第188話 空の窪み
扉のむこうで、小さな歓声がはじけた。
「灯った、灯った」
「見ろよ、青だ」
押しあけた扉のすきまから、子どもの声と、かすかにあまい香のにおいがこぼれてくる。
ここがわたしの教室。
天井の高い部屋だった。
背の高い窓がならんで、夏のはじめの光が床に長い四角を落としている。
石の壁。木の床。
インクと、香と、新しい服のにおい。
敷居をまたぐと、いくつかの声がふっと低くなった。
(——見られている)
朝の広間とおなじ目だ。
それでも、うつむかない。
それだけはもう決めてある。
わたしは荷を抱えなおして、足を前に出した。
◇◇◇
教室には、黒っぽい木の机が並んでいた。
よく磨かれた、古い机。
天板のまんなかに、こぶし半分ほどの丸い窪みが彫りこんである。
浅くて、なめらかな窪み。
新入生たちはその窪みに、めいめいの魔石を据えていた。
親指の先ほどの、磨いた石。
据えて短くとなえると、石の上に小さな印がぽっと浮かぶ。
赤い火の粉。青いしずく。みどりの葉のかたち。
自分の魔力の色を机の上に灯して、見せ合う。
「ぼくは火だ」
「わたしは水。おばあさまとおなじ」
灯りがひとつ増えるたび、小さな拍手と笑い声が起きた。
名のるより先に、色を見せる。
それがこの教室の、最初のあいさつらしかった。
(——ああ、これは)
知っている形だ、と前世の頭が言う。
机のまんなかの、道具のための口。
会社の机にもあった。電気の差しこみ口。
道具はあそこから力をもらって、動いていた。
ここでは石を据えて、人が自分の力をながす。
それだけのちがいだ。
◇◇◇
席をさがして、通路を歩く。
教室のまんなかで、灯った印の見せ合いがいちばん明るい輪を作っていた。
その輪の中心に、ひときわ上等な服の女の子がいる。
絹の袖。胸には家紋を彫った札。
手には小さな扇。顎をすこし引いて、人を見る目。
その目がこちらへ動いて、わたしの旅装を上から下までゆっくりたどった。
なにも言わない。
ふい、と目をそらして、輪のなかへ戻っていく。
それだけだった。
わたしの席は、窓ぎわの列のいちばんうしろにあった。
机の角に、名前を書いた小さな板が置いてある。
家名のない、名前だけの板。
椅子を引くと、木の脚が床をこすって鳴った。
すわってみると、机はわたしにはすこし高い。
十三の足のさきは床にやっととどく。
抱えてきた荷を、机のわきにそっとおろした。
図面と、炭と、村の歯車の入った荷。
それだけで、すこし息がしやすくなった。
◇◇◇
戸口から、年かさの男の人が木箱を抱えて入ってきた。
箱のなかで、石と石がこすれて鳴っている。
「貸し石だ。なくすなよ」
まだ自分の魔石を持たない子のための、練習用の石らしい。
係の人は名簿を見ては、窪みにひとつずつ石を据えていく。
こつ、こつ、と石の音が近づいてくる。
わたしの机の前で、足が止まった。
係の人は名簿とわたしの顔を見くらべた。
それから、なんでもないことのように言った。
「あんたには、要らんだろう」
声に、悪気はなかった。
雨の日に傘を配って、晴れの日には配らない。
そういう、あたりまえの口ぶり。
言い終えるより先に、目はもう次の名簿の行へ落ちていた。
石は置かれなかった。
係の人は次の机へ移り、こつ、とまた石が据わった。
箱のなかの石の音がすこしずつ遠ざかっていった。
◇◇◇
まわりの机は、淡く光っている。
赤。青。ときどき、みどり。
夜の通りに灯りのならんだ窓を見るようだ。
そのなかで、わたしの机だけ、暗い。
窪みはからっぽのまま、ただの木の色をしていた。
浅い丸のなかに、午後の光がうっすらたまっているだけ。
(——据えるものすら、ない)
理屈は、わかっている。
点ける魔力のない者の手では、魔石はただの石ころだ。
だから配らないのは、いじわるですらない。
むだにしないための、ただの手まわし。
朝の広間で、灯らなかった手。
それが机の上では、からっぽの窪みという形になる。
わたしはひざの上で、その手をにぎった。
◇◇◇
ふいに、となりの席が明るくなった。
見ると、男の子が手のひらの上に光の玉を浮かべている。
こぶしほどの、白い玉。
火の粉でも、しずくでもない。
輪郭のそろった光が指の上でくるりと回った。
まわりの子の印とは、あきらかにできがちがう。
それを、片手間の顔でやっている。
栗色の髪の男の子だった。
男の子は玉をひょいと指ではじいた。
玉は宙でひとまわりして、くずれずに手のひらへ戻る。
「見たか、いまの。手をはなしても、くずれないんだぜ」
こちらに言ったのかと思って、口をひらきかけた。
ちがった。
男の子は自分の玉にひとつうなずいて、それで満足している。
それから、思い出したようにこちらへ顔を向けた。
「きみ、なんでここに?」
まっすぐな声だった。
ばかにする響きがない。
ほんとうに知りたい、というだけの声。
その目はわたしの旅装も、名前だけの板も、からっぽの窪みも、素通りしていった。
(——量られて、いない)
朝からずっと、量られてばかりだったのに。
「……入学、したの」
「そうじゃなくて」
男の子は玉をふっと消して、机にひじをついた。
「きみ、灯らないんだろ。朝の、あれ」
かくすことでもない。
わたしはうなずいた。
「ほんとに、ぜんぜん?」
「うん。ぜんぜん」
「ふうん」
感心とも、ただの相づちともつかない声。
それから男の子は、机に身をのりだした。
「なのに、来た。なんで?」
なんで。
ほんとうの答えは、のどの奥にある。
でもそれを言うには、見せられないものまで見せることになる。
だから、言えるところだけを言った。
「灯すのは……灯せる人が、やればいい」
「うん?」
「わたしは、ちがうやり方をする」
「ちがうやり方」
男の子はそのまま繰りかえした。
「なにそれ」
「……うまく、言えないけど」
男の子はしばらく、こちらを見ていた。
量る色は、最後まで浮かばなかった。
かわりに、栗色の髪を無造作にうしろへはらう。
「きみ、ちょっと、おもしろいな」
それから、わたしの机のからっぽの窪みをのぞきこんだ。
「きみの、からっぽだな」
「……うん」
「もったいないな。せっかく席があるのに」
もったいない。
その言いかたがすこしおかしかった。
かわいそう、ではなくて。
みじめ、でもなくて。
ただ席がむだになっている、という言いかた。
「おれ、ティオ。ティオ・レンフェルド」
名のる段になって、男の子は胸をはった。
近くの席の子がちらりとふりむく。
知られた家の名前、らしい。
「……リナ、です」
家名は、つけられなかった。
ティオは気にするふうもなくうなずいて、「リナ」と一度だけたしかめた。
それから自分の机へ向きなおり、また光の玉をひねりだして遊びはじめた。
◇◇◇
やがて、低い鐘が鳴った。
授業のはじまりを知らせる鐘だ。
石の壁のなかで、音がゆっくりひとまわりして消える。
教室のあちこちで、灯っていた印がひとつずつ消えていく。
窓の四角い光だけが床にのこった。
ティオの窪みには、深い青のじぶんの魔石が据わっている。
よく使いこまれた、角のまるい石。
わたしは、自分の机の窪みを見おろした。
からっぽの、暗い窪み。
据えるものを、わたしはまだ持っていない。
魔石を置いても、わたしの手では灯らない。
それも知っている。
(——でも)
塔を作りはじめたときだって、手のなかにはなにもなかった。
いつか、ここに置く。
魔石ではない、わたしのやり方の、なにかを。
灯せなくても——灯る仕組みを。
指の先で、窪みのふちをなぞった。
長いあいだ子どもたちの手にみがかれて、木のふちはまるく、すこしすり減っている。
(——ここで、わたしのやり方で、何かを据えてみせる)
窪みの底で、ちいさな木目がしずかに渦を巻いていた。
■あとがき・解説
第188話は、リナが自分の教室にはじめて足を踏み入れる回です。入学式の広間で「灯らない手」を何百もの目に晒されたその日の午後、こんどは教室が、もっと小さくて具体的な形でおなじことをリナに突きつけます。教室の机には、まんなかに丸い窪みが彫ってあります。新入生たちはそこにめいめいの魔石を据え、自分の魔力の色を灯して見せ合う——それがこの教室の、最初のあいさつです。
でも、リナの窪みには石が据わりません。練習用の貸し石を配ってまわる係の人は、名簿とリナの顔を見くらべて、「あんたには、要らんだろう」とだけ言って次の机へ移ります。声に悪気はありません。点ける魔力のない者の手では、魔石はただの石ころ。だから配らないのは、むだにしないためのあたりまえの手まわしです。悪意より、この「あたりまえ」のほうがずっと重い——まわりの机が淡く光るなか、リナの机だけが暗い。空の窪みは、「魔力なき者の机」の形そのものです。
そこに、となりの席から声がかかります。手のひらの上に光の玉を浮かべて遊んでいた栗色の髪の男の子。自分の技にひとりで満足してから、思い出したようにリナを見て、「きみ、なんでここに?」。ばかにする響きのない、ほんとうに知りたいだけの声です。朝からずっと量られてばかりだったリナにとって、旅装も家名のなさも空の窪みも素通りするこの目は、入学してはじめての「量らない目」でした。名乗りはたった一往復。「おれ、ティオ。ティオ・レンフェルド」「……リナ、です」。この男の子がこれからどうかかわってくるのかは、ゆっくり書いていきます。
授業の鐘が鳴って、リナは自分の空の窪みを見おろします。据えるものは、まだ手のなかにありません。それでも、塔を作りはじめたときだって手のなかにはなにもなかった。いつか、ここに、魔石ではないなにかを据える。指の先で窪みのふちをなぞって、リナは決めます。「(——ここで、わたしのやり方で、何かを据えてみせる)」。
今回は、「魔石の窪み」「貸し石」「ティオ・レンフェルド」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「魔石の窪み」——机のまんなかの丸いくぼみ
学院の机の天板には、こぶし半分ほどの丸い窪みが彫りこんであります。ここに魔石を据えて、自分の魔力をながして使う——学院の授業の基本のかまえです。リナの前世の頭は、これを見て「会社の机の電気の差しこみ口だ」と思います。道具に力を渡すための口。ちがうのは、ここでは据えた石に人が自分の力をながすこと。だからこそ、ながす力を持たないリナの窪みは、からっぽのままです。この空の窪みが、リナの学院生活の出発点になります。
■「貸し石」——学院が貸す練習用の魔石
まだ自分の魔石を持たない子のために、学院が貸し出す練習用の石です。係の人が木箱を抱えて教室をまわり、名簿を見ながらひとつずつ窪みに据えていきます。つまり学院は、石を持たない子がいることは織りこみずみなのです。それでもリナには配られない。石がないからではなく、据えても点ける魔力がないから。「貸しても、むだになる」——この線引きが、だれの悪意でもなく、ただの決まりごととして淡々と通っていくところに、この学院の「あたりまえ」の形があります。
■「ティオ・レンフェルド」——となりの席の男の子
リナのとなりの席に座る、栗色の髪の男の子です。名のったとき近くの席の子がふりむいたように、知られた家の子で、手のひらの上の光の玉ひとつとっても、まわりの子の印とはできがちがいます。おもしろいのは、それをじまんの種にするより先に、自分でうなずいて自分で満足しているところ。そして、灯らないリナを見る目に、量る色がないところです。「もったいないな。せっかく席があるのに」——かわいそうでも、みじめでもなく、ただ席がむだになっているという言いかた。この率直さが、これからのリナにとってどういう意味を持つのか。次回以降を、お楽しみに。
次の話もお楽しみに。




