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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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第169話 異質な設計図

武具蔵の隅に、紙のにおいが増えていた。

石と土のにおいの底に、古い紙の乾いた匂いが薄く混じる。

高い窓から、朝の光が斜めに落ちていた。


あの評定から、三日が経った。


(——人が、減った)


塔は、今日も火が落ちたままだった。

火を入れる人たちの半分は、まだ宮中に残されている。

ヘルムも、アディラも、冷えた壁の向こうで言葉を継いでいるはずだった。


わたしの手では、石ひとつ灯らない。

だから火のない日は、図面と段取りを組み直すことに使う。


棚の数を数える。配線の道を、指で辿る。

どの石をいつ替えるか、紙の上で順を組んでいく。

火が入らなくても、できることはまだあった。


父が、わたしの広げた紙の端をそっと押さえた。

風で角がめくれないように。それだけの所作だ。

めくれた角を指で伸ばすと、父はまた道具のほうへ戻っていった。


蔵は、静かだった。

三日前まで、もっと多くの足音がしていた気がする。


◇◇◇


昼前に、図面を写す若い技師が、書庫から戻ってきた。


腕に、古い図面の束を抱えている。

建造の参考にとヘルムが許しを出して、借りてきたものらしい。

革紐で綴じた、ずいぶん古い紙の束だった。


「これ、昔、信号の塔を直したときの図面だそうです」


若い技師はわたしの設計の隣に、その一枚を広げた。


紙の端が、茶色く焼けている。

描いた線は薄れて、ところどころ消えかけていた。

引かれた道筋は、読めた。


(——この図面)


知っている、と思った。


いつか村で、テオドールさんが見せてくれた古い図面。

あれの、写しのもとになった一枚だ。

あのときは写しを見た。いまは、もとの紙が目の前にある。


茶色く焼けた線の上に、見覚えのある分け方があった。

入口で、まず形をたしかめる。

中身を運ぶ道と、それを動かす道を、別々に引いてある。

直すところと、確かめるところを、わざと離してある。


若い技師は二枚の紙を見比べていた。

わたしの設計と、古い図面と。


「……似てますね」


何気ない声だった。


「この設計、書庫の古い図面に似てます。中身と道具を分けるところ。確かめてから先へ進むところ。順番の組み方が、同じ手つきだ」


筆を耳にはさんだまま、若い技師はもう一度、二枚を見比べた。


「昔の人も、同じことを考えてたんですかね」


そう言って、首をかしげる。

それ以上の意味は、その人の中にはなかった。

二枚の紙が似ている。その人には、それだけのことだった。


◇◇◇


わたしは返事ができなかった。

口の中で言葉がからまって、出てこない。


(——同じ手つき)


若い技師にとっては、何気ない一言だ。

けれどわたしには、それが初めてではなかった。


いつか村で、この図面の写しを見たときから、ずっと引っかかっていた。

入口で形をたしかめ、中身と道具を分け、確かめてから先へ進む。

それは、わたしが息をするように選ぶ順番だった。

前世から、ずっとそうしてきた。誰に教わったわけでもない。


そのあとも、同じ手つきに二度出会った。

押収された暗号文の癖。あれは言葉を守ろうとした人の形ではなく、仕組みを組んだ人の形だった。外から来た設計だ、と思った。

それから、神殿が漏らした話。古い字を書き込んだ紙が一枚、束に交じっていたという。その字を読める、もしかしたら書ける誰か。


そのたびに、わたしは思ってきた。

わたしのほかにも、いるのかもしれない、と。


いま、何も知らない若い技師が、二枚の紙を並べて言った。

同じ手つきだ、と。


わたしの思い過ごしでは、なかったらしい。


◇◇◇


世界をこう読む者は、わたしひとりではなかった。


そう思うと、胸が少しだけ温かくなった。


ここしばらく、わたしはひとりだった。

正しいと言えることが、いちばん軽い部屋。だれもわたしの側に立たない卓。

そのなかで、どこかに同じ順番で考える誰かがいる。

それは、かじかんだ手に火を寄せてもらったような温かさだった。


すぐに、別のものが背を撫でた。


(——だれ、なんだろう)


その誰かが、いつの人なのか。

味方なのか、そうでないのか。生きているのか、もういないのか。

何ひとつ、分からなかった。


それに、と思う。

わたしと同じ順番で考える者がいるなら。

わたしの異質さに、いちばん早く気づくのも、その者かもしれない。


見つけられすぎることの怖さ。

村を出てからずっと背中にあったその感覚が、宮中の冷えと重なって、急に近くなった。


ふと、村の老人が話していた古い言い伝えがよぎった。

遠い昔、世界をだれよりも深く読んだ眼の持ち主が、世界の外へ消えたという話。


——いや。

それは、ちがう。

わたしは頭を振って、それを払った。

いまは、そんな遠い話を抱えるときではない。


◇◇◇


古い図面の束は、若い技師が棚に立てかけて、また自分の写し仕事へ戻っていった。

似ていると言ったことを、もう忘れているような背中だった。


その一枚が、わたしの設計の隣に立てかけられたまま残った。


(——見たい)


ほんとうは、いますぐ書庫へ行きたかった。

この図面の、もとの束。作者の名を記していない、台帳の空いた欄。

神々の古い字を書き込んだ、一枚の紙。

それが、歩いて行けるところに眠っている。


棚に立てかけられた束は、わたしの背では爪先立ってやっと端が届く高さにあった。

中身は遠い昔のままなのに、手を伸ばす身体は、まだ十三の子供のものだった。


でも、いまではなかった。


塔には、まだ手がいる。火の入らない日にも、組み直すことが山ほどある。

そのうえ、宮中の風は冷たくなる一方だ。人も銭も、名のあるほうへ流れていく。

わたしが書庫にこもって古い紙を眺めていたら、それこそ玩具に夢中の子供だと書かれてしまう。


見たい。けれど、いまはその時ではない。


わたしはその問いを、そっと呑み込んだ。

だれにも言わなかった。若い技師にも、父にも。


◇◇◇


父が、いつのまにか隣に来ていた。


立てかけた古い図面を、しばらく黙って見ている。

それから焼けた紙の端に、そっと指を触れた。

古い時計の蓋を開けるときの、あの手つきだった。


「ずいぶん、古い手だな」


低い声だった。


「描いた者は、もういないかもしれん。会うことも、かなわんだろう」


父は薄れた線を指でたどった。


「だがな、リナ。手は、物に残る」


わたしは顔を上げた。


「時計を直すとき、作った者には会わん。会わずとも、直せる。歯の数、ばねの巻き、止め金の癖。物を見れば、その者の手が分かる。会えんでも、手は分かるんだ」


父はわたしの設計の紙を軽く指で叩いた。


「お前の引いたこの線にも、お前の手が残る。お前が会わん誰かが、いつか、これを見るかもしれん」


そう言って、父はまた道具のほうへ戻っていった。

言いたいことを言い切った、という背中だった。


◇◇◇


わたしは二枚の紙を並べて見た。


茶色く焼けた、古い図面。

墨のまだ新しい、わたしの設計。


引いた手は、遠く離れている。

時も、場所も、たぶん何もかも違う。

それでも、入口で形をたしかめ、中身と道具を分け、確かめてから先へ進む——その順番だけが、二枚の紙の上で同じ形をしていた。


会ったことのない誰かの手が、いま、わたしの紙の隣に並んでいる。


わたしは古い図面の、焼けた端をそっと伸ばした。

めくれないように。さっき父が、わたしの紙にしてくれたのと、同じ手つきで。


二枚の紙は、しばらく、並んだまま蔵の隅にあった。


■あとがき・解説


第169話は、技師団の若手が書庫から借りてきた古い図面を見て、何気なく「似ていますね」と漏らす——リナだけが気づく、二度目の影の回でした。


今回は「同じ手つき」「ひとりではなかった」「手は、物に残る」について、ゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「同じ手つき」——リナだけが気づく符合


若い技師は、リナの設計と古い図面(テオドールが村で見せた写しの、もとの一枚)を並べて言います。「順番の組み方が、同じ手つきだ」「昔の人も、同じことを考えてたんですかね」。


その人にとっては、ただ二枚の紙が似ている、それだけのこと。けれどリナには初めてではありませんでした。入口で形をたしかめ、中身と道具を分け、確かめてから先へ進む——それは、リナが息をするように選ぶ順番。誰に教わったわけでもない。そして、押収された暗号文の癖にも、神殿が漏らした古い字にも、同じ手つきの影があった。三度目の符合が、何も知らない若手の一言で、はっきり形になります。


■「ひとりではなかった」——温かさと、怖さ


「世界をこう読む者は、わたしひとりではなかった」。そう思うと、胸が少しだけ温かくなる。正しさがいちばん軽い部屋で、誰も側に立たない卓で孤立していたリナにとって、それはかじかんだ手に火を寄せてもらったような温かさでした。


けれど、すぐに別のものが背を撫でます。その誰かが、いつの人か。味方か、そうでないか。生きているのか、もういないのか。何も分からない。そして——自分と同じ順番で考える者がいるなら、自分の異質さに最初に気づくのも、その者かもしれない。見つけられすぎることの怖さが、宮中の冷えと重なって近づく。原本は歩いて行ける書庫に眠っているのに、塔と圧力で動けない。「見たい。けれど、いまはその時ではない」——リナはその問いを、そっと呑み込みます。


■「手は、物に残る」——会えなくても


父が、焼けた古い図面の端に、時計の蓋を開けるときの手つきで触れます。「描いた者は、もういないかもしれん。会うことも、かなわんだろう。だがな、リナ。手は、物に残る」。


時計を直すとき、作った者には会わない。会わずとも、歯の数、ばねの巻き、止め金の癖——物を見れば、その者の手が分かる。「お前の引いたこの線にも、お前の手が残る。お前が会わん誰かが、いつか、これを見るかもしれん」。会ったことのない誰かの手が、いまリナの紙の隣に並んでいる。リナは古い図面の焼けた端を、さっき父が自分の紙にしてくれたのと同じ手つきで、そっと伸ばしました。二枚の紙は、しばらく並んだまま蔵の隅にある。会えない誰かへ伸びる細い糸の気配だけを残して、閉じています(この影が何者なのかは、まだ先で)。


次の話もお楽しみに。


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