第187話 測りの儀
朝の早い光が灰色の石の門を白く照らしていた。
エルディンの石畳は、村の土とちがう。
踏むと、足の裏に固い音を返してくる。
門のむこうから、大勢の人いきれと、知らない香木のにおいが流れてきた。
学院の門は、見あげるほど高い。
両びらきの鉄の扉に、ひらいた本の形が彫りこんである。
招待状の蝋にあった、あの印だ。
街道を幾日も行き、昨日の夕暮れにはまだ、灰色の影でしかなかった。
その屋根の連なりがいまは目の前で、石とガラスのかたまりになっている。
(——着いた)
胸のなかで、そっと言った。
怖さは、まだ足の裏に残っている。
それでも、ここまで来てしまった。
◇◇◇
荷車を門のわきにとめて、父が手綱を置いた。
「ここまでだ」
短く、それだけ言った。
門の脇に、革鎧の門衛が二人立っている。
そのうちの一人がこちらを見て、口をひらいた。
「身分は」
「グレンフィールドのアルベルト。娘を、学院へ」
父が荷台から証書を出して見せると、門衛は一度うなずいた。
それから、父のほうへ手のひらを向けた。
「お子だけ、お通りを。平民の付き添いは、門の内には入れません」
知っていた。
王都で一度、父はおなじ言葉を聞いている。
平民は、門の内に入れない。
それでも、こうしてはっきりと言われると、胸の底がすこし冷えた。
父は表情を変えなかった。
「ふむ」
ただ、そう言った。
◇◇◇
父は荷台から、布でくるんだ荷をおろしてくれた。
図面。炭。替えの上着。
その底に、村の歯車がしまってある。
「忘れもんは、ないな」
「うん」
父は荷をわたしの腕に持たせると、大きな手をわたしの頭にひとつのせた。
工房で鉄を打つ、かたい手のひらだった。
「行ってこい」
それだけ。
「ありがとう」と言うのが、やっとだった。
声を長く出すと、足が村のほうへ戻りたがる。
それを、もう知っている。
わたしは前を向いて、門のほうへ一歩踏みだした。
うしろで荷車の車輪が小さくきしんだ。
ふりむかなかった。
◇◇◇
門の内がわに、一人の女の人が立っていた。
地味だけれど、仕立てのよい外套。
きっちりと結った髪。化粧の気配のない、まばたきの少ない目。
王都で一度会った、あの人だ。
「ミラ・カイザーです」と、その人は静かに言った。
「お久しぶりです、リナ。お待ちしていました」
王都の応接で会ったときとおなじ、一語ずつ卓に置くような話し方だった。
ミラは門のところまで来ると、父のほうへ軽く頭をさげた。
「ここから先は、わたくしがお預かりします」
父はミラの顔を、しばらく見ていた。
それから、もう一度わたしの頭に手をのせ、すぐに離した。
「娘を、よろしく」
「はい。たしかに」
ミラはそれだけ答えた。
余計なことを言わない人だ。
「ゆっくりで、かまいません」とミラは言った。
「あなたの足で、入ってきてください」
わたしはうなずいて、荷を抱えなおした。
門の敷居は、思ったより高い。
十三の足では、すこし大きくまたぐ。
敷居をまたぐとき、手首のノラの帯に、いちど触れた。
それから、前を見た。
◇◇◇
学院のいちばん大きな広間に、新入生が集められていた。
天井が高い。
色のついたガラスの窓から、午前の光が斜めに落ちている。
石の床に、わたしの足音がこつ、と響いた。
まわりはみんな、わたしより上等な服を着ている。
絹の上着。銀の留め金。家紋の入った肩布。
魔力を持つ家の子たち——選ばれた者たち。
そのなかで、わたしの旅装の上着は土のにおいがした。
(——場ちがいだ、わたしは)
頭では、わかっていた。
それでも、ここに立つと決めたのは、わたしだ。
帯を巻いた手首を、もう片方の手でそっと押さえた。
広間の正面に、低い壇がある。
壇の上に、こぶしほどの透明な結晶が台にのせてあった。
それを見たとたん、胸の奥がきゅっとなった。
おぼえがある。
むかし、村でもおなじことをした。
八つの春、祭司の前で、透明な石に両手をのせた。
あのときも、石はなにも返さなかった。
光はひとつも灯らなかった。
(——また、あれを)
◇◇◇
「測りの儀を、はじめる」
壇の上の老人が低い声で言った。
新入生が名を呼ばれた順に、壇へのぼっていく。
一人ずつ、結晶に手を触れる。
すると、結晶のなかに、淡い光がともる。
赤。青。みどり。
その子の持つ魔力の色が石のなかでゆっくりと回った。
広間のあちこちで、小さなどよめきが起きた。
「あの子、二色だ」
「名家の子はちがうな」
魔力の色が濃いほど、まわりの目が輝く。
それがこの場所のものさしだった。
魔力を持つこと。
濃い光を、石のなかに灯せること。
ここでは、それが値うちのすべてだった。
わたしの番が近づいてくる。
手のひらに、汗がにじんだ。
「リナ」
名を呼ばれた。
家名のない、ただの名前だ。
広間がすこしざわついた。
家名のない者がこの場にいることへの、ざわめき。
わたしは壇へのぼった。
結晶は近くで見ると、底のほうに小さな気泡を抱えていた。
ゆっくりと、両手をのせた。
つめたい。
村の石とおなじ、つめたさだった。
そして——なにも、起きなかった。
赤も、青も、みどりも。
結晶はただ透きとおったまま、午前の光をにぶく弾いていた。
広間がしんとした。
それから、ざわめきが波のように広がった。
「灯らない」
「魔力が、ないのか」
「魔力なき者が、なぜここに」
声はひそめられていたけれど、高い天井によく響いた。
わたしは結晶から手を離した。
手のひらに、石のつめたさだけが残った。
(——知っている)
灯らないことは、八つのときからずっと、知っている。
それでも、何百もの目が一度にこちらを向くと、足の裏が床から浮きそうになった。
肩がちぢこまりそうになった。
けれど、背すじはのばしたままでいた。
◇◇◇
壇のわきに、白髪の老人が立っていた。
藍色の長い衣。
膝のあいだに、一本の杖を立てている。
その杖の石突きが床を、とん、と突いた。
見おぼえのある、所作だった。
——あの人だ。
王都で、わたしの作った塔を、黙って見届けた人。
動くものを無用とは言えぬ、と言って、塔を壊さずに残してくれた人。
その人がいま、こちらを見ている。
低く、乾いた声が広間に落ちた。
「グレンフィールドの娘か」
「……はい」とわたしは答えた。
グランツ卿はわたしの顔を、しばらく見ていた。
それから、理事たちの並ぶほうへ、ゆっくりと向きなおった。
「異議がある」
声は大きくない。
けれど、広間のすみずみまで届いた。
「この学院は、魔力を磨き、受け継いだ技を使いこなすための場である」
杖がもう一度、とん、と鳴った。
「その場に、磨くべき魔力を持たぬ者が籍を置く。前例のない、逸脱だ」
ざわめきがぴたりとやんだ。
「操る魔力を持たぬ者が、ここで、何を学ぶ」
その問いは、わたしにまっすぐ向けられていた。
わたしは答えられなかった。
反論の言葉は、のどの奥まで出かかって、止まった。
——卿の言うことは、筋が通っている。
魔力を磨く場で、磨く魔力がない。
それはたしかにそのとおりだった。
王都の塔のときも、卿はおなじだった。
筋が通っているから、止める。
筋が通っているから、認める。
子どもだからとも、無能だからとも、卿は言わない。
ただ、決まりに照らして、逸脱だと言う。
だから、反論できない。
反論しようとすれば、ではお前に何ができる、と問われる。
そして、それに答えようとすれば——わたしのいちばん奥の、隠したものに、手が届いてしまう。
だから、わたしは黙っていた。
唇を結んで、ただ、卿の目を見かえした。
うつむきは、しなかった。
グランツ卿はわたしの目を、一度だけ受けとめた。
そして、ふっと、目をそらした。
言うべき筋を言い終えると、それ以上は何も言わなかった。
杖を支えに、ゆっくりと壇のわきへ退いていく。
白い髪がガラス窓の光のなかで、しずかに揺れた。
広間の奥のほうに、もう一人、こちらを見ている人がいた。
教師らしい、ずんぐりした体つきの男の人。
その目は、まわりの軽蔑とも、好奇ともちがった。
何かを、品定めするような目。
けれど、それが誰なのかは、まだわからなかった。
◇◇◇
広間のざわめきは、まだ消えなかった。
新入生たちの目がちらちらとこちらをうかがっている。
わたしは壇をおりた。
足がすこし震えていた。
ミラが壇のわきで待っていた。
わたしのとなりに来て、低い声で言った。
「よく、こらえました」
その一言で、こらえていたものが胸の奥でほどけそうになった。
「あの方は、正しいのです」とミラは言った。
「学院の決まりから見れば」
わたしはうなずいた。
そのとおりだと、わたしも思っていた。
「ですが」とミラは続けた。
「決まりが、すべてを言いあてているとは、かぎりません」
ミラの目は、まばたきが少なかった。
人を量る目でも、見くだす目でもない。
王都で会ったときとおなじ、本の一行を急がずたどるような、静かな目。
「あなたが何を見ているのか、わたくしには、まだ読めません」
ミラはそう言って、わたしの足もとに目を落とした。
震えていた足を、見られた気がした。
「でも、見えているものは、たしかにあるのでしょう」
その一言で、震えていた足が床にとまった。
◇◇◇
わたしは息を一つ、ゆっくり吐いた。
広間の高い天井を見あげた。
色のついたガラスから、午前の光がいくつもの色になって床に落ちている。
この場所の値うちは、魔力の濃さで決まる。
濃い光を、石のなかに灯せること。
わたしには、それがない。
八つのときから、ずっとない。
(——でも)
灯せないなら、灯せないままで、いい。
魔力で測られる場所に、魔力でない測りかたを、持ちこめばいい。
塔を作ったときも、そうだった。
魔力のないわたしが村のことばを、はるか遠くまで届かせた。
魔力でなく、仕組みで。
ここでも、おなじことができるはずだ。
(——ここで、作る)
何を、とはまだ言えない。
形も、仕組みも、まだ手のなかにない。
それでも、決めた。
魔力で灯らないこの石の前で、いつか、魔力でないやり方で、何かを動かしてみせる。
見えるところで。
◇◇◇
「教室へ、案内します」とミラが言った。
「あなたの席が、決まっています」
わたしは荷を抱えなおした。
ミラのうしろについて、広間を出る。
長い石の廊下を、午前の光が縞に区切っていた。
廊下のつきあたりに、一つの扉がある。
その扉のむこうに、わたしの教室がある。
まだ顔も知らない、誰かのとなりの席が。
扉の前で、わたしはいちど足をとめた。
手首の、ノラの織った帯に、指でそっと触れた。
ふぞろいの糸の、あたたかい手ざわりがした。
ここにも、村のにおいを連れてきている。
それだけで、息が一つ、深くなった。
扉の取っ手は、ひんやりと固い。
わたしは息を吸って、それに手をかけた。
そして、自分の教室の扉を、前へ押した。
■あとがき・解説
第187話は、リナが王立魔導技術学院の門をくぐり、入学式にのぞむ回です。前の回でエルディンの灰色の影を遠くに見たリナは、今回ついにその門にたどり着きます。けれど学院の門は、平民のお父さんを内には通しません。お父さんは門の前でリナの頭にひとつ手をのせ、「行ってこい」とだけ言って送り出します。門の内では、王都で一度会った世話役のミラ・カイザーが、「ここから先は、わたくしがお預かりします」と受け取り役にあらわれます。
入学式の核は、「測りの儀」です。新入生が一人ずつ、壇の上の透明な結晶に手を触れ、自分の魔力の色を石のなかに灯してみせる——この世界の通過儀礼です。赤、青、みどり。濃い光を灯せる子ほど、まわりの目が輝きます。けれど、リナの番が来て両手をのせても、結晶はなにも返しません。光は、ひとつも灯らない。広間がしんと静まり、それからざわめきが波のように広がります。「魔力なき者が、なぜここに」。
そこへ、白髪に藍色の長衣の老人——グランツ卿が、公式に異議を唱えます。卿は、王都でリナの作った塔を黙って見届け、「動くものを無用とは言えぬ」と言って塔を残してくれた、あの人です。卿は子どもだからとも無能だからとも言いません。ただ、決まりに照らして、「磨くべき魔力を持たぬ者が籍を置くのは、前例のない逸脱だ」と言う。筋が通っているからこそ、リナは反論できません。反論しようとすれば、いちばん奥に隠したものに手が届いてしまうから。リナは黙って、けれどうつむかず、卿の目を見かえします。
すべてを呑みこんだリナの足が震えるのを、ミラがそっととめます。「決まりが、すべてを言いあてているとは、かぎりません」「見えているものは、たしかにあるのでしょう」。リナは決めます。魔力で測られる場所に、魔力でない測りかたを持ちこむと。塔を作ったときと、おなじように。何を、どう作るのかは、まだ手のなかにありません。それでも——「(——ここで、作る)」。胸にそれだけを決めて、リナは自分の教室の扉を押します。
今回は、「測りの儀」「魔力なき者」「理事」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「測りの儀」——光で測られる場所
学院の入学式でおこなわれる、新入生の魔力を測る儀式です。透明な結晶に手を触れ、自分の魔力の色を石のなかに灯してみせる。じつはこれ、リナが八つのとき、村でも一度くぐった儀式とおなじ仕組みです。村では祭司が、八歳になった子の魔力量を測りました。あのときも、リナの手のひらの下で、石はなにも返しませんでした。だから今回、結晶が灯らないことを、リナは初めから知っています。知っていてなお、何百もの目が一度に向くのは、こわい。この世界では、濃い光を灯せることが値うちのすべて——その「ものさし」のうえに、リナだけが、灯らない手で立っています。
■「魔力なき者」——魔力を持たない人々
この世界の人の半分以上は、魔力をほとんど、あるいはまったく持たない「魔力なき者」です。社会的には下に見られ、自分の力で魔法を起こすことはできません。リナもこの階級です。学院は本来、魔力を持つ家の子——選ばれた者たちが、受け継いだ技を磨くための場所です。そこへ魔力なき者が籍を置くのは、たしかに前例のないこと。グランツ卿の異議は、意地悪ではなく、その「決まり」をまっすぐ口にしたものです。リナがこれから挑むのは、魔力という一本のものさしだけでは測れないものを、この最高学府の真ん中で示してみせることになります。
■「理事」——学院を運営する側の人
学院の運営にたずさわる、上の立場の人たちです。グランツ卿はその一人で、宮廷魔導士でもあり、古い決まりを重んじる保守派の中心にいます。リナにとって卿は、敵というより「筋の人」です。塔のときも、動くものを認めるところは認め、決まりに反するところは止めました。今回も、リナの席が決まりに反すると見れば、たとえ相手が子どもでも、式の場で正面から異議を唱えます。言うべき筋を言い終えると、それ以上はなにも言わず、ふっと目をそらして退いていく。この人とどう向きあっていくのかが、リナの学院生活のひとつの軸になります。
次の話もお楽しみに。




