第178話 国王への報告
石の床が靴の裏からつめたかった。
磨きあげられた床は、高い窓からの光をぼんやりと返している。
香のにおいが天井のあたりで、うすくただよっていた。
謁見の間は、村の聖堂よりもずっと広かった。
足音ひとつが奥のほうまで届いて、長く消えていく。
その響きの長さで、部屋の大きさが知れた。
両わきには、太い石の柱がいくつもならんでいた。
柱と柱のあいだに、衛兵が身じろぎもせずに立っている。
だれひとり、ことばを発しない。
その静けさがかえって耳に痛いほどだった。
村の朝の、鳥や水の音のある静けさとは、まるでちがう。
(——息が浅い)
頭のほうは、落ちついていた。
これは報せの場だ。手みやげのような長い話はいらない。いる言葉だけを、まっすぐ置けばいい。
そう分かっているのに、足が床に張りついて動かなかった。
十三の身体は、この広さにすっかり気おされていた。
隣には、テオドール様が立っていた。
ここまで連れてきてくれた人だ。
わたしの肩のあたりに、そっと手を添えてくれている。
重い扉のむこうには、お父さんがいた。
平民は、この部屋には入れない。
だからお父さんは、閉じた扉のそとで待っている。
さっき別れぎわに、わたしの背を一度だけ、ぽんと叩いてくれた。
その手のあたたかさだけを、いまも背なかに覚えていた。
◇◇◇
奥の一段高いところに、その人は座っていた。
派手な冠も、きらきらした飾りもない。
濃い色の、地味な上着。
鬢には、白いものがまじっていた。
(——あの人が)
国王、ヴァルディオン三世。
この国でいちばん上に立つ人だと、聞かされていた。
そう聞いていたのに、思っていたよりもずっと静かな顔をしている。
テオドール様が一歩前へ出て、姿勢をただした。
「陛下。お連れいたしました」
低く、よく通る声だった。
「グレンフィールド村の鐘時計師、アルベルトの娘。リナにございます」
その名が高い天井のほうへ、ゆっくりとのぼっていった。
(——お父さんの仕事の名前だ)
鐘時計師、アルベルトの娘。
わたしの名は、お父さんの生業といっしょに呼ばれた。
村のちいさな工房の名がいま、王さまの部屋にのぼっている。
胸のおくがすこしあつくなった。
王の少し下手には、ヘルム様が立っていた。
塔のことを、国に対してまるごと引き受けている人だ。
責めを負うのは、ヘルム様。
図を引いたのは、わたし。
その役の分かれめは、もう何度も言いふくめられていた。
だからわたしは、ただ図を引いた者として、ここに立っていればよかった。
◇◇◇
王がこちらへ目を向けた。
塔のことでも、図のことでもない。
その前に立っているわたしのほうを、まっすぐ見ていた。
(——人を、見てる)
道の通りぐあいを見るグランツ様とは、目のつかいかたがちがう。
この人は、ものよりも先に、人を見る。
そう感じた。
「あの仕組みを」
みじかい声だった。
「どこで思いついた」
部屋がしんと静まった。
胸の底で、いくつもの言葉が一度に立ちあがった。
前世のこと。魔法のなかみが読める眼のこと。文字の底をたどる陣のこと。
どれも、口には出せない。
ここでひとつでも口にすれば、わたしはもう、ただの鐘時計師の娘ではいられなくなる。
(——見える言葉だけ)
そう、自分に言いきかせた。
喉のおくがからからに渇いていた。
膝のうらがこまかくふるえている。
それでも、出してよい言葉だけを、ひとつずつえらんだ。
「……村で、鐘を順に鳴らす仕掛けを、見ておりました」
声がすこし、ふるえた。
「ひとつ鳴ると、つぎが鳴る。決まった順に、鐘が鳴っていきます。あれをずっと見ていて」
王は口をはさまず、ただ聞いていた。
「正しいかどうかを、人ではなく、仕掛けのほうに確かめさせれば」
「とちゅうで間違えずに、最後まで届くのではないかと、思ったのです」
ほんとうの底は、ぜんぶ呑みこんだ。
それでも、嘘は言っていない。
村の鐘も、確かめる仕掛けも、たしかにこの目で見てきたものだった。
いちばん大事なところだけは、舌の裏にしまってある。
それは、だれにも渡せないものだった。
王は、しばらく黙っていた。
それから、ひとつだけうなずいた。
「鐘の音、か」
低い声だった。
「よう見ておった」
(——気づいてる)
指の先が、つめたくなった。
この人は、わたしが何かを呑みこんだことに、たぶん気づいている。
それでも、踏みこんでこなかった。
見えているところで、静かに立ちどまった。
◇◇◇
「リナ」
王がわたしの名を呼んだ。
「そなたの働きを、国として認める」
みじかい言葉だった。
官位をやる、とも。
褒美をとらせる、とも言わなかった。
ただ、認める、と言った。
(——認める、だけ)
塔を国じゅうで使う、という話ではなかった。
それを決めるのは、この部屋にはいない大勢の人たちだ。
貴族や、ギルドや、宮廷の人たち。
王ひとりの言葉で、何もかもが決まるわけではない。
それでも、「認める」の三文字は重かった。
紙だけが先にこの都を歩いていた。
十一の娘が示した筋道、という評判だけがわたしよりも先に王都へ着いていた。
その評判がいま、本人に追いついた。
王の口から、わたしの名が出た。
お父さんの生業の名といっしょに、国に名指しで認められた。
胸のおくがまた熱くなった。
村も、お父さんの工房も、ここまで届いたのだと思った。
鐘の音のする、あのちいさな工房。
油と鉄のにおいのする、お父さんの仕事場。
その名前がいま、王さまの口にのぼっていた。
——でも。
その熱のすぐ裏で、つめたいものがひとすじ流れた。
名指しで認められた、ということは。
名指しで、探せる娘になった、ということでもあった。
これまでは、紙だけが歩いていた。
これからは、顔のついたわたし一人を、たくさんの人が探せるようになる。
誇らしさと、そのつめたさが同じ胸のなかでうまく分かれてくれなかった。
どちらかひとつなら、楽だった。
うれしいだけ、か。こわいだけ、か。
そのどちらでもなく、ふたつは背中あわせのまま、胸に居すわっていた。
◇◇◇
部屋のはしに、もう一人いた。
杖をついた、年かさの人。
グランツ卿だった。
塔を壊そうとして、最後の最後に上申を引いた人だ。
きょうは、ただ列席しているだけだった。
ひとことも、わたしには話しかけてこない。
それでも、その人の横顔を見たとたん。
――世界の読み取りの層が揺らがねば、よいが。
塔が動いたあと、去りぎわにこぼした、あの独りごとがよみがえった。
背なかを、つめたいものが一度だけ走った。
(——なんでもない)
そう思おうとした。
グランツ卿は、こちらを見てもいない。
胸の底にひっかかったその一言を、わたしはそっと押しこめた。
いまは、口を閉じているしかなかった。
◇◇◇
謁見が終わると、テオドール様にうながされて、わたしは部屋を出た。
重い扉がうしろでゆっくりと閉まる。
ごと、と低い音がした。
廊下には、昼の光がさしていた。
高い窓から、白い光がまっすぐに落ちている。
謁見の間の、うすぐらい香のにおいとはちがう、かわいた明るさだった。
その光を浴びて、やっと肩から力がぬけた。
張りつめていた背すじがすこしだけゆるむ。
扉のわきに、お父さんが立っていた。
何があったのか、お父さんは何も聞かなかった。
わたしの顔をひとめ見て、ただ一度だけうなずく。
それだけで、よかった。
胸にかかえた帳面の角が手のひらに食いこんでいた。
気づくと、にぎった手がじっとりと汗ばんでいる。
王さまの前では、こわばって冷えきっていた手だった。
認められた。
それは、たしかにうれしいことだった。
うれしいのに、背なかのつめたさだけは、いつまでも消えてくれない。
胸の帳面を両うでですこし強くかかえなおす。
革靴の底が石の床をこつこつと打つ。
その音だけが長い廊下のさきへ、まっすぐにのびていった。
■あとがき・解説
第178話は、リナが国王ヴァルディオン三世に引き合わされる回でした。塔が動き、廃棄を免れ、家族へ第一報を送り——そこまで来てようやく、国が「グレンフィールド村の鐘時計師の娘」を正式に認めます。派手な栄誉の回ではありません。官位ももらわず、褒美ももらわず、塔が国じゅうで使われると決まったわけでもない。ただ「認める」と言われる。それだけの回です。
けれどリナにとって、この「それだけ」はとても大きく、そして少しだけこわいものでした。今回は「人を見る眼」「見える言葉だけ」「認める、だけ」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「人を見る眼」——国王ヴァルディオン三世
この国でいちばん上に立つ人が、はじめて本人として登場します。派手な冠も飾りもなく、濃い色の地味な上着、鬢には白いもの。思っていたよりずっと静かな顔をした人です。立憲君主なので、王の一存で何もかもが決まるわけではありません。塔を国じゅうで使うかどうかを決めるのは、この部屋にいない貴族やギルドや宮廷の人たち——それは、もっと先の話です。
この王の特徴は「人を見る眼」です。塔を壊そうとしたグランツ卿が「道(理)」を見る人だとすれば、王は、その前に立っている人そのものを見ます。だから問いも短い。「あの仕組みを、どこで思いついた」。たったそれだけで、リナはいちばん答えにくいところを突かれます。
■「見える言葉だけ」——呑みこんだ底
王の短い問いに、リナの胸の底ではいくつもの言葉が一度に立ちあがります。前世のこと。物のなかみが見える眼のこと。文字の底をたどる陣のこと。どれも、口には出せません。ひとつでも明かせば、リナはもう、ただの鐘時計師の娘ではいられなくなる。
だからリナは「見える言葉だけ」で答えます。村で鐘を順に鳴らす仕掛けを見ていたこと。正しいかどうかを、人ではなく仕掛けのほうに確かめさせれば、間違えずに最後まで届くと思ったこと。嘘は言っていません。村の鐘も、確かめる仕掛けも、たしかにこの目で見てきたものです。けれど、いちばん大事なところだけは、舌の裏にしまいました。
おもしろいのは、王がそれに気づくところです。「鐘の音、か。よう見ておった」。この人は、リナが何かを呑みこんだことに、たぶん気づいている。それでも踏みこんでこない。見えているところで、静かに立ちどまる。問いつめないことが、いちばんの威厳でした。
■「認める、だけ」——誇らしさと、うすい寒さ
王は「そなたの働きを、国として認める」と告げます。官位もない、褒美もない、全面採用でもない。けれど「認める」の三文字は重い。これまでは、リナの名と評判だけが、本人より先に王都を歩いていました。その評判が、いまやっと本人に追いつきます。お父さんの生業の名といっしょに、村の小さな工房の名が、王さまの口にのぼる。誇らしさで胸の奥が熱くなります。
ところが、その熱のすぐ裏で、つめたいものがひとすじ流れます。名指しで認められたということは、名指しで探せる娘になったということでもある。誇らしさとそのつめたさが、同じ胸のなかでうまく分かれてくれない——この「分かれてくれなさ」が、この先しばらくリナについて回ります。部屋のはしに黙って座っていたグランツ卿の、あの去りぎわの独りごとも、ふいに背なかをよぎります。認められた帰り道、リナの手のひらは、うれしいのにじっとり汗ばんでいました。
次の話もお楽しみに。




