第184話 招待状
昼の光が宿の窓いっぱいに差していた。
きのうまでの夜とはちがう、まっすぐな白い光だ。
机のうえには、書きかけの図がひろげてある。
炭の粉が紙のはしにうっすらとたまっていた。
窓の外を、荷車の輪が石畳をかたかた鳴らして通りすぎる。
それも、夜のしずけさとはちがう、昼の音だった。
廊下のほうで、こつ、こつ、と落ちついた足音がした。
その歩きかたには、おぼえがあった。
戸が軽く叩かれる。
「リナ嬢。少し、よろしいか」
テオドールの声だった。
◇◇◇
戸をあけると、テオドールが立っていた。
旅塵のついた外套ではなく、きちんとした上着を着ている。
手には、平たい木の箱を抱えていた。
いつもの取り次ぎとはすこし手つきがちがう。
箱を両手で、まっすぐに持っていた。
「お渡しするものがあって、まいりました」
そう言って、テオドールは部屋に入ってくる。
机の図を一度だけ見て、それから箱を、紙の脇にそっと置いた。
蓋をあけると、なかに一通の封書が入っていた。
それを見て、わたしは息をのんだ。
(——色がちがう)
王都に来てから、封書は山ほど見た。
紅い蝋。獅子の紋章。金の縁。
机に積まれては、お父さんが左右に仕分けていった、あの封の山。
けれど、いま箱のなかにあるものは、それとは根が別だった。
蝋は、濃い藍色をしている。
夜の空をひとさじすくって固めたような、しずかな青。
押された印は、ひらいた本のかたちだった。
獅子も、剣も、家の紋もない。
ただ、本が一冊ひらいているだけ。
簡素で、よけいな飾りがひとつもなかった。
紙も、ちがった。
厚くて、目のつまった、上等な紙。
角はきちんと立っていて、安物の紙には出ない堅さだった。
指の腹で触れると、わずかにざらりとした手ざわりがかえってくる。
「割ってよいのですか」とわたしは訊いた。
「あなた宛てです」とテオドールは言った。
◇◇◇
封の藍色に、親指をかけた。
蝋は、思ったよりかたかった。
爪のさきに、つるりとした冷たさがあたる。
ぱき、と乾いた音をたてて、蝋が割れる。
割れた縁がぎざぎざと白くなった。
かけらが一片、膝のうえにぱらりと落ちた。
なかから、墨のにおいが立った。
書きたての墨ではない、おちついた古い墨のにおい。
前世では、知らせはもっと冷たい光の板のうえを滑ってきた。
蝋を爪で割り、墨のにおいをかぐ。
こんな手ざわりの知らせには、何度ふれても慣れない。
紙をひらく。
きちんとした、改まった字が並んでいた。
一字ずつ、ていねいに置かれた字。
急いでいない手の字だった。
見る人をせかさない字だ。
差出の名は、紙のいちばん上にあった。
王立魔導技術学院。
その名を、はじめて文字で見た。
(——学院)
いつかヘルムさんが言っていた。
学院の出でない者が学院に呼ばれるのは時間の問題だ、と。
あのとき遠くで点った小さな灯りがいま手のなかで字になっている。
文面はみじかかった。
それでも、そこに書いてあることは、どれも異例だった。
平民であること。
魔力を持たないこと。
学院で、ひとつも学んだことがないこと。
ふつうなら、そのどれもが門の前で足をとめさせる。
魔力を持たない平民の子に、学院の門は重い。
それは、王都へ来る前から知っていた。
その、どれもを抱えたわたしを——学院は、特例として迎えると書いていた。
しまいのほうに、一行あった。
「あなたの仕事を、学院はずっと読んでいました」
その一行を、二度読んだ。
(——読んでいた)
貴族たちは、わたしのうしろにあるものを欲しがった。
塔。網。それを引いた頭。
囲って、自分の家の箔にしたがった。
けれど、この一行は、ちがうことを言っている。
うしろではなく、わたしの引いた線そのものを読んだ、と。
光の塔の並び。
置きかえの覚書。
物を数える塔のすじ。
それを遠くから、紙のうえで、ずっとたどっていた人がいた。
◇◇◇
文面の裏に、もう一枚、小さな紙がはさまっていた。
折りたたまれた、てのひらの半分ほどの紙きれ。
封書のあいだに、そっと忍ばせてあった。
ひらくと、ちがう字が書いてある。
さっきの改まった字ではない。
もっと細くて、しずかな字だった。
「いつかお招きしたいと申しました。これは、その約束です」
署名はなかった。
それでも、誰の字かはすぐにわかった。
宮殿の応接で、一語ずつ卓に置くように話した、あの人。
乾いた紙のにおいのする、しずかな目の人。
(——あの人だ)
「カイザー殿は」とテオドールが言った。
「今日は、来られません」
「会いに来るのは、あなたが学院へ来てからだ、と」
ミラ・カイザーは、来なかった。
約束の紙きれ一枚だけを、先に寄こしている。
◇◇◇
藍色の蝋の割れた封書を、膝のうえに置いた。
行きたいのか、と自分に訊いてみる。
こわい、というのがまっさきに胸にきた。
学院は、いちばん深く読まれる場所だ。
あの、やさしい読む目が毎日となりにある場所。
わたしは、見られてはいけないものを抱えている。
眼のこと。陣のこと。前世のこと。
それを抱えたまま、自分から、読む目の懐へ入っていく。
灯りのいちばん明るいところへ、自分の足で歩いていく。
光が強ければ、影は濃くなる。
それは、もうわかっていた。
こわくないはずがなかった。
それでも——と思いなおす。
きのうの夜に、行きあたった壁がある。
どこなら隠れられるか——その問いには、もう答えが出なかった。
どこにいても、見つかる。
隠れ場所をさがすのは、もうやめだ。
問いは、べつの形になっていた。
どこで、なにをしたいのか。
その問いの先に、いま、学院があった。
読まれるのは、こわい。
それでも、あそこには、知らない奥があるという。
その奥を、のぞいてみたい。
隠れるためでなく、知るために。
わたしの引いた線を、読んでくれた人がいる。
こわい場所は、行きたい場所でもあった。
うしろを見て、隠れ先をさがす足ではない。
前を見て、自分で選ぶ足。
お父さんが置いていった言葉だった。
(——行こう)
その言葉が胸のなかでかたちになると、ふっと肩から力がぬけた。
こわさは消えていないのに、足のさきはもう前を向いていた。
◇◇◇
戸ぎわで、お父さんが工具箱の留め金をいじっていた。
きのう蝶番をなおした、あの油さしを、布でくるんでいる。
ずっと黙って、手だけを動かしていた。
わたしが封を割ったのも、見ていたはずだ。
それでも、なにが書いてあるとは、訊かなかった。
「お父さん」
封書を両手で持ったまま、呼んだ。
「ん」
お父さんは、布をくるむ手をとめた。
「わたし、学院へ行く」
言ってから、自分でおどろいた。
自分の声なのに、よそで鳴った音みたいに聞こえた。
村へ帰るとも言えずにいた言葉がするりと外へ出ていた。
決めた、と思ったとたんではない。
口にしたことで、はじめて、決めたのがわかった。
お父さんは、すぐにはなにも言わなかった。
布にくるんだ油さしを、工具箱のなかへ、ことりと戻す。
それから、こちらを見て、深くうなずいた。
「そうか」
それだけだった。
止めもしなかった。
行け、ともせかさなかった。
ただ、前を見て決めたんだな、と——その顔は言っていた。
◇◇◇
お父さんがまた手もとに目を落とす。
部屋に、昼の光がしずかに満ちている。
膝のうえの封書に、目をもどした。
藍色の蝋の、割れたぎざぎざの縁。
そこを、指の先でそっとなぞる。
つめたくて、すこしとがっていた。
ひらいた本の印は、半分に割れても、まだ本のかたちをしていた。
きのうの夜、まっさらな紙にひいた、一本めの線を思いだす。
どこへ向かう線なのか、あのときは、わからなかった。
(——向かう先ができた)
いまはわかる——あの線は、ここへ向かっていたのだ。
きのう見えなかった先は、いま、手のなかにある。
藍色の封書を、胸のまえで両手に挟んだ。
厚い紙の角がてのひらにかたく触れた。
■あとがき・解説
第184話は、一通の封書が届く回です。前の回、宿の夜にリナは「ここに座ったままではいられない」と、足の向きだけを前へ変えました。今回は、その前を向いた足の先に、はっきりとした行き先が現れます。テオドールが届けたのは、王立魔導技術学院からの招待状。平民で、魔力を持たず、学院でひとつも学んだことのないリナを、特例として迎えるという、異例の招きです。
この招待状は、王都でリナの机に積み上がってきた紅い封の山とは、根が別ものです。貴族たちが欲しがったのは、リナのうしろにあるもの——塔や、網や、それを引いた頭でした。けれど学院の招きは、「あなたの仕事を、学院はずっと読んでいました」と書いています。うしろではなく、リナが引いた線そのものへ届いた招きです。だからこそ、リナはこの一通に、これまでと違う重さを感じます。
そして今回、リナははじめて声に出します。「わたし、学院へ行く」。決めたから言ったのではなく、口にしてはじめて、決めたのが自分でもわかった——そんな言葉の出方をします。怖さは消えていません。学院は、いちばん深く読まれる場所だからです。それでも、隠れ場所をさがすのはもうやめにして、自分の足で選ぶ。前の回からの折り返しが、ここで言葉になります。
今回は、「藍色の封蝋」「特例」「そうか」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「藍色の封蝋」——夜の空をすくった青
封書の口をとじている、濃い藍色の蝋です。王都で見慣れた紅い蝋、獅子の紋章、金の縁——あの囲い込みの封とは、色からして別ものでした。押された印は、ひらいた本のかたち。獅子も剣も家の紋もなく、本が一冊ひらいているだけの、簡素な印です。飾りがひとつもないところに、かえって「読む場所」「学ぶ場所」の構えがにじみます。リナが封を割る「ぱき」という音、立ちのぼる古い墨のにおい、厚い紙の手ざわり——受け取りの瞬間を、なるべく指の先で感じられるように書きました。
■「特例」——門の前で足をとめさせるはずのもの
ふつうなら、平民であること、魔力を持たないこと、学院で学んだことがないこと——そのどれもが、学院の門の前でリナの足をとめさせます。文面は、その「とめさせるはずのもの」を並べたうえで、それでも特例として迎えると書いていました。前に技師団のヘルムさんが「学院の出でない者が、学院に呼ばれるのは時間の問題だ」と言った、あの見通しが、ここで的中します。そして文面に挟まれた小さな紙——「いつかお招きしたいと申しました。これは、その約束です」。署名はありませんが、宮殿の応接でリナと向き合った、あの静かな目の人の字です。本人は来ません。会いに来るのは、リナが学院へ行ってからだそうです。
■「そうか」——止めず、せかさず、見とどける
リナの決断を受け取った、お父さんのひとことです。お父さんは封の中身を訊きません。リナが「学院へ行く」と言うと、布にくるんだ油さしを工具箱へことりと戻し、一度だけ深くうなずいて、「そうか」とだけ言います。止めもせず、行けともせかさない。前を見て決めたんだな、という見とどけの「そうか」です。前の回の「足の向き」を置いていったお父さんが、今度は受け取る側にまわります。村やお母さん、ノラへどう伝えるかは、まだこの先のお話。リナの足は、行き先を得て、ようやく前へ踏み出しました。
次の話もお楽しみに。




