第166話 建造の月日
古い武具蔵の戸を、ヘルムが肩で押し開けた。
夏のはじめの光が、埃を舞い上げた。
鉄錆と、長く人の来なかった年月のにおいがした。
「場所は、もぎ取った」
壁ぎわに、折れた槍の柄がまだ立てかけてある。
天井は高く、床は石だった。
ヘルムは中をぐるりと見渡して、太い腕を組んだ。
「広さは足りる。——足りるが、惜しむ声はもう出ている」
宮殿の中心から、少し外れた一角。
それでも王都のただ中に、これだけの床を空けさせたのだ。
(——どこに建てるかで、揉める)
いつかヘルムが言ったとおりだった。
動くか動かないかの前に、ひと悶着あった。それを、ヘルムが先に片づけてくれていた。
わたしは図面を広げた。
四角の中に、棚と、配線と、布と灯り。
この紙の上の塔を、この石の床に立てる。
ヘルムが、わたしの手元をのぞきこんだ。
「お前は、数えろ。ほかのことは、おれが受ける」
◇◇◇
石を量ることから、始まった。
何百という覚える石は、ひとつずつ重さが違う。
強すぎても、弱すぎてもいけない。秤にかけて、近いものどうしを組にする。
年かさの技師が、その役を引き受けた。
ごつい指が、小さな石を皿にのせる。
針の揺れを、目を細めて見る。
はじめは迷っていた手が、夏のあいだに迷わなくなった。
「これと、これだ」
短く言って、石をふた組に分ける。
その選り分けの速さは、わたしには真似ができなかった。
灯りの陣は、アディラが書いた。
ひとりでは足りないから、王都の魔導士が幾人も机を並べる。
おなじ陣を、何百も。
わたしは陣を書かない。
書き上がった石を、覗き窓ごしにひとつずつ検めるだけだ。
線が、設計どおりに閉じているか。途中で迷子になっていないか。
(——ここは、読める)
陣だけは、眼で読めた。
けれど石をつなぐ銅の線は、眼には読めない。指でたどる。
棚も、布も、おなじだ。物は、見て、触って、確かめる。
棚に石を積みはじめると、すぐに熱が問題になった。
夏の盛りだった。
灯りつづける石は、それ自体が熱を持つ。
床から天井までびっしり積めば、上の段が焼ける。
(——焼けると、覚えを失う)
焼けた石は、覚えていたことを忘れる。
ひとつ忘れれば、答えがひとつ狂う。
ここで、父が動いた。
◇◇◇
父はずっと棚の脚と支えを見ていた。
わたしが図に描いた棚は、桝目に石を直に置くものだった。
父はその桝目に木の枠をはめた。
石を、枠ごと差し込む。焼けたら、枠ごと引き抜く。
「熱いものを、素手でつまむな」
父は削ったばかりの枠を、ことりと棚にはめた。
「枠を持て。指を焼くな」
わたしの設計には、なかった直しだった。
時計の歯車を何十年も組んできた手が、出した答えだった。
(——現場の手は、図より賢い)
枠ごと引き出して、冷ました石と入れ替える。
それだけのことで、塔は止まらずに済むようになった。
若い技師が、いちばん喜んだ。
見学した日に、配線の組み替えで徹夜して倒れかけていた人だ。
枠の出し入れを覚えると、火ぶくれの手で、何度もうなずいていた。
◇◇◇
秋が来た。
窓の外の木が金から紅へと、ひと月ごとに色を深めていった。
そのころから、予算の紙が遅れて届くようになった。
ひと月分の費えを記した紙が、月の替わりに来ない。
十日遅れ、半月遅れ、やがてひと月遅れて、ようやく届く。
だれが渋っているのか、口にする者はいなかった。
(——遠い部屋で、だれかが筆を止めている)
紙の遅れは、ただの手違いではないようだった。
止めると言われたわけではない。ただ、こちらへ来るぶんだけがひと月ごとにすこしずつ細くなっていく。
だれかが流れを絞っている——そう思っても、その手は見えなかった。
ヘルムは何も言わなかった。
自分の裁量で回せるぶんを先に充てて、職人たちの手を止めさせなかった。
「上で何があろうと」
低い声で、ヘルムは石の棚を見上げた。
「ここの手は、止めん」
わたしは数えた。
ヘルムがそう言ったから、わたしは数えることだけをした。
◇◇◇
月に一度、ベルマンの荷馬車が、村の封を運んできた。
母の字は、丸かった。
畑のこと、織りのこと、村の小さな出来事。
そのあとにいつも一行か二行、わたしへの言葉があった。
ノラの字も、混じっていた。
大きな、まだ角の丸い字。
> とうは、たちましたか?
塔は、立ちましたか。
妹は、それだけを知りたがっていた。
(——まだだよ、ノラ)
兄の便りは、町からだった。
夜番の一人として数えられるようになったと、短く書いてあった。
見習いの末ではなく、一人前として。
冬が来た。
霜が降り、武具蔵の石の床が底から冷えた。
冬になると、石はこんどは鈍った。
熱で焼けるのとは逆に、冷えると灯りが遅れる。
押しても、ひと呼吸おいてから覚えた。
(——夏に焼けて、冬に鈍る)
機械は、生きものではない。
それでも暑さと寒さに、こんなに正直だった。
火桶を棚の足元に置いて、冷えすぎないようにした。
◇◇◇
眠りの月が明けて、暁の月になった。
年が、替わった。
その月のついたちが、わたしの誕生日だった。
村にいたなら、母が何か甘いものを焼いてくれた日。
ノラが、朝いちばんに飛びこんでくる日。
今年は、王都の宿で、ひとり目を覚ました。
(——十三になった)
(——母さんも、ノラも、いない)
枕元に、村からの封があった。
前の荷で届いて、開けずにとっておいたものだ。
ひらくと、押し花が一輪、紙のあいだから滑り落ちた。
村の春の、名も知らない小さな花。
押されて、薄く乾いていた。
父が、宿の戸口に立っていた。
「起きたか」
それから、わたしを上から下まで見た。
「……背が、伸びたな」
去年の上着の袖が、手首より上に来ていた。
父はそれだけ言った。
会わないあいだに、身体だけが村を出たときより伸びていた。
中身は、とうに大人なのに。
技師団の作業場へ行くと、年かさの技師が秤の手を止めた。
「今日だろう」
ぶっきらぼうに、卓の上へ何かを置く。
木を削った、小さな歯車だった。秤の余りで作ったらしい。
アディラが、墨のついた指で、わたしの髪をひとなでした。
「おめでとう。——もう一年、いっしょに数えましょう」
村と離れて迎えた、はじめての誕生日だった。
寂しくなかったと言えば、嘘になる。
それでもこの武具蔵には、いっしょに数えてくれる人たちがいた。
◇◇◇
それから、いくつかの春の日が過ぎた。
棚は、床から天井まで埋まった。
石が、いちばん上の段まで積まれた。爪先立ちでも届かない、あの高さまで。
配線が、棚と棚のあいだを這った。
赤い道と、青い道。決めておいた色のとおりに。
迷子の線は、ひとつもなかった。
長い穿孔布が、入口に巻かれた。
出口には、灯りの列がずらりと並んだ。
最後の格子に、最後の石が収まる。
年かさの技師が、それを枠ごと、いちばん端の桝目に差しこんだ。
かちり、と音がした。
しんと、武具蔵が静かになった。
だれも、何も言わなかった。
(——立った)
図面の上の四角が、石の床に、ほんとうに立っていた。
棚があって、線があって、布と灯りがある。
人の背の何倍もある、ひとつの——
(——機械に、なる)
まだ、火は入れていない。
動かしてもいない。ただ、建った。それだけだった。
ヘルムが、塔を見上げた。
それから、わたしを見た。
「明日だ」
低く、短く言った。
「明日、はじめて火を入れる」
わたしはいちばん下の段の石に、指でそっと触れた。
冷たくて、まだ何も覚えていない石だった。
明日、ここに、火が入る。
窓の外では、暁の月の光が、武具蔵の埃をまた舞い上げていた。
■あとがき・解説
第166話は、約十一か月の月日を点描でつないで、演算塔が建ち上がるまでを描く回でした。
今回は「場所を、もぎ取った」「枠を持て、指を焼くな」「村と離れて迎えた誕生日」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「場所を、もぎ取った」——技術の次の壁
前話の終わりに、ヘルムが立てた火種は「どこに建てるか」でした。
部屋ひとつぶんの塔を、王都のただ中に置く床を、どこから出すのか。ヘルムはそれを、技師団の敷地隅の古い武具蔵を改めることで片づけてくれます。「広さは足りる。——足りるが、惜しむ声はもう出ている」。そして秋からは、予算の紙が遅れて届くようになる。だれが渋っているかは口にされない。遠い部屋で、誰かが筆を止めている。技術の壁を越えた先に、場所と予算という政治の壁がじわりと立ち上がる——その圧力の前振りを、月日のなかに薄く編み込みました。
■「枠を持て、指を焼くな」——現場の手は、図より賢い
夏の盛り、灯りつづける石は熱を持ち、上の段が焼けはじめます。焼けた石は覚えを失う。
ここで動いたのは、父でした。リナの図では桝目に石を直に置く設計でしたが、父は桝目に木の枠をはめ、石を枠ごと差し込む形に直す。焼けたら枠ごと引き抜いて入れ替える。「熱いものを、素手でつまむな」。時計の歯車を何十年も組んできた手が出した答えは、リナの設計になかったものでした。「現場の手は、図より賢い」——設計者がすべてを見通すのではなく、現場の知恵が設計を育てる、という主題を、この一場面に込めています。
■「村と離れて迎えた誕生日」——十三歳
眠りの月が明けて暁の月になり、年が替わる。その月のついたちが、リナの誕生日でした。
村にいたなら、母が甘いものを焼き、ノラが朝いちばんに飛びこんでくる日。今年は王都の宿で、ひとり目を覚ます。村からの封に挟まれた押し花、父の「背が、伸びたな」、年かさの技師が秤の余りで削った木の歯車、アディラの「もう一年、いっしょに数えましょう」。寂しくなかったと言えば嘘になる。それでもこの武具蔵には、いっしょに数えてくれる人たちがいた。月に一度のノラの手紙「とうは、たちましたか?」に、まだだよ、と返していたその塔が、ついに最後の石を収めて建ち上がる。「明日、はじめて火を入れる」——中間の報酬回(第167話)へ、まっすぐつなげて閉じました。
次の話もお楽しみに。




