第192話 小さくする
「そこの隅を使え」
カーン先生は作業場の奥を顎でしゃくった。
夕方の作業場に、生徒はもうわたしたちだけだった。
削りかすと膠と、さめた鉄のにおい。
夏の日はながくて、高い窓の外はまだ明るい。
示された隅には古い作業台がひとつあって、木箱と端材が上に積まれている。
「使ってない。物を作るには、場所がいる。あたりまえだ」
「……いいん、ですか」
「道具は、そこの棚のを使え。減らすなよ」
場所を貸してほしいと頼んだのは、ついさっきのことだ。
実技のあとにティオとふたりで炉の前まで行って、頭をさげた。
断られたら、寮の物置きでも探すつもりだった。
聞かれたのは、ひとつだけ。
「お前さん、なにを作る」
「魔力を、使わずに……陣を、起こす道具です」
見える言葉だけでそう答えた。
底のほうは、いつもどおり呑んでおく。
カーン先生は「ふん」と鼻を鳴らして、それきり自分の炉のほうへ戻っていった。
ほめもしない。笑いもしない。とがめもしない。
(——これで、場所ができた)
紙の上の丸ふたつに、きょうから床がつく。
◇◇◇
台の上の木箱をおろすと、埃がまいあがった。
ティオがとなりで袖をまくった。
「で、なにから作るんだ」
「まず、考える」
「考えるのは、済んだんじゃないのか」
「半分だけ」
四つ折りの紙をひらいて、台のまんなかに置いた。
左に、火をつける役。右に、力をおくる役。
紙の上では、これでぜんぶのはずだった。
でも物にするとなると、まだ決めていない問いがある。
どれくらいの大きさで、作るか。
「大きさって?」
ティオが手をとめた。
「じつは前に、これのずっと大きいのを作ったことがあるの。王都で」
「王都で?」
「部屋いっぱいの、大きな機械。塔みたいな」
「……きみが?」
ティオが目をまるくした。
「わたしと、王都の大人たちで」
頭のなかに、王都の塔がうかんだ。
あれは数をかぞえるための機械だったから、おぼえる石が千をこえて部屋がまるごと要った。
わたしがいま要るのは、かぞえることじゃない。
陣をひとつ、起こすこと。それだけ。
足す石も、くらべる石も、おぼえる石も、いらない。
数にかかわるものをぜんぶ取りのぞいたら、なにがのこるだろう。
炭の先で、紙のすみに書き出してみた。
力をおくる役。
火をつける役。
それから——どの線を、どの順で目覚めさせるか。
三つ。
三つで、おわり。
千をこえる石の塔から数を捨てたら、たった三つになった。
(——いらないものは、足さない)
要るかもしれない、で足したものはあとでかならず重くなる。
削って、削って、それでも削れないものだけがほんとうに要るもの。
前世で、さんざん叩きこまれたことだ。
「三つなら、机にのるな」
紙をのぞきこんで、ティオが言った。
「のる、と思う」
このときのわたしは、ほんとうにそう思っていた。
◇◇◇
棚から鋸と鑿と木づちを借りた。
端材の山から、使えそうな板と角材をよりわける。
「これか? それとも、こっち」
ティオが両手に一本ずつ角材をかかげた。
「みじかいほう」
「よし」
力仕事は、ほとんどティオの受け持ちになった。
わたしが両手でかかえてももちあがらない板を、片手でひょいと台にのせてしまう。
頭のなかでは、もう組みあがっているのに。
十三の腕は、板の一枚に負ける。
組む物の数は、決めてあった。
石をすえる座がひとつ。
陣の盤をのせる枠がひとつ。
盤は、隅の木箱の底から出てきた稽古用の古い盤を借りた。
彫られているのは、どこにでもある灯りの陣だ。
それから、石から盤へ力を渡す銅の線の道。
さいごに、ぜんぶを抱えてぐらつかせないための木の枠。
ひとつずつは、むずかしい物じゃない。
工房そだちの手がおぼえている。
「ほい」
使いおわった鑿を、ティオがひょいと宙に放った。
受けそこねた。
鑿は指のあいだをすりぬけて、削りかすの上にぼとりと落ちた。
「こわしたら、叱られるよ」
「へいき、へいき」
ぜんぜんへいきの顔ではなかった。
ティオは刃の先をしげしげと確かめてから、こんどは両手でそっと台に戻した。
炉のほうから、咳ばらいがひとつ聞こえた。
「……聞こえてたのか」
「借り物なんだから」
「わかった。わかったって」
組みあがっていくにつれて、へんだなとは思っていた。
石の座がこぶしふたつ分。
盤の枠がその倍。
銅の線の道は、石と盤が離れているぶんだけ長くなる。
倒れないための木の枠がそのぜんぶの外がわをかこう。
紙の上ではただの丸だったものが物になると、ひとつずつ嵩を持つ。
置けばそのまわりに、手を入れるための隙間もいる。
夕方の鐘が鳴るまえに、それは台の上にできあがった。
台のはしから、両がわへはみ出して。
「……なんか、でかくないか」
ティオが一歩さがって、首をかしげた。
「うん」
「なあ、これ、あれだぞ」
「なに」
「塔の、ちっちゃいの」
言われて、できあがったものをあらためて見た。
そうだ。これは小さな塔だ。
(——小さくした、つもりだった)
数の石は、ぜんぶ捨てた。
それなのに、かたちはまだ塔のままだった。
座はこの大きさでなくていい。道はこの長さでなくていい。
部屋いっぱいの寸法が手にしみついたままになっている。
削ったのは数だけで、かたちのほうはまだ削りはじめてもいない。
◇◇◇
「でも、動くかもしれないだろ」
ティオが台に手をついて言った。
「作ったんだ。いっぺん、動かしてみようぜ」
そのとおりだ。大きさの前に、たしかめることがある。
火と力がちゃんと通るかどうか。
道具といっしょに借りた、古い蓄魔石を座にすえた。
にごりのある、小さな石。
棚のすみで、ずっと眠っていたような石だ。
銅の線をつなぐ。
それから盤の陣を、目でたどった。
どこから火が入って、どの線が先に目を覚ますのか。
彫られた印の意味は、あいかわらず読めない。
でも、段取りの形なら追える。
火の入り口のわきに、しるしの小石をひとつ置いた。
「ここ。ここに、ひと突きだけ」
「まかせろ」
ティオが指をかまえて、息をひとつ吸った。
「いくぞ」
指の先が陣のふちにふれた。
ぱち、とちいさな音。
火は、入った。
陣の線がぼうと熱を持つ。
入り口にちかい線のはしがにじむようにほの明るくなって——
そこで、止まった。
明るさは線のなかばにも届かないまま、すうっと引いていく。
あとにはただ、ほんのりあたたかい盤。
「……消えたな」
「消えた」
もういちど。おなじだった。
三度めは、熱の立ちあがりまで弱くなった。
(——火は、入っている)
つまずいているのは、左の丸じゃない。右だ。
はじまりのひと突きは、ティオの指が入れてくれる。
でも、そのあとがつづかない。
走りだした陣を端までかけさせる長い押しが途中で切れる。
この石が古すぎるのか。蓄えがもう薄いのか。
それとも、石から盤への道が力を取りこぼしているのか。
「でも、ちょっとだけ、熱くなったぞ。さっき」
ティオが盤に手のひらをかざした。
「ぜんぜん動かないのと、とちゅうまで動くのは、ちがうだろ」
「……うん。ちがう」
とちゅうまでは、来ている。
止まっている場所も、たぶんもう見えている。
うしろで、足音がとまった。
カーン先生が台からはみ出した試作を眺めおろしていた。
「動かんな、それでは」
短くそれだけ言って、もう歩きだしている。
「だが、まあ、やってみろ」
すれちがいざまの声に、ティオと顔を見あわせた。
叱られたのか、ゆるされたのか。
たぶん、どっちでもない。
動くかどうか。この場所では、それだけが物差しなのだ。
◇◇◇
しまい支度をしながら、右の丸のことを考えた。
紙の右の丸には、石、とだけ書いてある。
書いただけで、済んだ気になっていた。
ためた石にまかせる——まかせるための道を、わたしはまだなにも作っていない。
この石のなかに、どれだけの力が眠っているのか。
どうつなげば、切らさずに端までおくれるのか。
明かりの落ちた台の上で、冷えた蓄魔石をつまみあげた。
手のひらにのせると、たよりないくらい軽い。
このにごりの奥に、あしたの問いがまるごと入っている。
(——そこから)
かぞえる石を捨てて、三つまで削った。
つぎはこの三つを、ひとつずつ立たせていく番だ。
まずは、力をおくる役から。
借りた石を、座のとなりへことりと置いた。
■あとがき・解説
第192話は、紙の上の着想がはじめて「物」の重さにぶつかる回です。カーン先生が作業場の隅をぶっきらぼうに貸してくれて、リナの丸ふたつに床がつく。頭のなかでは、削るところまでは済んでいました。王都の塔は数をかぞえるための機械だったから部屋がまるごと要った——でも、いま要るのは陣をひとつ起こすことだけ。数にかかわる石をぜんぶ捨てたら、のこったのはたった三つ。力をおくる役、火をつける役、どの線をどの順で目覚めさせるか。
ところが物にしてみると、その三つが台からはみ出します。ティオの言うとおり「塔の、ちっちゃいの」。数は捨てたのに、かたちはまだ塔のままだった——小さくするというのは、数を減らすことではなくて、しみついた寸法を削りなおすことだった、という気づきの回でもあります。
そして最初の試運転。火は入る。陣は熱を持つ。でも明るさは線のなかばにも届かずに消えてしまう。つまずいているのは左の丸ではなく、右——借りた古い石から、力を切らさずにおくる道です。次の仕事が決まったところで、この話は終わります。
今回は、「小さくする」「三つ、ということ」「とちゅうまで動く」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「小さくする」——数を捨てても、かたちがのこる
リナが最初にやったのは、引き算です。塔が部屋の大きさになったのは、数をかぞえるために、足す石・くらべる石・おぼえる石が千をこえて要ったから。陣をひとつ起こすだけなら、その石はぜんぶ要りません。ここまでは紙の上で正しい。でも、いざ組んでみると、石の座も、銅の線の道も、倒れないための枠も、部屋いっぱいの機械で身につけた寸法のまま作られていました。いらないものを削るのは一度では済まなくて、数を削ったつぎは、かたちを削る番が来る。試作が一度で小さくならないのは、そういう順番の話です。
■「三つ、ということ」——削れば、要るものが見えてくる
要るかもしれない、で足したものは、あとでかならず重くなる。削って、削って、それでも削れないものだけがほんとうに要るもの——リナが前世で叩きこまれた考え方です。千をこえる石の塔から数を捨てたら、のこったのは三つだけでした。力をおくる役と、火をつける役と、どの順で通すか。この三つは、このさきリナがどれだけ道具を作りかえても、さいごまで削れずにのこりつづけます。逆に言えば、この三つさえ立てば、机の上でも陣は動くはずなのです。
■「とちゅうまで動く」——ぜんぜん動かないのとは、ちがう
最初の試運転は失敗でした。でもティオの言うとおり、ぜんぜん動かないのと、とちゅうまで動くのはちがいます。火は入った。陣は熱を持った。止まった場所もだいたい見えている。はじまりのひと突きは足りていて、そのあとの長い押しが切れている——つまり、つぎに立たせる役がどれなのか、失敗そのものが教えてくれている。カーン先生の「動かんな、それでは。だが、まあ、やってみろ」は、この場所の物差しをよくあらわしています。動くかどうか。ほめもしないし、止めもしない。
次の話もお楽しみに。




