第189話 やる側に立てない
焦げたにおいがした。
香でもインクでもない。
なにかを短く焼いたあとの、乾いたにおい。
実技室は教室とはべつの棟にあった。
石づくりの広い部屋に、腰の高さの石の台がずらりとならんでいた。
台の天板には、うすく古い陣が刻みこまれている。
そのまんなかに、見おぼえのある丸い窪み。
教室の机とおなじ、魔石のための口。
窪みのまわりには、うすい焦げ跡が輪になって残っていた。
何年ぶんもの、稽古のあと。
さっきのにおいの出どころだ。
窪みには、稽古用の貸し石がもう据えてあった。
(——石は、ある)
教室のわたしの机には、置かれなかったもの。
ここでは台の備えつけらしい。
だれの前にもひとつずつ、おなじ顔で待っていた。
◇◇◇
「据えて、ながして、灯す。それだけだ」
年かさの講師が手本の台の前に立った。
灰色の上着。石の粉で白くなった指。
その指が窪みの石にかるく触れて、短い言葉をとなえる。
台の陣がふちからぽっと目をさました。
刻まれた線が一本ずつ順に灯って、まんなかで小さな灯りがまるくともる。
ろうそくより静かで、ゆらがない灯り。
芯のない灯りだった。
「魔力はいちどに入れるな。糸をたらすように」
それだけ言うと、講師は手本の台をはなれた。
きょうの課題は、これを自分の手でやること。
学院に入って、最初の実技だった。
◇◇◇
新入生たちがめいめいの台についた。
となえる声があちこちで上がる。
赤い火。青いしずく。みどりの葉。
すぐにはそろわない。
力が強すぎて石がじじっと鳴く子。
弱すぎて、線が途中で眠ってしまう子。
はじめて灯った子は、両手を上げて小さくはねていた。
それでも、みんな「やる側」にいた。
流しては直し、直しては流す。
手つきに上手下手はあっても、入り口の戸はだれにもひらいている。
となりの台では、ティオがもう灯していた。
ひと呼吸で、線のすみずみまで灯りがわたる。
まんなかの灯は白くて、輪郭がぴたりとそろっていた。
「よし」
ティオは自分の灯りにひとつうなずいて、そのまましばらくながめて満足していた。
◇◇◇
わたしも、自分の台の前に立った。
窪みの石に手のひらをのせる。
ひんやりと硬い。ただの石の温度。
ならった言葉を、小さくとなえた。
思ったより子どもの声が出た。
頭のなかはもっと年上のつもりでいるのに、のどはまだ十三の高さで鳴る。
なにも来ない。
石はひんやりしたまま。台の陣は眠ったまま。
もういちど、となえる。
こんどはゆっくり。糸をたらすように、と手本のとおりに思いえがきながら。
(——来ない)
来ないことは、となえる前から知っていた。
測りの儀で灯らなかった手だ。
村の検査でも灯らなかった、おなじ手だ。
それでも、ためす前からやめる理由にはならない。
三度めをとなえかけたとき、うしろで足音が止まった。
講師は名簿とわたしの顔を見くらべて、ああ、という顔をした。
「魔力なき者に、実技はな」
とがめる声ではなかった。
畑に石をまく者はいない。そういう、あたりまえの声。
「見て、おぼえておくといい。流すところは、いつか役に立つ」
講師はそれだけ言って、つぎの台へ歩いていった。
しかられたのではない。
期待されなかっただけ。
どちらでもないことのほうがずっと深いところに刺さる。
どこかで、小さく扇の鳴る音がした。
「灯らないのに、なにをしに来たのかしらねえ」
だれに言うでもない、ひとりごとの高さの声。
責める色はうすい。
ほんとうにふしぎがっているだけの、無邪気な声。
だからよけいに、言い返す取っ手がどこにもない。
上等な絹の袖が視界のすみでひらりと揺れた。
声のぬしはさがさなかった。
わたしは息をひとつ吸って、顔を上げたままでいた。
うつむかないと決めたのは、わたしだ。
◇◇◇
やることがなくなった。
やる側には立てない。
なら、この時間をなにに使う。
わたしは顔を上げたまま、みんなの台を見た。
見ているうちに、頭がかってに段取りを追いはじめる。
灯るとき、陣はいつもおなじ道すじをとおっていた。
はじめに、ひと粒の火がつく点。
そこから線が一本ずつ、順ぐりに目をさましていく。
さいごに明るさがそろって、口を閉じるように落ちつく。
刻まれた古い印そのものは読めない。
知らない形の、知らない記号。
でも、段取りの形なら追える。
上から下へ、手順が一本の糸になってつながっていた。
(——なぜ、この順なんだろう)
火が先で、明るさが後。
逆では、だめなのか。
だれも「なぜ」は見ていない。
みんなが見ているのは、灯ったか、灯らないか。
それでいい。使う側は、それでちゃんと前へ進める。
前世で、人の書いたものを読んでは直す仕事をしていた。
なぜ、と問うのはそのころからのただの癖だ。
(——おもしろい)
思ってしまってから、口もとを引きしめた。
ここは、それを言う場所ではない。
言えば、どうして分かるのかと問われる。
わたしは黙って、つぎの台の灯りへ目を移した。
◇◇◇
見ているうちに、もうひとつ分かったことがある。
みんなは、ふたつのことをいっぺんにやっている。
陣を目ざめさせる、最初のひと粒の火。
それから、灯りつづけるための力。
点火と、動力。
それをひとつの手のひらから、いちどに流しこんでいる。
呼吸とおなじだ。
吸うと吐くを分けて数える人はいない。
だから、分かれていることにも気づかない。
持っている人には、分ける用がないからだ。
(——塔と、おなじだ)
王都の塔も、動く力は蓄えた石からもらって、最初の火だけはいつも人の手が入れていた。
あの、最初のひと粒。
あれを、わたしは出せない。
蓄えた力を借りる道なら、もう知っている。
でも、借りた力を目ざめさせる小さな火。
その一粒だけは手もとにない。
(——ないのは、その一粒だけ)
そう数えられたことに、自分ですこしおどろいた。
ぜんぶがないのではなかった。
足りないのは、一粒。
◇◇◇
「なあ」
となりの台から声がとんできた。
ティオが台にひじをついてこちらを見ていた。
「きみだけ、ひとの陣ばっかり見てるな」
「……見るのが、きょうのわたしの課題だから」
「ふうん」
ティオは自分の石を指の先でこつんとつついた。
「起こしてやろうか。きみの分」
なんでもないことのように言う。
となりの畑に水があまっていたら分けてやる。それくらいの軽さ。
一瞬、その灯りを思いえがいた。
わたしの台の陣が灯る。
線が順にひらいて、まんなかに小さな白い灯。
きれいだろうと思う。
「……ううん。いい」
「なんで。すぐ灯るぜ」
「それだと、ティオが灯したことになるから」
「そりゃ、そうだけど」
「わたしは——」
言いかけて、言いなおした。
「わたしのやり方で、灯したいの」
ティオはしばらくこちらを見ていた。
それから、ふっと笑った。
「きみ、やっぱり変なやつだな」
言うだけ言って、もう自分の陣にもどっていた。
悪く思った様子はどこにもなかった。
◇◇◇
鐘が鳴って、最初の実技は終わった。
新入生たちは口々にしゃべりながら出ていった。
上気した頬。灯りの余韻。
じぶんの魔力の話をする、はずんだ声。
わたしは最後にのこって、窪みの石をひろい上げた。
朝とおなじ温度のままの石。
だれの火も通らなかった、わたしの分の石。
(——やる側には、立てなかった)
きょうのところは。
手のなかで、石をにぎりなおす。
(——起動できないなら)
起動するしくみのほうを、作ればいい。
火をつける手がないなら、手のかわりに火をつけるなにかを。
まだ、かたちはない。
名前もない。
胸のなかで、火の粉ほどの大きさしかない思いつき。
でも、はじまりがこういう顔をしていることなら知っている。
一度やったのだから、できないとは言わせない。
わたしは冷たい石を、窪みのまんなかにそっと据えなおした。
つぎにここへ立つときの、わたしのために。
■あとがき・解説
第189話は、学院に入ってはじめての実技の回です。石づくりの実技室に、陣を刻んだ台がならび、窪みには稽古用の貸し石がもう据えてある。教室では配られなかった石が、ここではだれの前にもある——なのに、リナだけは「やる側」に立てません。据えて、ながして、灯す。その「ながす」が、魔力ゼロのリナにはどうしてもできないからです。
講師の言葉は、「魔力なき者に、実技はな」。とがめる声でも、いじわるの声でもありません。畑に石をまく者はいない、というだけのあたりまえの声です。しかられたのでもなく、期待されなかっただけ。この「どちらでもなさ」がいちばん深く刺さる、というのが今回の入り口でした。どこかで聞こえた「灯らないのに、なにをしに来たのかしらねえ」というひとりごとも、責めているというより、ほんとうにふしぎがっているだけ。だからこそ言い返す取っ手がない。それでもリナは、顔を上げたままでいます。
やる側に立てないリナは、その時間で「見る側」の仕事を始めます。灯るとき、陣はいつもおなじ道すじをとおる。はじめにひと粒の火がつき、線が順に目をさまし、明るさがそろって閉じる。刻まれた古い印そのものは読めなくても、段取りの形なら追える。そして、だれも見ていない「なぜこの順か」だけが気になってしまう。前世で人の書いたものを読んでは直す仕事をしていた、そのころからの癖です。
見ているうちに、リナはひとつの分かれ目に気づきます。みんなは「最初のひと粒の火」と「灯りつづける力」を、ひとつの手のひらからいっぺんに流している。呼吸とおなじで、持っている人はそれが分かれていることに気づく用がない。そしてリナに足りないのは、そのうちの一粒だけ——ぜんぶではない。この「一粒だけ」という数えかたが、章末の小さな問いにつながります。起動できないなら、起動するしくみのほうを作ればいい。まだ名前もかたちもない思いつきですが、ここから先の話の芽になっていきます。
今回は、「実技室の台」「貸し石のあつかい」「最初のひと粒」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「実技室の台」——陣を刻んだ稽古用の石の台
実技室にならぶ、腰の高さの石の台です。天板には古い陣がうすく刻んであり、まんなかの窪みに魔石を据えて、自分の魔力をながして陣を起こす——学院の実技の基本のかたちです。窪みのまわりに残る焦げ跡の輪は、何年ぶんもの稽古のあと。焦げたにおいのする部屋で、新入生たちは今日も「据えて、ながして、灯す」をくりかえします。教室の机の窪みが「見せ合う」ための口だとしたら、こちらは「稽古する」ための口です。
■「貸し石のあつかい」——ここでは、だれの前にもある
教室では配られなかった貸し石が、実技室では台の備えつけとして、だれの前にもひとつずつ据えてあります。リナの前にも、です。つまり「石がもらえない」ことと「やる側に立てない」ことは、べつの話なのです。石があっても、ながす力がなければ、石はひんやりしたまま。窪みが空だった前の話よりも、石があるのに灯らない今回のほうが、線引きの正体がはっきり見えます。締め出しているのは物ではなく、魔力という入り口そのものなのだと。
■「最初のひと粒」——陣を目ざめさせる火
魔導士が陣を起こすとき、じつはふたつのことをいっぺんにやっています。陣を目ざめさせる最初の小さな火と、灯りつづけるための力。ふつうはひとつの手のひらから同時に流れてしまうので、分かれていることにだれも気づきません。リナは王都の塔で「動く力は蓄えた石から借りられる」ことをすでに知っています。それでも、目ざめさせる最初のひと粒だけは、いつも人の手が入れていました。その一粒が、リナには出せない。逆に言えば、足りないのはその一粒だけ。この数えかたができた日が、リナにとってどういう日だったのか——次回以降を、お楽しみに。
次の話もお楽しみに。




