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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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160/211

第160話 配線差し替えの地獄

塔のある建物は、朝から熱を持っていた。


分厚い扉を抜けると、埃と焦げた魔石の匂いが鼻を突いた。

低いうなりが、足の裏から伝わってくる。


(——機械の音だ)


ヘルムが先に立って、奥へ進んだ。

父が、わたしの肩のうしろに手を添える。

兄は入口で足を止め、天井の梁と扉の数を目で追っていた。


「言ったろう。ひどいものだ」


ヘルムの声が、うなりの中で低く沈んだ。


部屋いっぱいに、それはあった。


人の背より高い架台が、何列も並んでいる。

棚の一段ごとに、こぶしほどの石が据えられ、その表面に細い溝が彫られていた。

石と石は、無数の細い線でつながれている。

線は棚の裏で束になり、垂れ、また別の石へ伸びていた。


(——陣を彫った石を、線でつないである)


魔導士のひとりが、端の石に手をかざした。

溝が、淡く光をためる。

光は線を伝って、隣の石へ、その隣へと移っていった。


わたしはその流れを、目で追った。


石の溝は、読めた。

どの石が何をする石か、溝のかたちが教えてくれる。

受けて、ためて、渡す。

一つ一つは、村で組んだ歯車と同じ理屈だった。


けれど、線は読めなかった。


光ってはいる。

それでも溝のようには、意味が見えてこない。

どの石とどの石が、なぜそうつながれているのか。

それは、ただの線だった。


(——眼で追えるのは、石の溝まで)


線のつなぎ方は、いくら見ても光らない。

そこから先は、指でたどるしかなかった。


◇◇◇


「ここを、見てやってくれ」


ヘルムが、架台のひとつの陰へわたしを導いた。


床に、若い技師が座り込んでいた。

膝に板を乗せ、線の束を一本ずつ手にとっては、棚の裏へ差している。

指の先が、赤くすり切れていた。


顔を上げた目の下に、青黒い隈があった。


「……三日、帰っていません」


掠れた声だった。


「昨日、計算をひとつ変えろと言われて。それで朝から、線を全部つなぎ直しています」


「全部?」


つい、聞き返した。


「ええ。手順をひとつ変えると、線のつなぎ方が変わるので。……石の溝を、彫り直すこともあります」


技師は手元の線を、棚に差した。

差して、確かめて、抜いて、また別の穴へ差す。

その手つきには、もう考える余裕がないように見えた。


(——そうか)


胸の奥が、すっと冷えた。


この塔は、手順そのものが、線のつなぎ方でできている。

だから手順をひとつ変えるには、線を引き抜いて、つなぎ直すしかない。

何を計算するかが、機械のかたちに焼きついていた。


◇◇◇


わたしは架台に近づいた。


「触れても、いいですか」


技師が頷いた。


石の溝に、指を当てた。

冷たく、固い。

彫りは深く、正確だった。

それから線を一本つまんで、目でたどる。

棚の裏へ回り、束をかき分け、その先を探した。


一本の線が、どこから来てどこへ行くのか。

それを確かめるだけで、息が上がった。


(——これを、何百本)


一本でも違えれば、答えが狂う。

直すには、また一本ずつ抜いて、つなぎ直す。


前世で、似たものを見たことがあった。

中の線をつなぎ替えて、はじめて働く機械。

命令を変えるたびに、人がよじ登って差し替える。

動かすより、組み直すほうに、何倍も時間がかかった。


(——同じだ。ここは、あのころの場所と同じところに立っている)


帳面を開いて、炭を取り出した。

いま見たものを書きつける。

石。線。つなぎ替え。徹夜。

四角を描いて、矢印で結ぶ。

問題のかたちを、紙の上へ移していく。


——そのとき、右手が、勝手に動いた。


四角でも矢印でもない、溝のある模様の一画を引きかけていた。

石の溝とよく似た、あの線を。


(——っ)


左手で、右の手首を押さえた。


(——だめだ。ここでは、だめだ)

(——見ている目が、多すぎる)


止まった一画を、何でもない走り書きに見えるよう、四角の角へ紛れこませた。

心臓が、耳のうしろで鳴っていた。


◇◇◇


顔を上げると、ヘルムがこちらを見ていた。


「どうだ。見当はついたか」


わたしは帳面を閉じた。


「……手順を変えるたびに、機械を組み直しているんですね」


「そうだ。だから半年、進まん」


ヘルムが、束ねた線の山を太い指で軽く叩いた。


「変えたいたびに、こいつらが何日も寝ずに線を差し替える。それで計算がひとつ増える。馬鹿げているとは、俺も思う」


馬鹿げている、とは思わなかった。


ただ、胸の奥で、ゆうべ聞いた声がよみがえっていた。


——命じる手順を、その中身の側に置けない? 紙を入れ替えるみたいに。


あのとき、思いつきに聞こえた問い。

いまは、違って聞こえた。

この線の地獄を見たあとでは、それは思いつきではなかった。

ここから抜け出す唯一の道のように、まっすぐ立っていた。


手順のほうを、入れ替えられる中身に変えてしまえば。

中身を差し替えるだけで済むなら、塔を組み直さなくていい。


口を開きかけて、閉じた。


(——まだ、だ)


確かめたいことが、まだあった。

生煮えのまま口に出して、子供の思いつきにされたくなかった。


若い技師は、また線の束に向き直っていた。

すり切れた指が、一本を抜き、別の穴へ差す。

抜いて、差す。

その背中を、わたしはしばらく見ていた。


「次は、書庫だ」


ヘルムが言った。


「約束の古い図面を見せてやる。——その前に、いったん外の風に当たれ。ここは大人でも、頭が痛くなる」


父の手が、わたしの肩をそっと押した。


帳面の中で、紛れこませた一画が、四角の角でほかのどの線より黒く残っていた。


■あとがき・解説


第160話は、行き詰まった演算塔をリナが初めて中まで見て、「なぜ進まないのか」を体で掴む回でした。


今回は「眼で追えるのは、石の溝まで」「焼きついた手順」「押さえた右手」について、ゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「眼で追えるのは、石の溝まで」——眼の限界


塔は、溝(魔法陣)を彫った石を、無数の線でつないだ機械です。


リナの「眼」は、石の溝なら読めます。どの石が受けて、ため、渡すか。溝のかたちが教えてくれる。けれど、石と石をつなぐ線は読めません。光ってはいても、溝のように意味は見えてこない。そこから先は、指でたどるしかない。リナの「眼」は前世のエンジニア目線であって、何でも見通す超常の視覚ではない——その限界を、塔という大きな機械の前ではっきりさせました。線の意味は、指と理屈で追うものです。


■「焼きついた手順」——組み替えの地獄


若い技師は三日帰らず、線を一本ずつ抜いては差し直しています。手順をひとつ変えるだけで、線のつなぎ方が変わり、ときには石の溝まで彫り直す。


つまりこの塔は、何を計算するかが、機械のかたちそのものに焼きついている。前の世で似たものを見た、とリナは思い出します。中の線をつなぎ替えて、はじめて働く機械。動かすより組み直すほうに、何倍も時間がかかった。ゆうべアディラが「思いつき」のように言った「手順を中身の側に置けないか」が、この地獄を見たあとでは、抜け出す唯一の道のようにまっすぐ立って見えた——けれどリナは、まだ口に出しません。生煮えのまま、子供の思いつきにされたくないから。


■「押さえた右手」——人前での自制


問題を帳面に書き写すうち、リナの右手が勝手に動き、溝に似た一画を引きかけます。


慌てて左手で手首を押さえ、走り書きの角に紛れこませる。「見ている目が、多すぎる」。村ではない、王都の、技師団の只中。リナが意図せず魔法陣を引いてしまう癖と、それを人前で隠さねばならない緊張を、一筆だけ残しました。紛れこませた一画が、四角の角で、ほかのどの線より黒く見える——その後ろめたさを抱えて、次は書庫の古い図面へ向かいます。


次の話もお楽しみに。


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