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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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168/211

第168話 反対の圧力

暁の月の朝は、まだ薄い。

武具蔵の高い窓から、青い光が斜めに落ちていた。

石のにおいに、土のにおいが薄く混じりはじめている。


昨日、塔は答えを返した。

正しいものを正しいと、崩れたものを崩れていると。

その手ごたえが、まだわたしの指に残っていた。


(——もう一度だけ見たい)


アディラが、朝のうちに塔へ火を入れてくれていた。

わたしには石ひとつ灯せない。だから、布を送る役だけをもらう。


穿孔布を、頭から送った。

かり、かり。

送り爪が布を繰り、読み取りの目が穴を拾う。


較べる石が数える。

覚える石が、形をつき合わせる。

出口の端の灯りが、ぽつりと点った。


正しい、と。


次に、わざと一つ抜いた布を通した。

端の灯りが、違う場所に点る。


正しくない、と。


昨日と、寸分も違わなかった。


(——ちゃんと見分けている)


一日おいても、石は忘れていない。

教えられた手順を、律儀になぞっている。

わたしはその律儀さがすこし好きだった。


◇◇◇


戸が、肩で押されもせずに静かに開いた。


灰色の衣の役人だった。

昨日、玩具と書いて帰った人ではない。けれど、同じ灰色だった。


「技師団の、リナ殿」


呼ばれ方が、ていねいすぎた。


「宮中で、お話がございます。お越しを」


ヘルムが、秤の手を止めた。

父は送りかけの布をそっと押さえた。


役人は塔を見なかった。

灯った列も、温かい石も、何も見ない。

ただわたしの背の高さのあたりに目を置いて、戸口で待っている。


(——昨日、動いたのに)


動いたから、呼ばれた。

そう思ってしまってから、それが甘い考えだと気づいた。


◇◇◇


宮殿の一室は広く、冷えていた。


香の匂いが、また薄く漂っている。

長い卓の向こうに藍や濃紫の長衣が並んでいた。

宮廷で魔導を見る人たち。数えると、七人。


そのいちばん奥に、白髪の老人がいた。


とん、と。

黒い杖の石突きが、床を一度打った。


「また、会うたな」


ドミニク・グランツ卿だった。

わたしは頭を下げた。声が、すぐには出なかった。


グランツは卓に、一枚の帳面を置いた。

昨日、灰色の役人が書いて帰った帳面だ。


「玩具が、ひとつ動いた。そう聞いた」


杖の先が、帳面を軽く撫でた。


「足し算をして、正しいの正しくないのと、灯りで返すそうだな」


「……はい」


「人の手を、借りずに」


「はい」


老人はゆっくり頷いた。

それから、わたしを見た。背の低さを確かめる目では、もうなかった。


「ならば、なおさら、ならん」


◇◇◇


わたしは顔を上げた。


「動かぬものなら、玩具と笑っていればよかった」


グランツの声は、低いままだった。


「だが、それは動いた。人の手を借りず、正しい正しくないを選り分けた。——だから、危うい」


藍の袖が、卓の帳面のほうを指した。


「考えられぬものが、考える真似をするだけなら。気にもかけぬ。だが、ほんとうに選り分けてしまうなら、話は別だ」


杖が、また床に下りた。

とん。


「世界の理を、人ならぬものが握る。その始まりを、わたしは今日、この帳面に見た」


部屋が、しんとした。

七人の長衣は、誰も動かない。


わたしはいつのまにか炭を握っていた。

ここでは、その炭で書けるものは何もない。それでも、指が放さなかった。


(——ちがう、と言いたい)


塔は、理を握ってなどいない。

わたしが数え、わたしが組んだ手順を、ただなぞっているだけだ。

握っているのは人だ。わたしだ。


そう言いかけて、止めた。

握っているのが魔力のない子供の手だと言えば。

この人たちは、もっと、ならんと言う。


◇◇◇


それでも、わたしは口を開いた。


「あの塔は、間違えません」


声が、掠れた。


「正しい符号を正しいと言います。崩れた符号は、崩れていると言います。何度通しても同じです。確かめられます」


長い卓の、いちばん端の魔導士が、ほんの少しこちらを見た。

昨日まで、塔のことを面白がっていた人だった。

その目は、すぐ手元へ戻った。


(——確かめられる。それが、いちばん軽い)


確かめられること。間違えないこと。

それは、この部屋では何の重さも持たなかった。


重いのは、宮中の名だった。

何代も魔導を見てきた、という重さ。神の理を守る、という重さ。

正しいと言えることは、その前で、紙よりも軽かった。


磨かれた長い卓に、わたしの指の先だけが触れていた。

冷たくて、なめらかで、何の傷もない卓だった。


遠い昔のわたしなら、正しさが通る部屋を知っていた気がする。

けれど、ここはその部屋ではない。

ここでわたしは、名も魔力もない、ただの子供だった。


◇◇◇


ヘルムが、太い声を出した。


「卿。現場は、この子の塔でようやく息をつき始めた。組み替えの徹夜が、減ったのです」


「ヘルム。お前の現場の話は、昨日も聞いた」


グランツは振り返らなかった。


「楽になることと、踏み外さぬことは、別だ」


ヘルムが、口を結んだ。

昨日と、同じ壁だった。押しても、びくともしない。


アディラが、一歩前に出た。


「わたしは宮廷魔導士です。この目で塔を見ました。理を冒すものとは、思いません」


「フレンセン」


グランツは今度は名を呼んだ。


「お前は、ひとりだ」


藍の長衣が、卓の七人を示した。


「ここにいる誰が、お前の側に立った」


アディラは答えなかった。

まっすぐな背が、ほんの少しだけこわばった。


(——アディラさんが、ひとりにされていく)


わたしのために、この人は宮中でひとりになっていく。

そう思うと、握った炭が、よけいに重く感じた。


◇◇◇


グランツは杖を持ち直し、戸口へ歩いた。

とん、とん、と。


戸口で、一度だけ振り返った。


「廃せとは、まだ言わぬ」


低い声だった。


「だが、覚えておくがいい。人も銭も、宮中の名のあるほうへ流れる」


杖が、床を打った。


「名のないほうへは、流れぬ。だんだんと、細っていく。——それだけのことだ」


とん。


戸が、閉まった。


◇◇◇


足音が、廊下の奥へ遠ざかった。

とん、とん、と。間のある音が、小さくなっていく。


七人の長衣も、ひとり、またひとりと卓を立っていった。

誰も、わたしには声をかけなかった。


ヘルムは宮中に残った。アディラも、残った。

冷えた壁の向こうで、まだ言葉を継ぐつもりらしい。


父が、わたしの肩に手を置いた。

何も言わず、戸口のほうへそっと押す。


帰ろう、ということだった。


◇◇◇


武具蔵に戻ると、もう日が傾いていた。


塔は、火が落ちていた。

火を入れる人たちが、みな宮中に残されているのだから、当たり前だった。

わたしの手では、石ひとつ灯らない。


いちばん下の段の石に、指で触れた。

朝はわずかに温かかった石が、いまは冷たい。


(——でも、忘れてはいない)


灯せなくても、この石は手順を覚えている。

火さえ入れば、また正しいものを正しいと返す。

それだけは、確かだった。


わたしは送り終えた穿孔布を、一枚ずつ揃えて畳んだ。

正しい符号の布と、わざと崩した布。

重ねると、同じ厚さの紙束になった。どちらが正しいかは、紙の手ざわりでは分からない。


塔は、宮中の名を知らない。

誰が重くて誰が軽いかも、知らない。

ただ正しいものを正しいと、崩れたものを崩れていると、律儀に返すだけだ。


(——ここでは、正しさがいちばん重いのに)


それなのに、その律儀さのまわりへ、宮中の冷えが戸の隙間から細く流れ込んでいた。


わたしはいちばん下の段の石を手のひらで包んだ。

冷たい石は、いつまでも温まらなかった。


■あとがき・解説


第168話は、塔が動いた翌々日、グランツ卿の反対が「玩具」から本格的な圧力へと反転し、リナとアディラが宮中で孤立しかける回でした。


今回は「動いたから、ならん」「正しさは、重みの前で軽い」「細っていく」について、ゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「動いたから、ならん」——成功こそ危険という反転


前話でグランツの使いは「玩具が、ひとつ」と冷ややかに帰りました。ところが今回、グランツ本人の論理は反転しています。


「動かぬものなら、玩具と笑っていればよかった。だが、それは動いた。人の手を借りず、正しい正しくないを選り分けた。——だから、危うい」。考える真似なら気にもかけない。ほんとうに選り分けてしまうなら、話は別だ、と。成功したことそのものが、反対の根拠になる。技術が正しく動けば動くほど、神の理を侵すという恐れが強まる——リナが初めてぶつかる、勝っても勝ちにならない壁です。


■「正しさは、重みの前で軽い」——社会的受容の関門


リナは「あの塔は、間違えません。何度通しても同じです。確かめられます」と訴えます。


けれど、確かめられること・間違えないことは、その部屋では何の重さも持たなかった。重いのは宮中の名。何代も魔導を見てきた、神の理を守る、という重さ。正しいと言えることは、その前で紙よりも軽い。技術の正しさが、そのまま社会に受け入れられるわけではない——という関門を、評定の冷たい一室で体感させました。ヘルムの防波堤は昨日と同じ壁に阻まれ、アディラは「お前は、ひとりだ。ここにいる誰が、お前の側に立った」と孤立を突きつけられます。リナのために、この人は宮中でひとりになっていく。


■「細っていく」——次の締め付けへ


グランツは「廃せとは、まだ言わぬ」と言い残します。けれど、「人も銭も、宮中の名のあるほうへ流れる。名のないほうへは流れぬ。だんだんと、細っていく」。


廃止ではなく、兵糧攻め。予算と人を、静かに細らせていく宣告です(次回の具体的な締め付けへの前振り)。武具蔵に戻ると、塔の火は落ちている。火を入れる人たちはみな宮中に残され、リナの手では石ひとつ灯らない。朝は温かかった石が、いまは冷たい。それでも石は手順を忘れていない——火さえ入れば、また正しいものを正しいと返す。その律儀さのまわりへ、宮中の冷えが戸の隙間から細く流れ込む。冷たい石を手のひらで包んで、閉じました。


次の話もお楽しみに。


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