第167話 最初の灯
武具蔵の戸は、夜のあいだ閉ざされていた。
朝いちばんに、ヘルムがまたそれを肩で押し開けた。
冷えた埃と、石のにおいが流れ出した。
昨日まで、ただ建っていただけの塔。
そこに今日、火が入る。
(——今日、火が入る)
ゆうべ、父と二人で穿孔布に穴を空けた。
ひとつの数と、もうひとつの数を足せ。
それだけの、いちばん易しい問いだった。
一と、一。
答えは、わたしにも分かる。
分かる問いを、機械に解かせる。それが、今日のはじめの試しだった。
◇◇◇
アディラが、入口の灯りの陣に手をかざした。
王都の魔導士が幾人も、その左右に並ぶ。
墨と、火を入れる前の石の、ひやりとしたにおいがした。
わたしは一歩下がった。
(——わたしには、火は灯せない)
魔力のないわたしの手では、石ひとつ灯らない。
火を入れるのは、いつもこの人たちの役だった。
わたしは数えて、組んで、あとは下がって見ている。
アディラの指先で、入口の陣が灯った。
ひとつ、ふたつと連なって、明かりが奥へ走る。
蓄魔石にためておいた力が、塔のすみずみへ回りはじめた。
送り爪が、穿孔布を繰る。
かり、かり、と布が送られていく。
読み取りの目が、布の穴を順に拾った。
足す石が灯った。
較べる石が灯った。
覚える石が、答えを抱えて灯った。
出口の灯りの列へ、明かりが流れていく。
——左から三つめが、暗いままだった。
ほかは灯ったのに、そこだけ闇のように沈んでいる。
列が、途中で途切れていた。
◇◇◇
わたしは覗き窓に顔を寄せた。
三つめの石の、灯りの陣を覗く。
(——眼で読めるのは、ここまで)
石をつなぐ銅の線も、布も、架台も、わたしの眼には読めない。
けれど石に彫られた陣だけは、線をたどれる。
たどって、見つけた。
溝の一筋が、焼け切れていた。
夏の熱で、ほんのわずか。
輪が、閉じていない。閉じていない輪は、灯らない。
「焼けたか」
父が、横から覗きこんだ。
わたしがうなずくと、父は年かさの技師に目をやった。
「枠ごと、抜け」
年かさの技師が、桝目から枠を引き出した。
焼けた石を外し、秤で選り分けておいた組から、近い重さのひとつを差す。
かちり、と枠が収まった。
熱いものを素手でつままないための、父の工夫だった。
わたしの設計には、なかった直しだ。
もう一度、布を頭から送る。
かり、かり。
送り爪が繰り、読み取りの目が穴を拾う。
足す石。較べる石。覚える石。
そして三つめの灯りが、こんどは灯った。
灯りの列が、ひとつ残らず並んだ。
出口に、答えが出ていた。
(——動いた)
一と、一を足して、二。
人なら、考えるまでもない。
その二を、石と布と灯りでできた塔が、自分で返した。
だれも、息をしなかった。
◇◇◇
足し算は、人にもできる。
ほんとうに試したいのは、その次だった。
わたしの仕事は、ずっと光だった。
短い光と、長い光。その並びで、遠くへ言葉を送る。
並びがひとつ崩れれば、言葉は別のものに化ける。
崩れていないかを、これまでは人の目で確かめてきた。
それを、機械にやらせる。
短いものがいくつあるか、数える。
決まった形と、見比べる。
合っていれば正しい。違っていれば、どこかが崩れている。
その手順を、布に穴で書いた。
まず、正しい符号の布を通した。
かり、かり。
較べる石が、数を数える。
覚える石が、形をつき合わせる。
(——合っているか、いないか)
出口の灯りの列の、いちばん端。
そこに「正しい」の灯りが、ぽつりと点った。
次に、わざと一つ抜いた布を通した。
短い光を、ひとつ抜いてある。崩れた符号だ。
かり、かり。
較べる石が数え、覚える石がつき合わせる。
端の灯りが、さっきとは違う場所に点った。
「正しくない」
だれも、教えていない。
どちらの布かを、機械に告げてはいない。
それなのに塔は、自分で数えて見比べた。
正しいか、正しくないか。それを、自分で選り分けた。
(——考えた)
人の手を、借りずに。
遠い昔、わたしはこういうものに囲まれて生きていた。
ものを考える機械が、当たり前に並んでいた景色。
名前も、形も、ここのものとは何もかも違う。
それでも——石と布と灯りで、その景色のいちばん小さな一粒が、いま武具蔵に灯った。
◇◇◇
若い技師が、声を上げた。
火ぶくれの残る手で、灯りの列を指している。
配線の組み替えで徹夜して、倒れかけていた人だ。
「見分けた……機械が、自分で」
年かさの技師は、秤の手を止めていた。
ぶっきらぼうな顔のまま、ひとことも言わず、灯りの列を見つめている。
やがて、ふんと短く鼻を鳴らした。それが、この人の喜び方だった。
アディラが、墨のついた指を口元にあてた。
「わたしたちは、言葉を覚えさせてきました」
低い、しずかな声だった。
「この子はいま、言葉を見分けさせた。——順番が、ひとつ進みましたね」
ヘルムは腕を組んだまま動かなかった。
低い声で、ぽつりと言う。
「数が合うとか、合わんとか。そんなものを、石が決めるのか」
それから、わたしを見た。
「お前さんは、また数えてくれ。ここの手は、止めん」
◇◇◇
昼に、宮中から人が来た。
灰色の衣の、若い役人だった。
グランツ卿の使いだという。塔の検分に寄越されたらしい。
役人は足し算の布を通させ、符号の布も通させた。
灯りの列が正しい、正しくないと点るのを、表情ひとつ変えずに見ている。
見終えると、帳面に何かを書きつけた。
「卿に、そうお伝えします」
筆を畳みながら、役人は塔を見上げた。
「——玩具が、ひとつ。そう、お伝えします」
戸口を出ていく背に、武具蔵の誰も、声をかけなかった。
ヘルムが、その背を見送った。
それから、わたしの肩に大きな手を置いた。
「気にするな、とは言わん」
低い声だった。
「言っても、お前さんは気にする。——だが、灯ったものは、消えん」
◇◇◇
役人の言葉は、たしかに冷たかった。
玩具。そう書かれた帳面が、いま宮中へ運ばれていく。
それでも、わたしはいちばん下の段の石に、指で触れた。
ゆうべは、冷たくて、何も覚えていない石だった。
いまは、わずかに温かい。
一日、火を入れられて、答えを返した石だ。
(——でも、たしかに考えた)
玩具と呼ばれても、この石は、今日たしかに見分けた。
正しいものを、正しいと。
崩れたものを、崩れていると。
窓の外では、暁の月の光が、灯りの列の上を静かに渡っていった。
■あとがき・解説
第167話は、建ち上がった演算塔にはじめて火を入れ、足し算と符号検証が動く——中間の報酬回でした。
今回は「動いた」「考えた」「玩具が、ひとつ」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「動いた」——一と一を、塔が返す
最初の試しは、いちばん易しい問いでした。一と一を足せ。答えはリナにも分かる。分かる問いを、機械に解かせる。
ところが出口の灯りの列は、左から三つめが暗いまま。リナが覗き窓で陣をたどると、夏の熱で溝の一筋が焼け切れ、輪が閉じていない。閉じていない輪は灯らない。眼で読めるのは陣まで——銅線も布も架台も読めず、そこは指と観察で扱う。父の「枠ごと引き出す工夫」で焼けた石を替え、もう一度布を送ると、三つめが灯り、答え「二」が出る。石と布と灯りでできた塔が、自分で二を返した。リナは魔力がないので火は灯せず、点火はアディラたちの役。リナは数えて、組んで、一歩下がって見ている——その立ち位置も守りました。
■「考えた」——正しいか、正しくないかを、塔が選り分ける
足し算は人にもできます。ほんとうに試したいのは、その次でした。
リナの仕事はずっと光(短い光と長い光の並びで言葉を送る)。並びが崩れていないかを、これまでは人の目で確かめてきた。それを機械にやらせる。正しい符号の布には「正しい」、わざと一つ抜いた布には「正しくない」の灯りが点る。誰も教えていないのに、塔は自分で数えて見比べ、選り分けた。「動いた」の次に「考えた」が来る。リナは遠い昔、ものを考える機械に囲まれて生きていた。名前も形も何もかも違うけれど、その景色のいちばん小さな一粒が、いま武具蔵に灯ります。
■「玩具が、ひとつ」——冷水と、消えない灯り
昼、グランツ卿の使いの役人が検分に来て、表情ひとつ変えずに見届け、帳面にこう書きます。「玩具が、ひとつ」。
筋の通った成功でも、宮中の壁は動かない(本人を出さず、使いの冷水だけで圧力を予感させました=次回の本格的な圧力への前振り)。ヘルムは「気にするな、とは言わん。だが、灯ったものは、消えん」と肩に手を置く。リナは温かくなった石に触れて、「でも、たしかに考えた」とつぶやく。玩具と呼ばれても、この石は今日たしかに、正しいものを正しいと、崩れたものを崩れていると見分けた。勝利の主旋律で締めつつ、次の圧力編へ細い影を落として閉じています。
次の話もお楽しみに。




