からおろして、澄んだ石をすえかえた。
座の窪みに、あつらえたようにおさまった。
銅の線をつなぎなおした。
盤はこのまえとおなじ、稽古用の灯りの陣のまま。
火の入り口のわきには、しるしの小石も置いたままになっていた。
「ここに、ひと突き。このまえとおなじ」
「まかせろ」
ティオの指が陣のふちにふれた。
ぱち。
入り口の線がほの明るくなる。
にじんで、のびて——こんどは、消えない。
明るさが線のはしをこえて、つぎの線へわたった。
(——切れない)
このまえは、ここで引いていった。
きょうは、つづいている。
ためた石の力で陣を駆けさせつづけるのは、王都の塔の蔵でやっていたことと変わらない。
新しい何かじゃない。あの棚の石が古すぎただけ。
(——力をおくる役は、これで片づいた)
紙の右の丸に、やっとほんものの石が入った。
でも。
明るさは盤のまんなかあたりで足ぶみをはじめた。
ふた筋の明るさがおなじ場所でぶつかって、そこから先へすすまない。
押しあったまま、どちらもゆずらない。
「……とまったな」
「とまった」
石を見た。まだ澄んだまま、しんとかがやいている。
力なら、足りている。
足りないのは、力じゃない。
順番だ。
◇◇◇
盤の陣を、あらためて目でたどった。
彫られた印の意味は、きょうも読めない。
それでも、どの線がどの線を待っているのか——つながりのすじならたどれる。
入り口の線がまず目を覚ます。
つぎはわきの細い線。太い線は、そのあと。
いまは石の力がどっと入って、細いのと太いのがいっぺんに起きようとしている。
だからぶつかる。
順ぐりに起こしてやれば、ぶつからない。
石から盤へわたる銅の道は、このまえのままだと一本きりだった。
分かれ口を作って、みっつに分ける。
分かれ口のさきには、棚の金具で間に合わせた継ぎの爪。
爪を倒せば道がつながり、起こせば切れる。
かたい銅線を曲げるのに、十三の指では両手がいる。
頭のなかではとっくに組みあがっているのに、手のほうがいつも遅れてついてくる。
「で、どうするんだ。それ」
「爪を、順に倒す。目を覚ましてほしい順に、力をとおす」
「ふうん。順番、か」
もういちど、ティオの指を借りた。
ぱち。
一の爪。入り口の線がほの明るくなる。
つぎは、細いほうの爪。それから——
指がとまった。
(——つぎは、どっちだった)
頭のなかに組んであったはずの順が指をうごかすあいだにゆれる。
まよったぶんだけ遅れて、太い線がさきに目を覚ました。
ぶつかる。足ぶみ。さっきとおなじながめ。
「いま、順をまちがえたのか」
「……たぶん」
くやしいというより、こわかった。
きょうのわたしがまちがえるなら、あしたのわたしもまちがえる。
ティオに代わってもらうことも、できない。
この順はいまのところ、わたしの頭のなかにしかなかった。
頭のなかのものはなぞれない。渡せない。ひと晩ねむれば、かたちが崩れていく。
(——頭は、まちがえる)
手順を頭に置いたまま手をうごかさない。書いて、外へ出す。
前世の机で、いやというほど身にしみたことだ。
母さんの織機で作った、あの穿孔布のことをふと思い出した。
穴のあるところと、ないところ。
布はそのふた通りだけで、機械に手順をつたえてみせた。
(——あれと、おなじこと)
機械にわたす手順を布に書けたのなら、人がなぞる手順は紙に書けばいい。
◇◇◇
反故紙をひらいて、木炭をにぎった。
木炭の先が紙の上でこりこりと鳴った。
描くのは、陣じゃない。
順番だけ。
爪と入り口のならびを四角と丸で置いて、一、二、三、四と番号をふる。
番号のわきには、力のわたる向きへ小さな矢じるし。
定規もなしのよれた線に、癖のままの字。
それでも紙の上にならべてしまえば、もう崩れない。
ティオが横からのぞきこんだ。
「……なんだそれ。ただの線と数字にしか見えないぞ」
「うん。それでいい」
「それで、いいのか」
「これさえあれば、つぎもおなじ順でたどれる。きみにも、渡せる」
ティオはもういちど紙を見て、それからわたしの顔を見た。
「その順番、どうやって決めたんだ」
「……何度も見て、考えて。それで、割り出した」
うそじゃない。でも、ぜんぶでもない。
この順がなぜ目で読みとれるのか——そこは、のどの手前で呑みこんだ。
「ふうん」
ティオは深くは追わずに、台へ向きなおった。
「で、こんどはそれを見ながらやるんだな」
「うん」
紙を、台のはしに立てかけた。
爪をぜんぶ起こして、はじめから。
「ひと突き、おねがい」
「あいよ」
ぱち。
こんどは紙から目をはなさない。番号の順に、爪を倒していく。
一。入り口の線が目を覚ます。
二。細い線があとを追う。
三。太い線。
四。
明るさがもつれずに順ぐりにわたって——
はしの線がぽうと灯った。
盤の彫りの、はしからはしまで。
稽古用のちいさな灯りが台の上でまるくともっていた。
朝の光のなかでも、ちゃんとわかる濃さで。
「……ついた」
「ついたな! きみ、こんどはついたぞ」
ティオが両のこぶしをあげた。
三日まえに灯らなかったものがいま灯っている。
石は力を切らさなかった。
しるしの列は順をまちがえなかった。
そのふたつがきょう、はじめてかみあった。
「もういっぺんだ」
ティオが言うまえに、わたしの手も爪へのびていた。
消して、はじめから。紙のとおりに。
灯る。
もういちど、はじめから。
灯る。
三度めも、おなじ線がおなじ順に明るくなって、おなじ灯りがついた。
(——なぞれる)
きょうのわたしも、あしたのわたしも、この紙のとおりにやればいい。
紙は、まちがえない。
◇◇◇
灯りを消して、紙を手にとった。
よれた線と、番号と、矢じるし。
名前もまだない、ただのしるしの並び。
それでもこの一枚は、わたしの頭よりずっとたしかだ。
「これで、できあがりなのか?」
ティオが盤と紙を見くらべた。
「ううん。まだ」
紙のいちばん上を、指でおさえた。
一の番号が指すのは、はじまりのひと突き。
「いま、走れ」の火。
そこだけがまだ紙の外にのこっていた。
ティオの指のなか。
「さいごに、のこってるのは」
「おれの、これか」
ティオが自分の指さきを立てた。
「うん。それが、さいご」
木炭をにぎりなおして、一の番号のうえに小さな丸をひとつ押した。
ちょん、と。
火の入る場所。
まだ、なにを置くか決まっていない丸。
■あとがき・解説
第193話は、三日まえの失敗がふたつとも「かたち」を持つ回です。ティオが家から持ってきた練習用の蓄魔石で、まず動力の壁が解けます。にごった古い石では線のなかばで切れた力が、澄んだ石なら切れずにつづく。リナにとってこれは新しい発見ではありません。ためた石の力で陣を駆けさせつづけるのは、王都の塔の蔵でやっていたことと変わらない——ただ、棚の石が古すぎただけ。
ところが力が足りると、こんどは隠れていたつぎの壁が顔を出します。ふた筋の明るさがおなじ場所でぶつかって、陣がまんなかで足ぶみする。足りないのは力ではなく、順番でした。そしてその順番は、いまのところリナの頭のなかにしかない。頭のなかのものは、なぞれないし、渡せないし、ひと晩ねむればかたちが崩れる。だから紙に書く——番号と矢じるしだけの、名前もまだない、しるしの並び。この一枚のよれた紙が、このさきずっと育っていくことになります。
今回は、「蓄魔石」「順番を書く」「のこった丸」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「蓄魔石」——力をためるだけの石
魔石のなかでも、魔力をためておくことだけを受け持つ石です。親指くらいの大きさでもけっこうな値がつく品で、庶民の家にごろごろあるものではありません。ティオが「練習用のやつ」をこともなげに持ってくるあたりに、名家の子の暮らしがすこしだけ透けて見えます。本人にそのつもりはまったくなくて、ただ「きみの役に立つだろ」と思っただけ、というところがティオらしさです。石が澄んでいるほど蓄えがよく保つので、ゆうべまでのにごった借り物とは働きがまるでちがいました。
■「順番を書く」——頭は、まちがえる
リナがこの話でやったのは、陣を写すことではありません。描いたのは順番だけ。どの継ぎをいつ倒すか、力がどちらへわたるか——番号と矢じるしのならびです。頭のなかの手順は、その場ではたしかでも、指をうごかしているあいだに揺れて、ひと晩たてば崩れます。紙に出してしまえば、きょうのリナも、あしたのリナも、そしてティオも、おなじ順をたどれる。母の織機で作った穿孔布が「穴のあるところと、ないところ」だけで機械に手順をつたえたのとおなじことを、こんどは人がなぞるために紙の上でやった、という回です。
■「のこった丸」——一の番号のうえ
力をおくる役は石が立ち、順番は紙が立った。それでも紙のいちばん上、一の番号だけは、まだ人の指を指しています。「いま、走れ」のひと突き——はじまりの火だけが、紙の外の、ティオの指のなかにある。リナが章のさいごに炭で押した小さな丸は、そこになにかを置くための場所です。なにを置くのかは、まだ決まっていません。
次の話もお楽しみに。




