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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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166/211

第166話 建造の月日

古い武具蔵の戸を、ヘルムが肩で押し開けた。

夏のはじめの光が、埃を舞い上げた。

鉄錆と、長く人の来なかった年月のにおいがした。


「場所は、もぎ取った」


壁ぎわに、折れた槍の柄がまだ立てかけてある。

天井は高く、床は石だった。

ヘルムは中をぐるりと見渡して、太い腕を組んだ。


「広さは足りる。——足りるが、惜しむ声はもう出ている」


宮殿の中心から、少し外れた一角。

それでも王都のただ中に、これだけの床を空けさせたのだ。


(——どこに建てるかで、揉める)


いつかヘルムが言ったとおりだった。

動くか動かないかの前に、ひと悶着あった。それを、ヘルムが先に片づけてくれていた。


わたしは図面を広げた。

四角の中に、棚と、配線と、布と灯り。

この紙の上の塔を、この石の床に立てる。


ヘルムが、わたしの手元をのぞきこんだ。


「お前は、数えろ。ほかのことは、おれが受ける」


◇◇◇


石を量ることから、始まった。


何百という覚える石は、ひとつずつ重さが違う。

強すぎても、弱すぎてもいけない。秤にかけて、近いものどうしを組にする。

年かさの技師が、その役を引き受けた。


ごつい指が、小さな石を皿にのせる。

針の揺れを、目を細めて見る。

はじめは迷っていた手が、夏のあいだに迷わなくなった。


「これと、これだ」


短く言って、石をふた組に分ける。

その選り分けの速さは、わたしには真似ができなかった。


灯りの陣は、アディラが書いた。

ひとりでは足りないから、王都の魔導士が幾人も机を並べる。

おなじ陣を、何百も。


わたしは陣を書かない。

書き上がった石を、覗き窓ごしにひとつずつ検めるだけだ。

線が、設計どおりに閉じているか。途中で迷子になっていないか。


(——ここは、読める)


陣だけは、眼で読めた。

けれど石をつなぐ銅の線は、眼には読めない。指でたどる。

棚も、布も、おなじだ。物は、見て、触って、確かめる。


棚に石を積みはじめると、すぐに熱が問題になった。


夏の盛りだった。

灯りつづける石は、それ自体が熱を持つ。

床から天井までびっしり積めば、上の段が焼ける。


(——焼けると、覚えを失う)


焼けた石は、覚えていたことを忘れる。

ひとつ忘れれば、答えがひとつ狂う。


ここで、父が動いた。


◇◇◇


父はずっと棚の脚と支えを見ていた。


わたしが図に描いた棚は、桝目に石を直に置くものだった。

父はその桝目に木の枠をはめた。

石を、枠ごと差し込む。焼けたら、枠ごと引き抜く。


「熱いものを、素手でつまむな」


父は削ったばかりの枠を、ことりと棚にはめた。


「枠を持て。指を焼くな」


わたしの設計には、なかった直しだった。

時計の歯車を何十年も組んできた手が、出した答えだった。


(——現場の手は、図より賢い)


枠ごと引き出して、冷ました石と入れ替える。

それだけのことで、塔は止まらずに済むようになった。


若い技師が、いちばん喜んだ。

見学した日に、配線の組み替えで徹夜して倒れかけていた人だ。

枠の出し入れを覚えると、火ぶくれの手で、何度もうなずいていた。


◇◇◇


秋が来た。

窓の外の木が金から紅へと、ひと月ごとに色を深めていった。


そのころから、予算の紙が遅れて届くようになった。


ひと月分の費えを記した紙が、月の替わりに来ない。

十日遅れ、半月遅れ、やがてひと月遅れて、ようやく届く。

だれが渋っているのか、口にする者はいなかった。


(——遠い部屋で、だれかが筆を止めている)


紙の遅れは、ただの手違いではないようだった。

止めると言われたわけではない。ただ、こちらへ来るぶんだけがひと月ごとにすこしずつ細くなっていく。

だれかが流れを絞っている——そう思っても、その手は見えなかった。


ヘルムは何も言わなかった。

自分の裁量で回せるぶんを先に充てて、職人たちの手を止めさせなかった。


「上で何があろうと」


低い声で、ヘルムは石の棚を見上げた。


「ここの手は、止めん」


わたしは数えた。

ヘルムがそう言ったから、わたしは数えることだけをした。


◇◇◇


月に一度、ベルマンの荷馬車が、村の封を運んできた。


母の字は、丸かった。

畑のこと、織りのこと、村の小さな出来事。

そのあとにいつも一行か二行、わたしへの言葉があった。


ノラの字も、混じっていた。

大きな、まだ角の丸い字。


> とうは、たちましたか?


塔は、立ちましたか。

妹は、それだけを知りたがっていた。


(——まだだよ、ノラ)


兄の便りは、町からだった。

夜番の一人として数えられるようになったと、短く書いてあった。

見習いの末ではなく、一人前として。


冬が来た。

霜が降り、武具蔵の石の床が底から冷えた。


冬になると、石はこんどは鈍った。

熱で焼けるのとは逆に、冷えると灯りが遅れる。

押しても、ひと呼吸おいてから覚えた。


(——夏に焼けて、冬に鈍る)


機械は、生きものではない。

それでも暑さと寒さに、こんなに正直だった。

火桶を棚の足元に置いて、冷えすぎないようにした。


◇◇◇


眠りの月が明けて、暁の月になった。

年が、替わった。


その月のついたちが、わたしの誕生日だった。


村にいたなら、母が何か甘いものを焼いてくれた日。

ノラが、朝いちばんに飛びこんでくる日。

今年は、王都の宿で、ひとり目を覚ました。


(——十三になった)


(——母さんも、ノラも、いない)


枕元に、村からの封があった。

前の荷で届いて、開けずにとっておいたものだ。

ひらくと、押し花が一輪、紙のあいだから滑り落ちた。


村の春の、名も知らない小さな花。

押されて、薄く乾いていた。


父が、宿の戸口に立っていた。


「起きたか」


それから、わたしを上から下まで見た。


「……背が、伸びたな」


去年の上着の袖が、手首より上に来ていた。

父はそれだけ言った。


会わないあいだに、身体だけが村を出たときより伸びていた。

中身は、とうに大人なのに。


技師団の作業場へ行くと、年かさの技師が秤の手を止めた。


「今日だろう」


ぶっきらぼうに、卓の上へ何かを置く。

木を削った、小さな歯車だった。秤の余りで作ったらしい。


アディラが、墨のついた指で、わたしの髪をひとなでした。


「おめでとう。——もう一年、いっしょに数えましょう」


村と離れて迎えた、はじめての誕生日だった。

寂しくなかったと言えば、嘘になる。

それでもこの武具蔵には、いっしょに数えてくれる人たちがいた。


◇◇◇


それから、いくつかの春の日が過ぎた。


棚は、床から天井まで埋まった。

石が、いちばん上の段まで積まれた。爪先立ちでも届かない、あの高さまで。


配線が、棚と棚のあいだを這った。

赤い道と、青い道。決めておいた色のとおりに。

迷子の線は、ひとつもなかった。


長い穿孔布が、入口に巻かれた。

出口には、灯りの列がずらりと並んだ。


最後の格子に、最後の石が収まる。


年かさの技師が、それを枠ごと、いちばん端の桝目に差しこんだ。

かちり、と音がした。


しんと、武具蔵が静かになった。

だれも、何も言わなかった。


(——立った)


図面の上の四角が、石の床に、ほんとうに立っていた。

棚があって、線があって、布と灯りがある。

人の背の何倍もある、ひとつの——


(——機械に、なる)


まだ、火は入れていない。

動かしてもいない。ただ、建った。それだけだった。


ヘルムが、塔を見上げた。

それから、わたしを見た。


「明日だ」


低く、短く言った。


「明日、はじめて火を入れる」


わたしはいちばん下の段の石に、指でそっと触れた。

冷たくて、まだ何も覚えていない石だった。

明日、ここに、火が入る。


窓の外では、暁の月の光が、武具蔵の埃をまた舞い上げていた。


■あとがき・解説


第166話は、約十一か月の月日を点描でつないで、演算塔が建ち上がるまでを描く回でした。


今回は「場所を、もぎ取った」「枠を持て、指を焼くな」「村と離れて迎えた誕生日」について、ゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「場所を、もぎ取った」——技術の次の壁


前話の終わりに、ヘルムが立てた火種は「どこに建てるか」でした。


部屋ひとつぶんの塔を、王都のただ中に置く床を、どこから出すのか。ヘルムはそれを、技師団の敷地隅の古い武具蔵を改めることで片づけてくれます。「広さは足りる。——足りるが、惜しむ声はもう出ている」。そして秋からは、予算の紙が遅れて届くようになる。だれが渋っているかは口にされない。遠い部屋で、誰かが筆を止めている。技術の壁を越えた先に、場所と予算という政治の壁がじわりと立ち上がる——その圧力の前振りを、月日のなかに薄く編み込みました。


■「枠を持て、指を焼くな」——現場の手は、図より賢い


夏の盛り、灯りつづける石は熱を持ち、上の段が焼けはじめます。焼けた石は覚えを失う。


ここで動いたのは、父でした。リナの図では桝目に石を直に置く設計でしたが、父は桝目に木の枠をはめ、石を枠ごと差し込む形に直す。焼けたら枠ごと引き抜いて入れ替える。「熱いものを、素手でつまむな」。時計の歯車を何十年も組んできた手が出した答えは、リナの設計になかったものでした。「現場の手は、図より賢い」——設計者がすべてを見通すのではなく、現場の知恵が設計を育てる、という主題を、この一場面に込めています。


■「村と離れて迎えた誕生日」——十三歳


眠りの月が明けて暁の月になり、年が替わる。その月のついたちが、リナの誕生日でした。


村にいたなら、母が甘いものを焼き、ノラが朝いちばんに飛びこんでくる日。今年は王都の宿で、ひとり目を覚ます。村からの封に挟まれた押し花、父の「背が、伸びたな」、年かさの技師が秤の余りで削った木の歯車、アディラの「もう一年、いっしょに数えましょう」。寂しくなかったと言えば嘘になる。それでもこの武具蔵には、いっしょに数えてくれる人たちがいた。月に一度のノラの手紙「とうは、たちましたか?」に、まだだよ、と返していたその塔が、ついに最後の石を収めて建ち上がる。「明日、はじめて火を入れる」——中間の報酬回(第167話)へ、まっすぐつなげて閉じました。


次の話もお楽しみに。


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