第165話 部屋サイズの設計
三日めの朝。
窓の下の床が、まだ冷たい。
卓の上に、ふたつの石が並んでいる。
きのう、足りなさをこしらえた。
石が強すぎるなら、力のほうを細くすればいい。
動力を継ぐ銅の線を、針金ほどの細さに替えた。
(——分け合うぶんを、減らす)
ひとつの蓄魔石から流れる力を、わざと絞る。
ふたつの石が、それを奪い合うように。
強いほうが勝って、弱いほうは灯れない。村の屑石が、ひとりでにやっていたことだ。
アディラが、灯りの陣を浅く書き直してくれた。
わたしは陣には触れない。
炭を握って、銅の細さと窓の角度を、別の紙に控えるだけだ。
◇◇◇
アディラが点火した。
わたしは細い針で、右の石を押した。
ぽ、と右が灯る。
左は、暗いままだった。
針を離す。
右はそのまま灯っている。左は、ずっと暗い。
(——覚えてる)
押したのは右だと、石が保っていた。
もう一度。今度は左を押す。左が灯って、右が消えた。
押した形が、針を離しても残る。
「……立ちましたね」
アディラが覗き窓へ顔を寄せた。
墨のついた指が、灯ったほうの縁を、そっとなぞる。
「足りないほうが、よかった」
きのうのわたしの言葉を、なぞるように言った。
年かさの技師が、秤の手を止めて覗きにきた。
ごつい指で、卓のふちを軽く叩く。
「これが、覚えるのか」
「片方だけ。押したほうを」
低くうなって、技師はまた秤へ戻った。
◇◇◇
うれしさは、長くもたなかった。
覚える石、ひとつ。
それは、灯りひとつぶん。点いたか、消えたか。それだけだ。
数にすれば、いちばん小さな桁の、半分にもならない。
わたしは木片を並べはじめた。
ひと桁を覚えるのに、石がいくつ要るか。
くり上がりを次へ送るのに、いくつ要るか。
ふた桁を数えたところで、もう指が足りなくなった。
(——足し算、ひとつ)
豆を置いていく。
ひと桁。ふた桁。み桁。
それを足して、答えを覚えて、次の桁へ送る。
数えるそばから、木片の山が崩れた。
ひと桁ぶんの覚える石を数えて、桁の数だけ重ねて、くり上がりの道を足して——
豆が、卓からこぼれて落ちた。
何百。
ううん、足し算ひとつでも、何百だ。
それを幾度もくり返す塔なら、すぐに千を超える。
(——部屋、ひとつぶん)
手のひらの石は、こんなに小さい。
親指の先ほどしかない。
それを千、積む。棚に積む。床から、天井まで。
わたしは背伸びをして、ありもしない天井を見上げた。
卓のへりに手をかけても、爪先立ちで、やっと天板が見える背丈なのに。
いちばん上の棚には、きっと、手が届かない。
そこまでの高さに、石を積むことになる。
◇◇◇
炭を握り直した。
紙のまんなかに、四角をひとつ。
これが、塔の胴になる。
まず、棚だ。
石を千も積むなら、置き場が要る。
父の工房の道具棚を、思い出した。
釘の大きさごと、刃の長さごとに、桝目が切ってある棚。あれを、もっと高く、もっと深く。
桝目ひとつに、覚える石をひと組。
段は、手の届く高さで区切る。
点検する人が梯子で登って、どの段のどの桝目かを言える。そういう棚。
(——どこが壊れたか、言えること)
次に、配線。
石と石を、銅の線で継ぐ。
力の通る道——魔力の経路だ。
覗き窓ごしに陣は読めても、銅の線そのものは、わたしの眼には読めない。
ここは、見て分かる場所じゃない。
指で、一本ずつ、たどるしかない。
見学した日の景色が、よみがえった。
計算を変えるたびに線を組み替えて、徹夜で倒れかけていた技師。
あの地獄を、もう一度くり返してはいけない。
だから——線は、ばらばらに這わせない。
桝目の脇に、決まった筋目を彫って、そこだけを通す。
こっちの道は赤い線、あっちの道は青い線。色と道筋を、はじめから決めておく。
(——迷子の線を、作らない)
一本が切れても、どの石とどの石のあいだかが、すぐ分かるように。
眼で読めないぶんを、指で読めるように、並べておく。
それから、入口と出口。
塔に「何をさせるか」を、教えてやらないといけない。
頭に浮かんだのは、母の織機だった。
布に穴をあけて、機械に読ませる、あの布。
家で織ったのは、手のひらに乗るほどの布だった。
塔には、それでは小さすぎる。
帯のように長くて、幅の広い布が要る。何百の命令を、いちどに送れる布が。
(——母さんの布を、大きくする)
出口は、灯りの列にしよう。
塔が出した答えを、覚える石の灯りで、ずらりと並べて見せる。
点いた、消えた、点いた——それを読み取り板で数に直す。
入口は、穴のあいた布。
出口は、灯りの列。
そのあいだに、棚と、配線。
四角の中に、三つを描き込んだ。
棚。配線。布と灯り。
(——これで、塔になる)
◇◇◇
戸口に、足音。
ヘルムが、図をのぞきこんだ。
腕を組んだまま、しばらく黙っている。
太い指が、四角のいちばん外の線を、とんと突いた。
「でかいな」
「……はい。部屋ひとつ、まるごと要ります」
ヘルムはふん、と短く鼻を鳴らした。
それから、窓の外へ目をやる。
宮殿の塔がいくつも、朝の光に立っていた。
「物が大きくなるとな」
低い声だった。
「どこに置くかで、人が揉める」
「……場所、ですか」
「この作業場じゃ、入らん。広間がいる。広間は、宮中のものだ」
腕を組んだまま、ヘルムはもう一度、塔のほうを見た。
「動くか動かんかの前に、どこに建てるかでひと悶着ある。覚えておけ」
それだけ言って、戻っていった。
廊下に、足音が遠ざかる。
(——どこに、建てるか)
図の上では、塔はもう立っている。
四角の中に、棚があって、線があって、布と灯りがある。
それなのに、この四角を本当に置く床は、まだどこにもなかった。
◇◇◇
日が高くなった。
卓の上には、図面が一枚。
そのわきに、覚える石が、ひと組。
朝に押した右の灯りが、まだ、消えずに点いている。
わたしは灯ったほうの縁を、指でそっと押さえた。
小さい。親指の先ほどだ。
これを、千。
床から、天井まで。
豆が一粒、卓の隅に転がったままだった。
わたしはそれを拾って、図面のまんなかの四角の上に、ことりと置いた。
■あとがき・解説
第165話は、覚える石がついに立ち、その喜びもつかのま、リナが「これは部屋ひとつぶんになる」と気づく回でした。
今回は「足りなさを、こしらえる」「部屋ひとつぶん」「迷子の線を作らない」について、ゆるく書いていきます。
■この話で出てきた言葉
■「足りなさを、こしらえる」——立った覚える石
前話の発見は、貧しさ(奪い合い)が記憶を生む、というものでした。
ならば、わざと足りなくすればいい。動力を継ぐ銅の線を針金ほどに細くして、ふたつの石が分け合う力を絞る。強いほうが勝ち、弱いほうは灯れない。村の屑石がひとりでにやっていたことを、設計で作り出す。三日めの朝、押した形が針を離しても残る——覚える石が、王都の素材でようやく立ちました。「足りないほうが、よかった」というアディラの言葉に、この回の逆説を込めています。
■「部屋ひとつぶん」——規模に潰されかける
けれど喜びは長くもちません。覚える石ひとつは、灯りひとつぶん。点いたか消えたか、それだけ。
豆と木片で桁を数えはじめると、ふた桁で指が足りなくなる。足し算ひとつでも石が何百。それをくり返す塔なら、すぐに千を超える。親指の先ほどの石を、床から天井まで積む——爪先立ちでやっと天板が見える背丈のリナが、ありもしない天井を見上げる。発明の正しさが、そのまま「部屋ひとつぶん」という重さになって返ってくる場面です。
■「迷子の線を作らない」——あの地獄をくり返さない
塔の物理設計を、リナは三本柱で詰めます。棚(父の工房の道具棚)、配線(魔力の経路)、入口と出口(母の織機の布を大きくしたものと、灯りの列)。
配線で思い出すのは、計算を変えるたびに線を組み替え、徹夜で倒れかけていた技師の姿(配線差し替えの地獄)。だから線はばらばらに這わせず、決まった筋目に色と道筋を先に決めて通す。一本切れても、どの石とどの石のあいだかがすぐ分かるように。眼で読めない銅線を、指で読めるように並べておく。そして最後に、ヘルムが「物が大きくなると、どこに置くかで人が揉める」と前振りします。図の上では塔はもう立っているのに、それを本当に置く床は、まだどこにもない。建造編へ向けて、技術の壁の次に「場所の壁」を立てたところで閉じました。
次の話もお楽しみに。




