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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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第190話 読む目

「こわすんじゃない。開けるんだ」


低い、しわがれた声だった。


きょうの授業は、また別の棟だった。


戸をくぐったときから、においがちがう。


鉄と、油と、木のくず。


(——工房だ)


父の仕事場と、おなじ種類の空気。


学院のなかにこんな部屋があるとは、思っていなかった。


長い作業台が何列もならんで、天板は傷だらけ。


壁ぎわの棚には、こわれた魔導具が寝かせてあった。


笠のゆがんだ灯り具。柄の裂けた手あぶり。音の出なくなった呼び鈴。


どれも、くたびれた道具の顔をしている。


まわりの席では、そっと袖を鼻に当てる子もいた。


油のにおいに、慣れていないのだろう。


わたしには、なつかしいにおいだった。


教壇に立つ人も、教授というより職人に見えた。


革の前かけ。まくり上げた袖からのぞく、節くれだった太い腕。


「わしは、カーン。ここでは、魔導具を扱う」


名のりは、それだけだった。


「机の上のは、どれもこわれとる。ふたを開けて、中の石の名前と、置きどころを写せ。それだけだ」


それだけだ、という言いかたは、実技の講師と似ていた。


ちがうのは、そのつぎだった。


「言っておくが、こわすんじゃない。開けるんだ」


「外したねじは皿に置け。もどすとき一本でも余ったら、それは開けたとは言わん」


(——それは、そうだ)


思わず、心のなかでうなずいてしまった。


ばらすのと、開けるのはちがう。


もどせるところまでを、開けると呼ぶ。


父の工房で、いちばんはじめにおぼえた決まりだった。


◇◇◇


配られたのは、卓の上で使う小さな灯り具だった。


真鍮の筒に、丸い笠。


笠の裏のねじが固かった。


つまんでも、子どもの指では回らない。


頭のなかの手つきに、指の力が追いつかない。


台の隅の道具立てから、みぞの幅に合うねじ回しを借りた。


力ではなく、道具。


かち、と小さな音がして、笠が浮いた。


中は、ふた間に分かれていた。


下の間に、くすんだ小さな魔石がひとつ、座に据わっている。


上の間には、うすい板。


板の面に、細い線で陣が刻んである。


となりの子たちは、もう写しはじめていた。


石の名前。座のむき。板の場所。


羊皮紙の上に、見えたとおりの形がならんでいく。


みんな、手が早い。


形を写すことにかけては、よく仕込まれている。


「先生。この線は、なにをしているんですか」


どこかの台から、声が上がった。


カーン先生は手もとから顔も上げずに答えた。


「この線が、なぜこう動くのか。それは、だれにもわからん」


部屋がすこし、しんとした。


「神々の遺したものだ。写して、おぼえて、操る。わしらにできるのは、そこまでだ」


すねた声ではなかった。


ありがたがる声でもない。


千年そう決まってきたことを、そのまま台の上に置くような声。


問うた子はうなずいて、写す手にもどった。


それきり、だれも「なぜ」を聞かなかった。


◇◇◇


わたしは外した金具を、皿にならべた。


外した順に、左から右へ。


それから、石の座を指の先でたどる。


座のふちにうすい銅の帯が巻いてあって、帯から板の裏へ、細い線がのびていた。


石の力を、陣へ渡す道。


ここまでは、手でさわれるところだ。


さわれるところは、指と頭で追える。


板の陣は、そうはいかない。


刻まれた印のひとつひとつは、きょうも読めない。


でも、線のつながりには順番があった。


ふちの一点から、まんなかへ。


まんなかでふた手に分かれて、明るくする側と、ささえる側へ。


なぜ、分かれ目がここなのか。


なぜ、ささえる側の線のほうが太いのか。


聞けば、答えはさっき決まっている。


それは、だれにもわからん。


だから、聞かない。


のどまで来たものを飲みこんで、指だけ動かす。


わたしは石の名前と置きどころのわきに、小さく番号をふった。


力の通る順。目のさめる順。


工房で時計を写すときの、いつものやり方で。


紙の上に、道具の中身がもういちど組み上がっていく。


これがないと、わたしは安心して物を閉じられない。


◇◇◇


部屋のあちこちから、低い声が聞こえていた。


「そのねじは皿だ。袖口に入れるな」


「置きどころが写しとちがう。見たまま写せ」


まちがいだけを、みじかく置いていく声。


ほめ言葉は、いちどもなかった。


その足音がうしろで止まった。


「妙な手つきだな」


(——見られた)


ふり向くと、革の前かけが目の前にあった。


いつから立っていたのか、まるで気づかなかった。


太い指が皿を指す。


「外した順に、ならべとる」


「……もどすときに、迷わないので」


「ふむ」


こんどは、写しのほうへ目が動いた。


石の名前。座のむき。


そのわきの、力の道の矢印と、順番の番号。


「お前さん、陣を見る目つきは、ほかの子とちがうな」


心の臓がひとつ、大きく鳴った。


見えるはずがない。


でも、この人はたしかに、いま「見て」いた。


写しの中身ではなく、写しているわたしの手を。


なにか、言わなければ。


言葉をさがすわたしの前で、先生はつづけた。


「物を作ったことが、あるな。——職人の目だ」


(——あ)


はりつめていたものがすとんと下りた。


この人が見ているのは、手だ。


ねじの外しかた。金具のならべかた。もどすための段取り。


手でさわれるところまで。


その奥までは——見えていない。


「……物をなおすのは、すきです」


見える言葉だけを、口に出した。


「道理でな」


先生は写しをもういちど見た。


それから、なんでもないことのように聞いた。


「魔力は、あるのか」


「……ありません」


「そうか」


それだけだった。


声の高さも、目の色も、変わらなかった。


名簿と顔を見くらべる目でも、扇のかげの目でもない。


(——量られて、いない)


あるか、ないか。


持ち物の名前をひとつ聞かれた。それだけのこと、として。


「つづけろ。もどすところまでが課題だ」


底の厚い靴がつぎの台へ歩いていった。


わたしはその背中を、すこしのあいだ見ていた。


魔力がないと答えても、なにも変わらない声。


この学院に来て、はじめて聞く声だった。


胸のおくがすこしだけあたたかい。


へんなの、と自分で思う。


ほめられたわけでもないのに。


◇◇◇


「……なあ」


となりの台から、ティオが首をのばしてきた。


「あの先生、ひとの手もとなんか見ないぜ。上級生が言ってた。動かない物にしか用のない先生だって」


「そうなの」


「きみのは、めずらしかったんだな」


ティオは自分の灯り具と格闘しながら言った。


ねじを外さないまま、笠を引っぱっている。


「きみさ、灯すほうじゃなくて、仕掛けのほうばっかり見てるもんな」


半分あたって、半分ちがう。


でも、いまはその半分でじゅうぶんだった。


「ティオ。笠の裏に、ねじが三本」


「……ほんとだ」


ちいさな声で言って、ティオは道具立てのほうへ歩いていった。


◇◇◇


もどす前に、もういちどだけ中を見た。


石の座。力を渡す銅の帯。陣の板。


この小さな筒のなかに、ぜんぶそろっている。


そろっていないのは、ひとつだけ。


火だ。


この灯り具も、使うときは人の指が石にふれて、最初のひと粒を入れる。


実技の日から、頭の隅に座りつづけているものがある。


力のほうは、もう石にまかせられる。王都の塔で、それはたしかめてある。


のこっているのは、火だけ。


「今、走れ」とつつく、はじまりの一突き。


そこだけは、人の手と決まっている。


この筒のなかでも、そうだ。


石も、道も、陣も、そろって待っている。


なのに、はじまりの一突きだけはふたの外から来る。


人の指から。


たき口のない、かまど。


弓のない、矢。


そんな形が頭にちらついては消えた。


(——その一突きを)


人の手のかわりに、なにかに肩代わりさせられないだろうか。


金具でも。ほかのからくりでも。


かたちは、まだなにも浮かばない。


でも、問いには置き場所ができた。


この筒の、ふたの外と中のさかい目。


火の入ってくる、その一点に。


ふたをもどして、ねじをしめる。


外したときと逆の順で、一本ずつ。


さいごの一本をしめ終えて、ふたの上から石の座のあたりを、指でかるくたたいた。


(——いつか、ここに)


人の手のいらない、火をつけるなにかを。


■あとがき・解説


第190話は、カーン教授の初登場回です。鉄と油と木のくずのにおいがする、学院のなかの「工房」のような部屋。こわれた魔導具のふたを開けて、中の石の名前と置きどころを写す——写して、おぼえて、操る、という学院の学びかたが、いちばん手ざわりのある形で出てくる授業です。「この線が、なぜこう動くのか。それは、だれにもわからん」というカーン先生の言葉は、意地悪でも諦めでもなく、千年そう決まってきたことをそのまま置く声。だからこそ、その部屋でひとりだけ「なぜ」を追ってしまうリナの手つきが、浮かび上がります。


カーン先生がリナの手もとに見たのは、外した順にならべた金具の皿と、写しのわきの番号と矢印でした。そこから出てきた言葉は「職人の目だ」。リナがいちばん見られたくないもの——陣の線の「なぜ」を追う目——には、届いていません。この人が見ているのは、手でさわれるところまで。その安堵と、「魔力は、あるのか」「ありません」「そうか」だけで目の色が変わらない、というもうひとつの驚き。量られなかったことが、この学院に来てはじめての経験になりました。


章末は、開けた筒のなかに「問いの置き場所」ができる話です。石も、力を渡す道も、陣も、筒のなかにそろっている。そろっていないのは、はじまりの一突きだけ。それはいつも、ふたの外の人の指から来る。この「外から来る一点」がはっきり見えたことが、前回のぼんやりした思いつきに、座る場所を与えました。


今回は、「魔導具の実習」「職人の目」「一突きの置き場所」について、ゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「魔導具の実習」——開けて、写して、もどす


カーン先生の受けもつ、からくり寄りの実習です。こわれた魔導具のふたを開け、中の石の名前と置きどころを羊皮紙に写して、もとどおりに閉じる。ここでのいちばんの決まりは「こわすんじゃない。開けるんだ」。外したねじは皿に置き、一本でも余ったら開けたとは言わない。ばらすことと開けることのちがい——もどせるところまでを、開けると呼ぶ——は、リナが父の工房でいちばんはじめにおぼえた決まりと、そっくり同じでした。学院の写本主義とリナの工房育ちが、この部屋では珍しく同じ手つきを求めてきます。


■「職人の目」——カーン先生に見えたもの、見えなかったもの


リナの手つきを見とがめたカーン先生は、「物を作ったことが、あるな」と言いました。見えていたのは、ねじの外しかた、金具のならべかた、もどすための段取り——手でさわれるところまで。陣の線がなぜその順に走るのか、をリナがどう追っていたかには届いていません。それでも「魔力は、あるのか」と聞いて「ありません」と答えられ、「そうか」だけで済ませた大人は、この学院ではじめてでした。灯せるかどうかで人を量らず、物が動くかどうかだけを見る目。リナの毎日にとって、それがどれくらい珍しい目なのかは、これまでの話のとおりです。


■「一突きの置き場所」——ふたの外と中のさかい目


小さな灯り具の筒のなかには、力をためた石も、力を渡す銅の帯も、灯るための陣も、ぜんぶそろっています。足りないのは「今、走れ」とつつく、はじまりの一突きだけ。それはいつも、ふたの外にいる人の指から入ってきます。力のほうを蓄えた石にまかせられることは、リナはもう王都で知っています。だから残る問いはひとつ——その一突きを、人の手のかわりに、なにかに肩代わりさせられないか。かたちはまだなにも浮かんでいませんが、問いには置き場所ができました。ふたの外と中のさかい目、火の入ってくるその一点です。


次の話もお楽しみに。


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