第180話 後始末と評価
朝の蔵に、かたかたと音がしていた。
送り爪が布を噛んで、また放す。
布が指の幅ぶん、奥へ送られていく。
塔はもう動いていた。
わたしが手をかけなくても、ひとりで。
はじめて火を入れた朝は、息をつめて見ていた。
いまは、だれも息をつめていない。
それくらい、あたりまえのことになっている。
すこし離れて立って、その音を聞いていた。
きのうまで、ここはわたしの持ち場。
布の掛けかたを見て、石の灯りを数えて、止まればすぐに駆けよった。
いまは、手を出すところがない。
入口の陣のそばに、アディラさんがいる。
そのとなりに、ニルス。
火ぶくれだった手に、新しい皮が張りかけている。
アディラさんが入口の陣に火を入れ、ニルスがそのあとを継ぐ。
火入れはふたりの役になっていた。
奥の棚では、年かさの技師が枠に手をかけている。
焼けて鈍くなった石を、枠ごと手前へ引き出す。
重い石をいちいち外さずにすむ、父の組んだ仕組みだった。
ずず、と枠が滑り出てくる。
技師は鈍った石を抜き、新しい石をはめ、枠をまた奥へ押しもどした。
焼けた石のにおいがうすく蔵にただよう。
べつの技師が新しい布のひと巻きを抱えてきた。
送りの口に掛けて、たるみをそっとならす。
布はいくらでも要る。
回しつづけるかぎり、毎日。
それだけのことがもう手なれた所作になっていた。
書役は入口のわきの机にいた。
塔がひとつ仕事を終えるたび、役と刻を一枚の紙に書きつけていく。
だれが火を入れ、いつ石を替えたか。
細い字が上から下へ並んでいった。
その紙さえあれば、だれが来ても塔は回せる。
人が替わっても、つづいていくための紙だった。
(——ひとりでに回ってる)
棚のいちばん上の石へ、手をのばしてみた。
届かなかった。
十三の背では、爪の先がふれるだけ。
でも、もういい。
その石にとどく役の人はもう決まっている。
◇◇◇
「リナ」
ヘルムさんの太い声が蔵に落ちた。
ふりむくと、腕を組んで塔を見上げていた。
「よく動いてる」
「……はい」
「もう、お前さんが毎朝ここに立つ必要はない」
え、と顔を上げた。
ヘルムさんは塔を見たまま言った。
「塔は、もう技師団のものだ」
突きはなす声ではなかった。
鉄の目方を量るような、ただの見たてだった。
「作って、動かす。そこまでがお前さんの仕事だ。だが、いちばん長いのはそのあとでな」
組んだ腕をほどく。
「役を決めて、回す。それを毎日くりかえす。——それが続けるということだ」
(——続ける)
その言葉が胸のおくへすとんと落ちた。
前世でも、おなじだった。
作って、動いて。
動いてからのほうがずっと長かった。
夜中に呼び出されて、止まったものを直して。
だれが代わっても回るように、手順を紙に書いて。
ひとりで抱えこまないこと。
それを覚えるのに、ずいぶんかかった。
動かすことより、回しつづけることのほうがよほど根気のいる仕事だった。
わかっていたつもりで、わかっていなかった。
ここは、わたしの手を離れていく。
離れて、それでも回っていく。
それがいいことなのだと、頭ではわかっていた。
わかっていて、それでも指の先がすこしさみしい。
うれしさとさみしさがひとつの胸のなかにあった。
◇◇◇
書役が机から一枚の紙を持って、立ってきた。
「お嬢さんに、ひとつ伺いたいことが」
紙には塔の図と、空いた一欄があった。
「この塔にも、作り手の印を結んでよろしいですか」
作り手の印。
だれが作り、どう使ってよいかを、小さく書きつけたしるし。
父の職人印から、わたしがおこしたものだった。
光の塔には、もう結んである。
だれが使ってよいか、どう使うかの覚書と、ひとそろいで。
勝手に使われないように。
だれかが困ったとき、たどれるように。
その覚書がいま、この物を数える塔にも引かれようとしていた。
「……はい」
うなずくと、書役は空いた欄へ、しるしを書きそえた。
(——印が先に歩く)
わたしがいなくても、しるしだけが先へ行って、役を果たす。
わたしの名のかわりに、しるしが立っている。
それは、たよりないようで、たしかなことでもあった。
光の塔でも、いまこの塔でも。
なんだかふしぎな心もちだった。
◇◇◇
ひるすぎ、父が蔵へ来た。
宿に届いた便りを、ひとつかみ抱えている。
「お前あての分だ」
机のはしに置く。
すすけた紙が二、三通。
いちばん上は、見おぼえのある角ばった字だった。
「ヤンさんからだ」
ハーラムの、狼煙台を守る人。
光や狼煙の短い長い符号を読み、送り、止め、書きとめる。
その役の、いちばん年かさだった。
文をのぞくと、字はぶあいそうでも、行はまっすぐだった。
信号士の組がうまく回っているという。
あの狼煙台の、ぶあいそうな人の顔が浮かんだ。
字をぶっきらぼうに書く、まっすぐな人。
ダンと、ニコ。
あの二人の下に、若いのが三人ついた、と書いてある。
読める者がまた増えていた。
村のはずれで、半人前と見られていたニコ。
畑の三男坊がいまは符号を読んでいる。
一字も読めなかったダンがいまは下の者に符号を教えている。
(——ダンが教える側に)
胸のおくがほのかにあたたかくなった。
つぎの一通は、固く改まった字だった。
ヴェルメル家の用人から。
以前わたしが組んだ、置きかえの書き方。
仲間うちだけで通じるよう、字をずらす符牒。
それをいまも荷の知らせに使っている、という短い礼だった。
ただ、それだけ。
けれど、その固い字のほうが長く使われている証に見えた。
「みんな、まだ使ってくれてるんだな」
父が便りを一通ずつ、そろえていく。
村で荷を仕分けるのと、おなじ手つきで。
塔も、符牒も、信号の組も。
わたしのそばにない場所で、それぞれに回って、役を果たしている。
ついこのあいだまで、自分の手のなかにあったものたちだった。
それがもう知らない速さで、遠くを走っていた。
父がそろえた便りを、麻紐でくくる。
机の上で、縦に、とんと揃えた。
「ちゃんと、届いてるな」
低い声だった。
かさり、と紙の束が鳴った。
そっと手に取ると、束はまだほんのりあたたかかった。
◇◇◇
帰りぎわ、ヘルムさんがもう一度わたしを見た。
塔ではなく、わたしを。
「お前さんは、学院の出ではないな」
ふいの問いに、まばたきをした。
「はい。……鐘時計師の、娘です」
「地方の村の子で、学院で習ったこともない。魔力もない。詠唱のひとつもできん」
ひとつずつ、鉄の目方を読むように数えあげる。
「だが、これだけのものを作った」
塔を、あごでしゃくる。
「学院の出でない者が学院に呼ばれる。——時間の問題だな」
脅すでも、おだてるでもない。
ただ目方を量って、そう出たという声だった。
(——学院)
その言葉が遠いところで、小さな灯りになった。
名は聞いたことがある。
けれど、行ったことも、見たこともない場所。
それがいま、こちらへ向かって、ひとつ灯った気がした。
近づいてくるのか、わたしが引かれているのか。
それさえ、まだわからなかった。
帰りたい場所がいっぽうにある。
すすけた紙のにおいのする、あたたかくて、せまい村。
知らない場所がもういっぽうにある。
こわくて、まだ形さえ見えない、遠い灯り。
知らない場所は、こわい。
こわいのに、目がそらせなかった。
(——どっちへ)
足の先がどちらにも動かなかった。
決められなかった。
まだ、なにひとつ。
蔵では、かたかたと送り爪が布を噛みつづけている。
わたしが立っていなくても、塔はもうひとりで明日へ送られていく。
その音を背に、便りの束をもういちどにぎりなおした。
あたたかい束のむこうで、遠い灯りがひとつ、消えずにいた。
■あとがき・解説
第180話は、嵐のような山場が過ぎたあとの「後始末」の回でした。廃棄の沙汰をはねのけ、国王にも認められた演算塔。けれど、ものが残ったあとには、それを毎日回しつづける地味で長い仕事が待っています。今回は、リナが手づくりで動かしてきたものたちが、リナの手を離れて回りはじめる——そのしずかな手応えと、さみしさを書きました。あわせて、第2部のあいだに遠くで育っていたものの「棚卸し」と、これから先に待つ新しい引力の影を置いています。「続ける」「印が先に歩く」「時間の問題」「どっちへ」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「続ける」——作って動かす、その先
塔は、もう動いています。火を入れるのはアディラさんと見習いのニルス、焼けた石を替えるのは年かさの技師、役と刻を書きとめるのは書役。リナが毎朝そこに立たなくても、塔はひとりで回るようになりました。技師団長のヘルムさんは「塔は、もう技師団のものだ」「役を決めて、回す。それが続けるということだ」と告げます。作って動かすところまでが作り手の仕事で、いちばん長いのはそのあと——リナは前世でも、それをよく知っていました。動かしてからのほうが、ずっと長い。だれが代わっても回るように手順を紙に書き、ひとりで抱えこまない。わかっていたつもりで、いざ自分の持ち場が手を離れていくと、指の先がすこしさみしい。うれしさとさみしさが、ひとつの胸のなかにありました。
■「印が先に歩く」——残したものが、回っている
ひるすぎ、お父さんが宿に届いた便りを蔵へ運んできます。ハーラムの狼煙台を守るヤンさんからは、信号士の組がうまく回り、ダンとニコの下に若いのが三人ついた、という報せ。一字も読めなかったダンが、いまは教える側にいる。ヴェルメル家の用人からは、以前リナが組んだ置きかえの符牒を、いまも荷の知らせに使っているという固い礼。そして書役は、この演算塔にも「作り手の印」を結んでよいかをたずねます。だれが作り、どう使ってよいかを書きつけた小さなしるし——光の塔に結んだ覚書が、物を数える塔にも引かれていく。リナがそばにいない場所で、しるしだけが先へ歩いて、役を果たしている。たよりないようで、たしかなことでもありました。
■「時間の問題」——学院という、遠い灯り
帰りぎわ、ヘルムさんはもう一度リナを見ます。塔ではなく、リナを。「お前さんは、学院の出ではないな」。鐘時計師の娘で、地方の村の子で、魔力もなく、詠唱のひとつもできない。それでも、これだけのものを作った。「学院の出でない者が学院に呼ばれる。——時間の問題だな」。脅すでもおだてるでもなく、鉄の目方を量るのとおなじ調子で言い置かれたその言葉が、リナの胸のなかで、遠い小さな灯りになります。聞いたことはあるけれど、行ったことも見たこともない場所。それがいま、こちらへ向かって、ひとつ灯った気がしました。——まだ、使者も招待状も来ません。けれど、次の引力の影が、ここではじめて差します。
■「どっちへ」——帰る道と、知らない道
リナの足の先には、いま、ふたつの道があります。すすけた紙のにおいのする、あたたかくて、せまい村へ帰る道。そして、こわくて、まだ形さえ見えない、遠い灯りのほうへ向かう道。村へ帰りたい気持ちは、前の回からずっと胸にあります。けれど、知らない場所は、こわいのに、なぜか目がそらせない。どちらへも足が動かず、リナはまだ、なにひとつ決められませんでした。蔵では、かたかたと送り爪が布を噛みつづけています。リナが立っていなくても、塔はもうひとりで明日へ送られていく。その音を背に、あたたかい便りの束のむこうで、遠い灯りがひとつ、消えずにいました。この灯りが、これから少しずつ近づいてきます。
次の話もお楽しみに。




