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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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第179話 王都の視線

宿の机に、紅い蝋のにおいがたまっていた。


朝の光が窓から斜めに差して、封のひとつひとつを照らしている。

どれにも、紅い封蝋。

獅子をかたどった印が金の縁にかこまれていた。


ゆうべより、また数がふえている。


ひとつ手に取ると、蝋がほのかに甘くにおった。


村の手紙の、すすけた紙のにおいとはちがう。

重くて、つやつやしていて、よそよそしいにおいだった。


(——きのうの倍、ある)


机のはしから、封がいまにもこぼれそうだった。


おとといの夜から、ずっとこうだった。


謁見の間で、王さまにわたしの名が呼ばれた。

その日の夜には、はじめの一通がとどいていた。


あくる朝には、机のはしに、ちいさな山ができていた。


そして今朝、その山は、こぼれそうなほど高くなっている。


お父さんはその山の前にすわっていた。

ひとつずつ封を取って、中をあらためては、左と右にふり分けていく。


村で荷を仕分けるときと、おなじ手つきだった。

傷んだ荷を右へ、つかえる荷を左へ。

そうやって、迷いなく分けていく。


「ぜひ、当家にて」


お父さんがひとつの文面を読みあげた。


「後ろ盾に、と書いてある」


つぎの封をひらく。


「こっちは……お預かりしたい、だな」


そのつぎ。

お父さんの手がいちど止まった。


「……末は、当家の養女に」


紅い蝋の封が机のうえに置かれた。

ことり、とちいさな音がした。


(——養女)


教育を、と書いてある。

庇護を、後ろ盾を、家の名を。

ことばはどれもやさしいのに、読めば読むほど息がつまった。


みんな、わたしを欲しがっている。

村の名でも、お父さんの娘でもなく、ただ――。


(——塔を引いた頭、を)


胸のおくがしんと冷えた。


◇◇◇


膝のうえで、手のひらが冷たくなっていた。


村では、「リナ」と呼ばれれば、それでぜんぶだった。

転んで泣いた日も、芋を焦がした日も、ぜんぶこめて、母さんがそう呼んだ。


ここではちがう。

「リナ」は、奪い合う品物の名前だった。


前にも、こんなことがあった気がした。


使える者だと見こまれて、あちこちへ運ばれて。

運ばれた先で、すり減るまで使われて。

役に立つあいだだけ、だいじにされる。


(——駒だ)


盤のうえに置かれて、誰かの手で動かされる、ちいさな駒。

そう思ったとたん、背すじがすっと寒くなった。


頭のなかだけは、ずっと大人のままだった。


おかげで、この手つきの意味がよくわかる。

わかるから、よけいに十三の手のひらが冷たくなる。


指は、まだ短い。

炭をにぎるにも、おとなの半分ほどの長さしかなかった。


それなのに、頭のなかの計算だけはおとなのまま回っている。


ときどき、このちぐはぐがたまらなく心ぼそくなる。

身体は十三で、考えだけが置いてけぼりの大人。


◇◇◇


ひるすぎに、もう一通、別の封がとどいた。


獅子の印はない。

紅い蝋でもない。

すすけた、見おぼえのある町の紙だった。


「ベルマンさんからだ」


お父さんが封を切った。


ハーラム町の、商人ギルドの長。

わたしの珠盤を量産してくれた、あのおじさんだ。

口数のすくない、数字でしか物を言わない人。


文をのぞきこんで、わたしは目をみはった。


びっしりと、細かい字で埋まっていた。


恰幅のいい、あの大きな手からは思えないほど、ちいさな字。

帳簿の写しと取引の数がぎっしりと並んでいる。


数字でしか物を言わない人がこれだけの字を書いた。


「この娘を王都に囲えば」


お父さんがしまいの一行を読んだ。


「地方の網が、止まる。国の損になる」


数字がそう言っていた。

やさしい言葉はひとつもない。

ただ、帳簿の列がまっすぐにそう告げていた。


(——おじさんも、計算してる)


恰幅に似合わない、こまかい字の列。

それを見ていると、胸のおくがすこしだけほぐれた。

味方の数字だ、と思った。


それでも、と思いなおす。

おじさんが守りたいのも、たぶん、わたしじゃない。

町と村をつなぐ、あの荷の流れのほうだ。


それでも、その荷の流れのなかに村がふくまれている。

だからおじさんの数字は、すこしだけ村のにおいがした。


◇◇◇


そのあくる日、商業ギルド連合の一室に呼ばれた。


レオンハルトさんが卓のむこうにすわっていた。

王都に来た日、門で名指しで出迎えてくれた人。

五十をいくつか越えた、重たい声の人だ。


笑っているのか、いないのか。

その口もとは、いつもうまく読めなかった。


「招きの山は、見たかね」


レオンハルトさんが言った。


「はい」


「あれが、お嬢さんのいまの立ち場だ」


ゆっくりと、ことばを置く。


「王が名を呼んだ。国が働きを認めた。すると、こうなる」


卓のうえで、指を一本立てた。


「みな、お嬢さんを自分の家に置きたい。後ろ盾になりたい。養女にしたいという家まである」


(——うしろにあるもの)


「貴族は、箔がつくと思っている。だが、ほんとうに欲しいのは、お嬢さんじゃない」


レオンハルトさんの目がすっと細くなった。


「お前のうしろにあるものだ。塔。名前。それが連れてくる、金と力」


わかっていた。

わかっていたから、よけいになにも言えなかった。


「商人も、おなじか」


わたしはやっとそれだけ聞いた。


レオンハルトさんは、ふっと笑った。

やはり、読めない笑みだった。


「むろん、おなじだ」


かくさなかった。


かくさないところがこの人だった。

やさしい嘘より、正直な損得のほうがまだ息がしやすい。

そう感じる自分を、すこしおとなびて思った。


「ベルマンが書状を送ったろう。あれも、地方の網を守りたいからだ。網が止まれば、商いがしぼむ。お嬢さんは、その網のいちばん大きな結びめだ」


囲いたい人がいる。

帰したい家がいる。

そして、守りたい網がある。


みんな、それぞれの理由で、わたしのまわりに手をのばしていた。


手は、どれもあたたかそうに見えた。


けれど、のばされた手のひらのまんなかにいつも別のものがのっている。

塔だったり、数字だったり、家の名だったり。


わたしは、その手のうえにのるちいさな重しでしかなかった。


「この都では」


レオンハルトさんが声を低くした。


「誰も、お前を無償では守らん。私もだ」


息を、のんだ。


「それを承知で、盾の内側にいなさい。守るには、守るだけのわけがある。むき出しで歩くよりは、ましだ」


返すことばが見つからなかった。


レオンハルトさんは、わたしの顔をじっと見て、また笑った。


「顔に出ているぞ」


「……え」


「守られても嬉しくない、という顔だ」


図星だった。

盾の内側はあたたかい。

あたたかいぶん、外へ出られなくなるのを、身体が先に感じていた。


◇◇◇


帰りの廊下で、お父さんが横にならんだ。


レオンハルトさんも、ベルマンさんも、貴族たちも。

みんな、わたしの上に乗っているものを見ていた。

塔を。名前を。網を。


わたし自身を見ている人はひとりもいなかった。


そう思ったとき、お父さんの大きな手がぽんと頭にのった。


「難しい顔をするな」


低い、いつもの声だった。


「お前は、よくやってる」


塔のことも、数字のことも、お父さんは言わなかった。

ただ、十三のわたしの顔だけを見ていた。


胸のおくがつんとした。


塔をつくった子でも、王さまに名を呼ばれた子でもない。

お父さんの目にうつっているのは、ただの娘だった。


どうしてか、それだけのことが泣きたいほどうれしかった。


(——帰りたい)


村の、すすけた紙のにおい。

鐘の音のする工房。

誰も、わたしを駒とは呼ばない場所。


帰りたい、と思った。

けれど、それを口にはしなかった。


いま帰れば、塔も、網も、置きざりになる。

それくらいは、わかる年だった。


宿にもどると、机の封の山は、まだそこにあった。


お父さんは、ベルマンさんの書状を、てのひらで一度のばした。

それから写しを取って、わたしに手わたしてくれた。


数字の書状の写しを、わたしはぎゅっとにぎった。

細かい字の列が手のひらのなかでかさりと鳴る。


お父さんが紅い封の山に手をのばした。

傷んだ歯車を箱からのけるときと、おなじ手つきで。

獅子の印のひとつを、ひょいと左の山へ重ねた。


ことり、と紅い蝋が鳴った。


■あとがき・解説


第179話は、国王に認められたことの「裏側」が、さっそくリナに返ってくる回でした。王さまの口から名前が出た——それは誇らしいことのはずなのに、その翌々日から、宿の机には紅い封蝋の招きが山になって積み上がります。「ぜひ当家にて」「後ろ盾に」、しまいには「末は、当家の養女に」。みんなが、リナを欲しがる。けれど欲しがられているのは、リナ自身ではありませんでした。


今回は、認められたあとにやってくる「囲い込み」の気配を書きました。「紅い封蝋」「駒」「無償では守らん」「よくやってる」について、ゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「紅い封蝋」——囲い込みの招き


王都の貴族から届く招きには、紅い封蝋に獅子の紋章、金の縁。村のすすけた手紙とは、においも重さもまるでちがいます。文面のことばはどれもやさしいのに、読めば読むほど息がつまる。教育を、庇護を、後ろ盾を、家の名を——差し出されているように見えて、ほんとうは「囲い込まれて」いるのです。お父さんは、その山を村で荷を仕分けるときと同じ手つきで、左と右にふり分けていきます。傷んだ荷を右へ、つかえる荷を左へ。迷いのない手つきが、かえって都の手触りを際立たせます。


■「駒」——奪い合う対象になる、ということ


村で「リナ」と呼ばれれば、それでぜんぶでした。転んで泣いた日も、芋を焦がした日も、ぜんぶこめて呼ばれる名前。けれど王都の「リナ」は、「塔を引いた頭」——人ではなく、奪い合う品物の名前になっています。役に立つあいだだけ大事にされ、すり減るまで使われて、盤のうえで動かされる、ちいさな駒。十三の手のひらが膝の上で冷たくなるのに、頭のなかだけはずっと大人のまま回っていて、だからこそ、この手つきの意味がわかってしまう。そのちぐはぐが、いちばん心ぼそいところでした。


■「無償では守らん」——盾の内側


リナのまわりには、三つの引力が働いています。囲いたい人(貴族)、帰したい家(家族)、そして守りたい網(商業)。商人のベルマンさんは、数字でしか物を言わない人なのに、帳簿の写しをびっしり書いた書状で「この娘を王都に囲えば、地方の網が止まる=国の損だ」と示してくれます。ギルド連合のレオンハルトさんは、囲い込みの力学を噛み砕いてみせたうえで、こう言います。「この都では、誰もお前を無償では守らん。私もだ」。守ってくれる人にも、守るだけのわけがある。優しい嘘より正直な損得のほうが、まだ息がしやすい——そう感じる自分が、リナには少しだけ大人びて思えました。


■「よくやってる」——娘を見るひとり


塔を見る人。名前を見る人。網を見る人。みんな、リナの上に乗っているものを見ていて、リナ自身を見ている人は、ひとりもいませんでした。ただひとり、お父さんだけが、塔のことも数字のことも言わずに、十三のリナの顔だけを見て「難しい顔をするな。お前は、よくやってる」と頭に手を置きます。それだけのことが、どうしてか泣きたいほどうれしくて、胸の奥に「村に帰りたい」という芽がぽつんと灯ります。けれどリナは、それを口にはしませんでした。いま帰れば、塔も網も置きざりになる。それくらいは、わかる年なのです。数字の書状の写しをぎゅっとにぎったリナの手のひらで、細かい字の列がかさりと鳴りました。


次の話もお楽しみに。


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