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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ⑥「世界が、見つける」

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159/211

第159話 責任の分解

宮殿の廊下は、石が冷たかった。


磨いた床に、高い窓からの光が長い筋を引いている。

靴の音が、天井の高さの分だけ遅れて返ってきた。


(——城だ。村の教会が、丸ごと入る)


父の手が、わたしの肩のうしろにあった。

触れてはいない。ただそこにある。

それだけで、足の運びが乱れずに済んだ。


先を歩くのは、レオンハルトだった。

ゆうべ門で出迎えた大柄な背中が、迷いなく角を曲がっていく。


兄は控えの間に残った。

出入りの者の顔と、廊下の角の数を覚えるつもりらしい。


「お前は、紙の中で迷う係だろう」


ゆうべの言葉を、思い出した。

ここから先は、わたしの係だった。


◇◇◇


通されたのは、思ったより小さな部屋だった。


長い卓が一つ。壁際に、丸めた図面が筒のまま何本も立てかけてある。

紙とインクと、機械油に似た匂い。


(——ここは、仕事をする部屋だ)


謁見の間ではなかった。

飾りより、紙の量が多い。それで少し、息がしやすくなった。


卓の向こうに、二人いた。


一人は、大柄な男。

肩が広く、手が大きい。まくった袖の腕に、古い火傷の痕がいくつもある。

卓に広げた図面の、めくれた角を、太い指でいま伸ばしているところだった。


「来たか」


男は顔を上げた。


「ヘルム・ヴァイスだ。技師団長をしている」


名乗りは、それだけだった。

肩書きより先に、図面の角を伸ばす手を見せる人だった。


もう一人は、細い女の人だった。


立っているのに、じっとしていない。

指先が、卓の図面の線を宙でなぞるように動いている。


「アディラ・フレンセン」


早口だった。


「宮廷魔導士。——あなたが、地方で機械を動かしている子ね」


問いではなく、確かめる声。

わたしが頷く前に、視線はもう、わたしの手元の鞄へ移っていた。


◇◇◇


ヘルムはわたしに椅子を勧めた。


座ると、足が床に届かなかった。

卓の縁が、胸の高さに来る。


(——また、これだ)


前の体なら、この卓に肘をついて話せたのに。

十二の背丈は、こういうときにいちばん邪魔になる。


父は座らず、わたしの隣に立った。


ヘルムは図面を脇へ寄せ、一枚の紙を卓の真ん中に置いた。


「先に、正直に言う」


低い声だった。


「塔は、行き詰まっている。半年、進んでいない。だから村の子供にまで頭を下げて、来てもらった」


飾りのない言い方だった。

それが、かえって信じられた。


紙には、字が並んでいた。

名前と、その横に、役。


——総責任者 ヘルム・ヴァイス

——技術顧問 リナ

——後見 アルベルト

——商いの保証 レオンハルト/ハーラムのベルマン

——推挙 村長ハインリヒ/巡回学者テオドール


わたしはその紙を、上から下まで読んだ。


(——役を、一人ずつに分けてある)


胸の奥で、何かが静かに噛み合った。


前世のわたしは、こういう紙を何度も引いた。

誰が、何に責めを負うか。

そこが曖昧だと、皆が少しずつ手を引いて、最後には誰も決めなくなる。


「お前の名の上に、俺の名がある」


ヘルムが、紙の一行を指で押さえた。


「塔が倒れたら、責めを負うのは俺だ。お前ではない」


(——わたしの、上に)


「お前は、考えるだけでいい。子供の出した案だと笑う者がいたら、俺が技師団長の名で、笑うなと言う」


その意味が、少し遅れて、体に届いた。


子供の言うことだから、で潰されない。

そのための紙だった。

わたしの考えを、一人で背負わせない形が、先に組んである。


塔を建てる前に、塔を支える足場を組むように。


(——責任を、分けて、名前をつける)

(——これは、わたしが前にやっていた、あの仕事だ)


父が、紙に目を落とした。

「後見」の二文字の上で、視線が止まる。


「俺の役は、面倒な大人の相手をすることだな」


ヘルムの口の端が、わずかに動いた。


「そう書いてある」


「なら、得意だ」


父はそれだけ言った。


◇◇◇


「お前が、何を考えているか。それを見せてくれ」


ヘルムが言った。


わたしは鞄から、折った紙を出した。

村と町の間に立てた、光の塔の図。

卓に広げ、めくれる角を四隅で押さえた。

父が紙を押さえるときの、あの順番で。


(——まず、何を運ぶか。次に、何で運ぶか)


塔の絵の左に、符号を書いた列。

右に、塔そのものの絵。

線が一本、二つを分けている。


「運ぶ中身と、運ぶ道具を、分けて描いてあります」


わたしは図の真ん中の線を指した。


「同じ塔で、違う中身を運べます。中身を変えても、塔は組み直さなくていい」


アディラが、卓に身を乗り出した。

速かった。


「待って。——その線」


指が、わたしの引いた境の線を宙でなぞる。


「塔の計算も、それでできない? 命じる手順を、その中身の側に置けない? 紙を入れ替えるみたいに」


部屋の空気が、半拍、止まった。


(——それは)


それは、わたしがまだ口に出していない考えだった。

この人は、図の一本の線から、その先まで歩いて行った。


胸が鳴った。

ゆうべ、窓の灯りを見て「ひとりではないのかも」と思ったときの、あの鳴り方に似ていた。


けれど、わたしは口を閉じた。


「——まだ、塔を見ていません」


そう答えた。


「見てから、お返事します」


アディラはわたしをじっと見て、それから笑った。

身を乗り出したまま、肩の力だけ抜いて。


「いいわ。技師の答えね、それは」


◇◇◇


ヘルムが、卓のあの紙を、わたしの前へ滑らせた。


羽根ペンを、添えて。


「技術顧問の欄は、自分で書け。人に書かせる名じゃない」


ペンは大人の指に合わせてある。

わたしの手には、少し太い。

インク壺に先を浸し、余りを縁で切る。父がやるのを、何度も見た手つきで。


「技術顧問」の横は、空けてあった。


そこに、名を書いた。


リナ。


村にいたころ、紙に書く名前は父の工房の覚えか、ノラへの言づてくらいだった。

同じ三文字が、いま、城の卓の上にある。


(——この線の下に、わたしがいる)


インクは、まだ乾いていなかった。

紙を傾けると、文字が光を弾いて、濡れて見えた。


ヘルムはそれを見届けてから、立ち上がった。


「ひとつ、伝えておく」


丸めた図面の筒を、一本手に取る。


「お前が町から送ってきた、作者の知れない古い図面。——押収されたぶんの原本は、いま、うちの書庫にある」


息が、止まりかけた。


「見たいか」


「——見たいです」


声が、少し掠れた。


「なら、案内する。塔を見せたあとでな」


ヘルムは筒を、もとの壁際へ戻した。


「明日、塔を見せる。——言っておくが、ひどいものだぞ」


口ぶりとは裏腹に、その手は、図面の筒を倒れないようにそっと立て直していた。


窓の外で、城の上の大きな文字盤が、午前の鐘を打った。


村の塔の鐘より、ずっと低い音だった。


■あとがき・解説


第159話は、王都の技師団長ヘルムと宮廷魔導士アディラに初めて会い、塔の仕事の「役の分けかた」が決められる回でした。


今回は「責任を、分けて、名前をつける」「まだ、塔を見ていません」「自分で書く名」について、ゆるく書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「責任を、分けて、名前をつける」——子供で潰されない足場


ヘルムは仕事の前に、まず一枚の紙で役を分けます。


総責任者はヘルム、技術顧問はリナ、後見は父、商いの保証はレオンハルトとベルマン、推挙は村長とテオドール。「塔が倒れたら、責めを負うのは俺だ。お前ではない」「子供の出した案だと笑う者がいたら、俺が技師団長の名で、笑うなと言う」。これは、十二の子が中枢にいることへの宮中の反発を、技術論ではなく仕組みで先回りする備えです。前世で何度も「誰が何に責めを負うか」の紙を引いてきたリナにとって、これは見覚えのある仕事でした。塔を建てる前に、塔を支える足場を組むように。


■「まだ、塔を見ていません」——食いついても、断言しない


リナが「運ぶ中身と、運ぶ道具を分ける」図を見せると、アディラが一本の線からその先まで歩いていきます。「塔の計算も、それでできない? 命じる手順を、その中身の側に置けない?」——リナがまだ口に出していなかった考えに、先回りした。


ゆうべ窓の灯りを見て「ひとりではないのかも」と思ったときの、あの胸の鳴り方に似ていた。けれどリナは口を閉じ、「まだ、塔を見ていません。見てから、お返事します」と踏みとどまります。アディラの「技師の答えね、それは」という受けに、これから並んで戦う二人の相性を込めました。


■「自分で書く名」——城の卓の上の三文字


ヘルムは覚書の「技術顧問」の横を空けたまま、リナに羽根ペンを渡します。「自分で書け。人に書かせる名じゃない」。


村で紙に書く名前は、父の工房の覚えか、ノラへの言づてくらいだった。同じ三文字が、いま城の卓の上にある。インクの乾かない名前と、「ひどいものだ」という塔と、書庫に眠る作者不明の図面。明日それを見にいく、というところで第159話を閉じました。


次の話もお楽しみに。


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