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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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第177話 家族への第一報

板戸のすきまから、朝のひかりが細く差していた。


しずかな部屋に、墨をする音がひとつ。

机に広げた白い紙がその光をうすく返していた。


(——今日は、送ろう)


きのうの朝、村への線の灯りの前で芽生えた思い。

土の下へそっと戻した、あの芽だ。


もう、待たなくていい。

そう決めて、宿の机に向かっていた。


筆を持つと、書きたいことがいちどに胸へあふれてきた。


塔のこと。

壊されかけたこと。

グランツ卿が現場まで来て、上申を引いたこと。


書きたいことは、いくらでもあった。


でも、と筆を止める。


これは、お母さんたちへの手紙だ。

むずかしい話は、いらない。


お母さんが知りたいのは、もっと小さなことのはずだ。

ぶじでいるか。

ちゃんと食べているか。

たぶん、それだけ。


前世のわたしは、長い覚え書きを短く削るのが得意だった。

たくさんの言葉から、いちばん大事な一行だけを残す。

その手つきを、指がまだ覚えている。


机がすこし高い。

背をのばして、やっと紙のまんなかに手がとどいた。


筆の先で、紙に一行ずつ書きつけていく。


「塔が、動きました」

「壊されずに、残りました」

「わたしは元気です」


それだけ。


たった三行の紙を、しばらく見つめていた。

むずかしいことは、ひとつも書かなかった。

それでも、いちばん伝えたいことはぜんぶここにある気がした。


紙を膝におろして、ひと息ついた。


ふいに村の食卓が目にうかんだ。

夕方の黒パンのにおい。

湯気の立つ、麦の粥。


お母さんがこの紙をひらくところを思いうかべた。

横からノラがのぞきこむ。

その絵がすっと胸におりてきた。


たった三行の紙。

それでも村まで届けば、ちゃんと一日ぶんの話になった。


◇◇◇


戸口から、足音が近づいてきた。


父が入ってきて、わたしの書いた三行を肩ごしにのぞきこむ。


何も言わない。

ただ、手をのばして筆を受け取った。


紙のいちばん下に、ゆっくりと太い字を足していく。


「ぶじだ。リナもよくやっている。――父」


父の字は、いつも短い。

鐘時計の歯車をひとつ直すみたいに、いる言葉だけを置いていく。


書き終えると、紙の端を指でとんと押さえた。


「これで、いい」


低い声だった。


その一文字の「父」を見ていると、目のおくがあつくなった。


◇◇◇


紙を折って、封蝋を垂らした。


赤い蝋に、親指で印を押す。

押さえたふちがまだほんのり熱かった。


(——前世なら、こんなのは一瞬で送れた)


遠くの相手へ、指先ひとつで言葉を飛ばせた。

今は、紙を折って、蝋でとめて、馬に三日揺られてもらう。


それでも、この紙はちゃんと村まで歩いていく。


宿の主人が荷馬車の出る刻を教えてくれた。


「ハーラムまでなら、三日で届きまさあ」


今日、ベルマンさんの荷が王都を発つという。

王都からハーラム町まで、荷馬車で三日の道のり。

町に着けば、ベルマンさんの店から村へ回してもらえる。


王都には、まだ光の道が来ていない。

だから、ここからの報せは、馬の足で運ぶしかない。


紙と、車輪と、人の足。

昔ながらの、いちばん確かなやり方だ。


ただ、最後のひと区切りだけはちがう。


町から村までの道には、わたしが組んだ光の線がある。

丘の塔から塔へ、短い灯りと長い灯りで言葉を渡す道。


「塔が動いた」――それくらいの短い報せなら。

町に着いたその日のうちに、灯りにのせて村まで運べる。


紙の足で、三日。

そこから先は、ひかりの足で。


二本の足で歩いていく報せを、荷馬車の幌の下へそっと預けた。


幌のすきまから、荷の縄が見えた。

わたしの手紙は、その隅にまぎれていた。


御者が手綱を鳴らすと、車輪がゆっくりまわりはじめた。


がらり、がらり。


石畳の上を、荷馬車が遠ざかっていった。


三日のあいだ、この紙は誰の手も借りずにひとりで旅をするのだ。

それを思うと、すこし心ぼそかった。

けれど、待つのも伝えることのうちだった。


◇◇◇


それから、十日あまりが過ぎた。


萌の月に入って、王都の朝はすこしぬるくなっていた。


宿の戸を、誰かが叩いた。

ベルマンさんの使いだった。


「グレンフィールドからの便りです」


差し出された紙を受け取ると、土と藁のにおいがした。


手のなかで、紙はすこし湿っている。

長い道を揺られてきた手紙だった。


封を切ると、二枚の紙が出てきた。


一枚は、お母さんの字。

もう一枚は、小さな、たどたどしい字。


お母さんの字は、いつもより力がこもっていた。


「塔のことは、お父さんの便りで聞きました」

「でも、お母さんが心配なのは、そっちじゃないの」

「リナの手は、だいじょうぶ? あかぎれは、してないかい」


(——お母さんは、塔のことより、わたしの手なんだ)


塔が動いたことより。

壊されずにすんだことより。

お母さんはただわたしの指のあかぎれを案じていた。


おかしくて、それから、すこし泣きそうになった。


お母さんは、わたしが王都でしていることをよく分かっていない。

塔がなんなのかも、きっと。


それでも娘の手のあかぎれだけは、まっすぐ案じてくれた。


村にいたころと、なにも変わらなかった。

その変わらなさがいちばんありがたかった。


◇◇◇


もう一枚を、ひらく。


ノラの字は、まだ大きさがそろっていない。

墨の濃いところと、かすれたところがまざっている。


「とうがうごいたって、ひかりできいたよ」


(——届いてる)


わたしが組んだ村の線が「塔が動いた」をちゃんと運んでいた。

顔も知らない誰かの手から、丘の塔をわたって、ノラのところまで。


そのことがしずかにうれしかった。


ノラの字は、その下にもう一行つづいていた。


「おにいちゃんだけに つたえたいことは、ひかりじゃおくれないの」


ノラは、ヨハン兄さんにだけ伝えたいことがあるらしい。

でも、それは光では送れない。


丘の塔から塔へわたる灯りは、道のとちゅうのだれにでも読める。

短い灯りと、長い灯り。

読み方さえ知っていれば、誰の目にもおなじ言葉が見える。


だから、ノラの「おにいちゃんだけ」は、その灯りにはのせられない。

みんなに見える道に、ひとりだけの言葉は置けないのだ。


◇◇◇


筆を置いて、しばらく考えた。


今この世界で、言葉を遠くへ送る道は二本ある。


ひとつは、光。

速くて、みんなに届く。

だれもが読める、ひらいた道。


もうひとつは、封。

蝋でとじて、人の手で運ぶ。

ひらいた跡が残るから、ひとりにだけそっと渡せる。


(——読ませたい言葉は、光)

(——読ませたくない言葉は、封)


公にしていい報せは、光で。

ひとりに届けたい言葉は、封で。


今のわたしに作れるのは、そこまでだった。


ほんとうは、もうひとつ、ほしい道がある。


みんなには読まれず、決めた相手にだけ灯る光。

ノラの「おにいちゃんだけ」を、光の速さで届けられる道。


(——それも、まだ作り方がわからない)


それを起こす陣も、まだ思いつかない。


前世でも、こんな道は見たことがなかった。

みんなに開いていて、それでいてひとりだけに閉じていた。

そんな都合のいい光は、すぐには浮かんでこなかった。


それでもノラの「おにいちゃんだけ」を思うと、ほしいと思った。


いつかの、宿題だ。

今日のところは、まだ手がとどかない。


◇◇◇


二枚の手紙を、ていねいに畳んだ。


お母さんの、力のこもった字。

ノラの、まだそろわない字。


畳んだ紙のはしに、封蝋の跡が残っていた。

赤い蝋の、すこし欠けたふち。


親指で押すと、ぱり、と小さく欠けた。


(——今は、これでいい)


光と、封。

足りない一本は、いつか、自分の手で。


二本の道で、村と王都はつながっていた。

細くて、たよりない二本。

それでも今日、たしかに言葉が行き来した。


塔のことは、もう村に届いた。

お母さんの心配も、ノラの「おにいちゃんだけ」も、ここに届いた。


それで、足りていた。


欠けた蝋のかけらを、手のひらのなかでそっとにぎりしめた。


窓の外を、荷馬車が石畳をきしませて通りすぎていく。

馬の足で運ぶ、いちばん古いやり方。

その荷のどこかに、わたしの言葉も乗っている。


■あとがき・解説


第177話は、塔が動いた——その報せを、王都から村の家族へ送る回でした。大きな出来事は起きません。手紙を一通書いて、送って、十日あまり待って、返事を受け取る。それだけの回です。けれどリナにとっては、塔の成功が「みんなの仕事」から「家族の話」になる、小さくて大事な一区切りでした。


塔のこと、グランツ様のこと、廃棄の沙汰のこと——書きたいことは山ほどあります。でもリナは、お母さんたちへの手紙からそれを全部そぎ落として、たった三行にしました。むずかしい話はいらない。お母さんが知りたいのは、ぶじでいるか、ちゃんと食べているか、たぶんそれだけだから。


今回は「第一報」「二本の足」「読ませたい言葉は光、読ませたくない言葉は封」について、ゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「第一報」——三行に、削る


リナが村へ送ったのは、たった三行です。「塔が、動きました」「壊されずに、残りました」「わたしは元気です」。前世のリナは、長い覚え書きからいちばん大事な一行だけを残すのが得意でした。その手つきが、いまも指に残っています。


そこへ父が、短い一筆を足します。「ぶじだ。リナもよくやっている。――父」。鐘時計の歯車をひとつ直すみたいに、いる言葉だけを置いていく。寡黙な父らしい、たった三文字の「父」。それを見たとき、リナの目のおくがあつくなりました。立派な報告書よりも、この三行のほうが、ずっと遠くまで届く気がします。


■「二本の足」——紙の道と、光の道


ひとつ、この作品の通信のしくみで大事なところがあります。王都には、まだリナの光の道(信号塔の網)が通っていません。だから王都からの報せは、ベルマンさんの荷馬車に乗って、紙のまま三日かけてハーラム町まで運ばれます。昔ながらの、いちばん確かなやり方です。


けれど、町から村までの最後のひと区切りだけは違います。そこにはリナが村で組んだ光の線がある。だから「塔が動いた」くらいの短い報せなら、町に着いたその日のうちに、灯りにのせて村まで運べます。ノラの返事「とうがうごいたって、ひかりできいたよ」は、その裏取りです。紙の足で三日、そこから先はひかりの足で。報せは、二本の足で村まで歩いていきました。


■「読ませたい言葉は光、読ませたくない言葉は封」——ノラの「おにいちゃんだけ」


返事には、母エマの手紙とノラの手紙が入っていました。お母さんが心配したのは、塔のことではなく、リナの手のあかぎれです。村にいたころと、なにも変わらない。その変わらなさが、いちばんありがたいのでした。


そしてノラが、もう一行書いています。「おにいちゃんだけに つたえたいことは、ひかりじゃおくれないの」。丘の塔から塔へわたる灯りは、道のとちゅうのだれにでも読めてしまう。だから「おにいちゃんだけ」の言葉は、その光にはのせられません。


ここでリナは、いまの世界の通信を二本に整理します。読ませたい言葉は、光で。みんなに速く届く、ひらいた道。読ませたくない言葉は、封で。蝋でとじて、ひとりにだけそっと手で運ぶ道。みんなに開いていて、それでいてひとりだけに閉じている光——そんな都合のいい道は、いまのリナにはまだ作れません。それを起こす陣も、まだ思いつかない。これは、いつかの宿題として、リナの胸の奥にしまわれます。


次の話もお楽しみに。


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